その後のデメトリオ 前編
作者: シウス   2009年06月15日(月) 22時41分42秒公開   ID:G2uK9fjVNL2
【PAGE 2/4】 [1] [2] [3] [4]


 肩を震わせ続けるユリウスに、フィエナは優しく声をかけた。
「しばらく一人になりたい?」
「―――ああ」
 ユリウスがそれだけ答えると、フィエナは黙って部屋を出て行った。


「さて……どうしたものかしらね」
 フィエナは当ても無く、村の中央の辺りをウロウロしていた。
 旧カルサアの村は、全体が崖に○形に囲まれた村だ。ここから少し歩いた村の端に川が流れていて、その川に沿って崖も続いている。ユリウスが落ちてきたのは川の上流の方だった。ユリウスの話から推測すると、おそらく彼が乗っていたエアードラゴンのお陰で、彼は助かったらしい。
「辛いでしょうにね、彼。二度と帰れなくなっただけでなく、大事な仲間が死んじゃったんだものね……」
 フィエナも一応、軍人なのである。それもただの軍人でなく、施術と通常の戦闘能力を併せ持つ『六師団』の中の幽静師団『水』の副団長なのだ。仲間の死を見ることもしょっちゅうである。だからこそ彼女にも、ユリウスの気持ちがよく分かる。
 だが本当に辛いのはこれからなのだ。たしかに仲間の死は辛いが、時が経てば次第に落ち着くものである。それに比べて、二度とこの谷から抜け出せない苦しみは、はっきり言って想像を絶する。
「思い出すわね……あの日の事を―――」
 3年前の、あの日。
 フィエナにとってそれは、全てを無くした日と言っても、あながち間違いではなかった。
 一般に『全てを無くす』と言えば、大切な人が死んだり、あるいは信じていた人々に裏切られたりすることである。しかも全員に。フィエナの場合、それらの大切な人達は生きている。3年ほど会ってはいないから、今でも生きているという保障はどこにも無いが。
 一度だけ―――たった一度だけ、崖の上で『足を滑らせる』などというドジを踏んだだけだというのに、二度と地上へは戻れない地へ来てしまった。
「アペリスは何を考えているのかしらね。私を―――ひと一人をこんな孤独な地獄へ叩き落しておいて、それでもまだ神様を気取ってるっていうの? それともユリウスを私と同じ境遇にしておいて、『仲間を増やしてやったから感謝しろ』なんてほざく気?」
 聖王都シランドでは、口が裂けても言えない言葉で吐き捨てる。だがそれでも、彼女は神の存在を疑おうとはしなかった。シーハーツの人間はそういう人ばかりである。人は辛い境遇に立たされた時、『この世には神などいるわけがない』と言ってしまうが、生まれた時から宗教色に染まっている者は、そう簡単には神の存在を否定しようとは思わない。もっとも、口から出る言葉には、神に対する敬意など、微塵も感じられないが……。
 空の道を見上げた。崖に挟まれ、霧でかすみ、ひどく狭くなった青色の道が見える。
「ねえ役立たずのアペリス。私みたいな人間に悪口言われて悔しい? でも現に役立たずでしょ? 何のために神様なんかやってるのか知らないけど、困ってる人を助けないなら辞めちゃいなさいよ。神様なら神様らしく、奇跡の一つや二つくらいは起こして、私達を助けてくれたっていいんじゃない?」
 言った直後、一人で何言ってるのだ? という、あまりの惨めさに悲しくなり、フィエナは肩を震わせて涙を流し続けた。
 
 
 
「どう? 少しは落ち着いた?」
 出来立ての料理の皿を片手に、フィエナはユリウスがいる部屋へと入った。相変わらず、ユリウスはベッドの上にいた。ユリウスはフェイト達との戦いによって負傷しているのである。軽傷で済んでいるのは、フェイト達の一行が本気を出していない証である。
「ああ、ありがとな。……その料理は?」
「これ? ああ、さっき言ったようにね、この村には畑があるから食べ物には困らないの。シーハーツには無い野菜もあるし、川へ行けば魚だって手に入るわ。調味料も納屋に行けばいくらでもあるし」
 そう言ってフィエナは、身を起こしたユリウスに料理の皿を手渡し、ベッドに腰掛け、自分も料理を食べ始めた。
「野菜炒めか?」
「ええ。ひょっとして野菜、嫌い?」
 逆に問い返されて、ユリウスは勢いよく首を左右に振った。
「そんなわけ無いだろ。シーハーツではともかく、アーリグリフで野菜と魚は貴重品なんだ。魚は漆黒の修練所でしか手に入らないし、特に野菜なんて、一般人でも滅多に口に出来る物じゃないんだ。土地が痩せ、おまけに寒さもあって野菜が育たない。陛下が食べ物を階級に関係なく、平等に行き渡るようにしているっていうのに、それでも食えない。ましてや青菜なんて―――」
 皿の中では、青々とした野菜や黄色い豆、赤々とした物さえ入っていた。おそらくトマトやニンジンのような物なのだろう。アーリグリフで手に入る野菜といえば、根菜類オンリーである。貴族といえど、それ以外の野菜は口にした事などほとんど無いはずだ。
 フィエナは柔らかく微笑むと、
「良かった、気に入ってもらえて」
 一瞬、ユリウスは彼女の美しい微笑みに見とれてしまった。
「どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない。いただきまっす」
 慌てて視線を逸らし、目の前のご馳走にかぶりつく。野菜独自の旨みや甘味、時には苦味や渋味でさえ、旨さを際立てるスパイスとなりうる。
 フィエナが口を開いた。
「そう言えば……これからどうするの? 一応、掃除すれば他の家も使えると思うけど、良かったら一緒に住まない?」
「ぶっ!?」
 食べている途中、ユリウスは思わず口の中の物を吹き出しそうになるのを、何とか我慢した。吐いてはもったいない。
 いま口の中にあるものを全て飲み込んで、少し乱れた息をムリヤリ抑えながら、ユリウスは口を開いた。
「い、いきなりすごいこと言うなぁ……。もしかして俺に一目惚れ?」
 努めて冷静な、あえて言うならばナンパされるのに慣れているような声を出そうとしたが、今まで生きてきた中で一度もそのようなことを言われたことが無かったため、声は凄まじく不自然になった。フィエナもその様子に気付き、笑いながら訂正した。
「ああ、ゴメンゴメン。なんていうか、『一目惚れ』っていうより、寂しいから……かな? 今朝にも言ったけど、二度とこの谷からは出られないの。3年間もここで一人暮らししてたら誰でも寂しくなるわ」
 言われて見ればそうだな、とユリウスは思った。自分のドラゴンであるゼノンが死んだ今となっては、この谷からは抜け出すことは不可能だろう。そうなるとすれば、もう二度と人に出会うことは無いだろう。目の前のフィエナを例外として。
 ユリウスの決断は早かった。
「オーケー。今日からお世話になるから、よろしく」
 今度はあまりアガらずに声が出た。するとフィエナは手を差し伸べてきて、
「こちらこそよろしく、ユリウス。そして、ようこそ我が家へ」
 差し出された手をユリウスが握ると、フィエナはもう一度、さっきの柔らかい微笑みを浮かべた。先程の微笑みに比べると、やや頬が紅潮した微笑みだった。
 
 
 
 それから七日が経った。
 窓から差し込む光に、ユリウスは朝が来たのだと気付いた。ベッドから上半身を起こし、大きく伸びをする。
 この谷では滅多に太陽の光が届かない。数百メートルある崖の中間地点の辺りを、常に深い霧が覆っているからだ。ただ霧が濃いだけでなく、厚いのだ。
 そして光が届かないかわりに、利点がある。この谷自体がウルザ溶岩洞に近いためか、1年を通して暖かいのだ。もし溶岩洞が近くに無ければ、光の届かないこの地は季節を問うこと無く、非常に寒いところになっていたはずだ。さらに、この谷は風が吹かない。よって、1年間の気温は1〜2度ほどの差しかない。非常に住み心地の良いところなのである。
 もっとも、稀ではあるが、全ての霧が消えうせてしまう日がある。―――例えば今日みたいに。
「んー……」
 ユリウスの真横で、フィエナが寝ぼけ半分に甘い声をあげた。どうやら起きたようである。
「なあ、フィエナ。前に君が言っていた『霧が晴れた日』って、こういう日のこと?」
 言って、窓の外を指す。
 フィエナは眠そうに目をこすりながら、ユリウスの指の先にある光景に注目した。次の瞬間、
「えっ!? 晴れてる!! これよこれ! 行くわよ、ユリー! こういう日は滅多に無いんだから!! 今のうちに洗濯する物、用意しといてね!!」
 そう言って、彼女はそのまま部屋を飛び出していった。
 最初は互いに遠慮しあっている事もあったが、今ではさっきのように、同じベッドで寝るようになっていた。よその家を探せばいくらでもベッドは手に入るのだが、あえてそうせずに一つのベッドを二人で使用しているところを見ると、二人の仲は案外良いようである。
 ……ちなみに、ユリーというのはユリウスの略称である。
「たしかにこういう日は洗濯するのに打ってつけだな」
 ユリウスはそう呟くと、フィエナを追うように部屋を飛び出した。
 
 
 
 この谷へ来て初めて見る日の光は、ユリウスにとって喜びを感じさせた。
 まあ、空がせまく見える分、少し悲しくも感じたが。
 洗濯物は、朝起きてすぐに済ませた。今は二人で畑の草むしりをしている。時間帯が昼頃のせいか、せっせと草をむしる二人の衣服は、大量に掻いた汗で重くなっていた。
「……さっき洗濯したばかりなのに、また洗濯物が増えたな」
 草をむしりながら手を止めず、フィエナに話しかけた。最初にこの谷に落ちたときに着ていた服は、さっき川で洗濯して干してある。いま二人が着ているのは、村の空き家にあった服である。
 フィエナもユリウスと同様、作業を続けながら振り返らずに口を開いた。
「それは仕方ないわよ。だって、こんなに天気が良いんだもの。後で今着ているのも洗濯するしかないわね」
 何となくだが、彼女の口調は初めてユリウスと会ったときに比べ、かなり感情豊かになっていた。どうやらこれが彼女の本当の性格らしく、3年間もの孤独が、彼女から明るさを少しだけ奪っていたようだ。
「でもさ、フィエナ。それって、スッゲー面倒くさくねえ?」
 たしかに二度も洗濯するのはかなり面倒くさいだろう。だがフィエナはユリウスの方を向き、笑顔を浮かべて言った。
「ユリーはまだ知らないみたいだけど、今日みたいな日は、これからの時間がとっても暑くなるの。今でも崖に隠れて太陽が見えないでしょ? これからこの谷の真上に見えるようになるから、それまでにお昼ご飯を食べて、それから川に泳ぎに行かない? 今日の仕事はここまでにして。ね♪」
 そう言ってフィエナは、柔らかく微笑んだ。この笑顔で微笑まれると、ユリウスは断れなくなる。もっとも、このクソ暑いのに泳がないでいられるわけがない。
「オーケー、俺もその作戦がいいと思うな」
 ユリウスも負けじと笑顔を浮かべて笑った。


 村の端と隣接する川。
 川幅は10メートル程、深さは30センチから1.5メートルのところまで、場所によって異なる。
 洗濯をするときは大抵、川岸の浅瀬でするのだが、今はは深いところで洗濯することにした。つまり、水浴びしながらである。
「ハァ〜、極楽、極楽」
「ちょっと、ユリー……。いくらなんでも、それはオヤジっぽくない?」
 水浴びというより、どちらかといえば『一日の仕事を終わらせてから入る、オヤジの一番風呂』みたいである。
 ユリウスは軽い気持ちで言い返す。
「わかってねーなぁ。汗だくになった時の水浴びってのはな、毎日の水浴びとは格別なんだよ。それに今日みたいな晴天の日ともなれば、なおさらさ」
「何言ってんのよ。『こういう日』だからこそ、泳ぐのが気持ち良いんだから。ねぇ、ユリーも一緒に泳がない?」
 そう言って手を差し伸べるフィエナ。ユリウスはその手をつかんだ。
「それも悪くないな……」
 フィエナに手を引っ張られ、深いとところまで来た。とはいえ、溺れるような深さではない。平気な顔をしているが実を言うと、ユリウスは泳げない。というより、寒い土地であるアーリグリフに住む人間は『泳ぐ』ということを知らない。単語の意味が分からないという訳ではないが、泳ぐ機会が全くといってもいいほど無いのだ。
(今から練習しても覚えられるかな?)
 楽観的に考えてみる。川の流れは非常に緩やかなものである。川の下流にまで流されると危険だとフィエナは言ったが、この程度ならば歩いてでも戻ってくることができるだろう。
 まずは手始めに、川底から脚を離してみた。同時に両腕で水をかいてみる。自然と身体は浮いた。多少は口が水中と空気中とを行き来するが、溺れるということはまず無さそうだ。
 次に両足も動かしてみた。簡単に前進することが出来た。
(俺って才能あんのかな?)
 その様子を見ていたフィエナが口を開いた。

⇒To Be Continued...

■一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集