逆転を託す
作者: 柊 睦月   2007年12月20日(木) 14時18分39秒公開   ID:wa0SVdPpSDI
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「うわああああああああああああッ!」
「なるほどおおおおおおおおおおお!」


 足を踏み外した瞬間、周りの景色は変わった。さっきまで立っていた地面はいつのまにか頭上にあり、体が、冷たい闇に猛スピードで突っ込んでいこうとしているのを感じた――。
 あのときは、橋を渡れるかどうかなんて考えなかった。渡るしかなかったから。奥の院に閉じ込められた真宵ちゃんを、放ってはおけなかったから。


 目を開けると、白い天井が目に入った。ぼくはいつの間にか横になっていて、ふとんもかけられていた。どうやらここは、病院のようだ。今は朝の早い時間なのか、周りは静かだ。ベッドの左側には、点滴台と大きな窓がある。窓にはカーテンがかかっていて、病室に降り注ぐ日光を和らげていた。右側には、物が置ける台があった。台の上面はぼくの目線よりも高いところにあったので、何か置かれているかどうかはわからない。隣のベッドとはカーテンで仕切られている。カーテンの向こうにも人がいるのだろう。穏やかな寝息が聞こえた。後ろの壁には、濡れた青いスーツがかかっている。周りの状況を確かめるため、ぼくは上半身を起こそうとした。
 ――そのときに気付いた。体がひどく重い。目まいもする。喉は焼けるように、アタマは何かで殴られたかのように痛む。――ぼくは、カゼをひいてしまった。しかし、今までにこんなひどいカゼはひいたことがない。運の悪いことに、これはこの世で最もタチの悪いカゼのようだ。

 肘をついて上半身を半分ほど起き上がらせたぼくのところに、医者がやってきた。医者は、ぼくに熱を測らせながら状況をざっと説明した後、二日間の絶対安静を告げた。体温計は、四十度三分を示していた。

 状況が理解できると、今までの事件のことがだんだんと蘇ってきた。
 ――エリス先生を殺害した犯人……。
 ――奥の院に閉じ込められた真宵ちゃん……。
 上半身を完全に起こし、頭痛や目まいと闘いながら考えた。考えれば考えるほど、不安は募る。
 ぼくがこんなところで休んでいる間にも、真宵ちゃんは寒いところで独りぼっちだ。いや、もしかしたら犯人と二人きりかもしれない。彼女に何かあったら…。

 現実から目を逸らすように、ぼくはベッドの右側に目をやった。すると、物置台の上に置いてある、二つの小さな物が目に入った。どちらも、手のひらに乗るくらいの物だ。それは、弁護士バッジと勾玉だった。エリにつけていたバッジも、ポケットに入れておいた勾玉も、途中でなくなることなくぼくと一緒にここへ運ばれてきたらしい。
 ぼくは無意識に台に手を伸ばした。腕は、何かが乗っているかのように重い。台の上の二つを握ろうとしたその時、部屋の外から声が聞こえた。若い男と年配の男が話をしているようだ。隣から聞こえる寝息以外の音がない静かな病室に、若い男の声が響く。
「ほら、このコ! このコが今、タイヘンなんだ!」
 それに答えて、もう一方の男が聞こえる。
「ん。ん。どれかね? このコ……ん。コレはちょっと、ん」
「はァ? ……ちげェよ! こっちじゃねえ! このコだこのコ!」
「ん。……おお、コレは。コレは、スバラシイ。ん」
「だろ? だろ? オレのあやめちゃんだ! すっげェかわいいんだ!」
 若い方のこの声……とても聞き覚えがある。ぼくが橋から落ちる直前まで聞いていた声だ。年配の方の声も、聞いたことがあるような気がする。あの喋り方に覚えがある。
 二人の声は、だんだん大きくなってきた。そして、病室のドアが勢いよく開く音がした。
「ここか、集中治療室……。ここに成歩堂がいるんだな!?」
「ん。ん。いるんじゃないかな。ん」
「よし。ありがとな、ジイさん!」
「ホッタですわ。ほっほっ」
 部屋に入りこむ足音が、一人分聞こえた。その足音は、ぼくの方に向かっている。ぼくは、カーテンの陰から姿を現した男と目が合った。ピンク色の服を着てベレー帽をかぶり、両手には見覚えのあるカバンと雑誌を持っている。
「おっ、成歩堂! オマエ、生きてたんだな。まったく、運のいいやつだぜ」
「……矢張……」
 ぼくはなんとか、その男の名を口にすることができた。
「矢張じゃねぇ! 天流斎マシスだっ!」
「……」
 そういえば、そんなことを言っていたな。よりによってコイツが『天流斎』とは……。
「ま、いいけどさ。コレ、持ってきてやったぜ! 感謝しろよな!」
 矢張は雑誌とカバンを突き出した。ぼくはその手から雑誌を受け取った。それは『お!カルト』という雑誌で、ビキニさんとあやめさんの写真が載っているページが開かれていた。
「こっちはオマエの荷物な。重かったんだぜ! ちゃんと感謝しろよな!」
 矢張は、カバンを近くにあったイスの上に置いた。
「ああ……ありがとう。げほ。げほげほげほ」
「ま、いいけどさ。カゼ、うつすなよな。……あ、そんなことより成歩堂! 聞いてくれよ! あやめちゃんが警察のエリス先生で殺害につかまっ……あれ? ちゃんとしゃべれよ! 成歩堂!」
 矢張は頭に響く声で騒いだ。モーローとした頭をフル回転させてその言葉を整理してみると、『あやめさんがエリス先生の殺害容疑で警察につかまった』ということになりそうだ。
 ……ん? あやめさんが……『つかまった』……!?
「な……なんだって! あやめさんが……っ! げほげほげほ」
「そう! つまり、そういうコトなワケよ! オレのあやめちゃんが、タイヘンなんだよお!」
「ど、どうしてあやめさんが……」
「あそこのジューショクが、『その現場を目撃した!』って言ったらしいぜ」
 ビキニさんか……。
「でもそんなの、ウソに決まってる! あんなカワイイ子が、殺人なんかするワケねぇだろ!」
 ――その時、ぼくの頭の中である人物が浮かびあがった。……美柳ちなみ……。
 五年前、ぼくが大学でつき合っていた人物であり、一人の男を殺害した人物でもある。彼女は今、刑務所にいる……。
「あやめちゃん、今留置所にいるんだ! オレ、真っ先にあやめちゃんのとこに行ったんだけどさ、看守のヤツが『面会はダメだ』とか言いやがって! でもな、『取り調べなんかいつでもできるだろ!』って何度も言ってやったら、しぶしぶ受け入れてくれたワケよ。これぞアイのチカラってヤツだよなぁ」
 あやめさんと美柳ちなみ……。一体、どういうことだろう。初めてあやめさんを見たとき、美柳ちなみかと思ってしまったほど二人は似ている。きっと、無関係ではないはずだ……。
「そんでオレ、あやめちゃんに会ったワケよ。あやめちゃん、もうカワイくてさぁ! 泣きそうな目でオレのことを呼ぶんだ。『マシスさま!』って!」
 しかし、美柳ちなみは今、刑務所だ。あんなところにいるはずがない。あやめさんは確か、『幼いころからずっと葉桜院にいる』と言っていた。大学へは行っていない、とも……。あのとき、サイコ・ロックはでなかった。つまり、ウソはついていないということになる。
「オレ、あやめちゃんとずっと喋ってたんだ。でもよぉ、ついに追い出されちまって。しぶしぶあやめちゃんと別れて、しぶしぶここに来たんだ」
 ……では、美柳ちなみとあやめさんは別人だということだ。しかし、あんなに似ているのに別人だなんて、やはり信じられない。
「最初は面会時間まで待ってようと思ってたけど、居ても立ってもいられなくなってさ。受付に面会を頼んだら看護婦のオバサンが、『面会時間はまだダメだ』とか言いやがって! でもな、『あやめちゃんがタイヘンなんだよ!』って何度も言ってたら、どっかからあのジイさんが現れてさぁ。オレをここまで連れてきてくれたワケよ。いやあ、イイよなぁ。あやめちゃんのカワイさがわかるオトコは!」
 すぐ横でべらべらと喋っている矢張を無視しながら考えていると、視界の隅で何かが光った。――勾玉と、弁護士バッジ……。
「まったく、アレを見たときはビックリしたぜ。オマエあんなムチャするからさぁ、もう死んじまったかと思ったよ。あの後オレ、警察と御剣に電話かけてやったんだぜ。オレはオマエの命の恩人なんだ!」
 ――あやめさんが『つかまった』ということは、弁護士が必要になるのだろう。目撃者がいるという不利な状況で、良い弁護士が引き受けてくれるだろうか……。いや、他人に任せるのではなく、ぼくが引き受ければいい。裁判の日までに回復して、あやめさんを守れば……!
「そういえば成歩堂! あやめちゃんの裁判、もう明日なんだ! オマエが頼りにならなくなった今、あやめちゃんを守れるのは――」
「あ、明日!?」
「な、なんだよ! ビックリさせるな! 明日だよ明日! どうしてくれんだ成歩堂!」
「――げほ。げほげほ。そ、そんな――げほげほ」
 明日……。ぼくは二日間、絶対安静だ。裁判に間に合わない……。あやめさんを、守る事ができないなんて……。
「ああ、あやめちゃん……今頃どうしてるかなぁ。看守のヤツにおどされて、泣いてねぇかなあ。……オレ、もう一回あやめちゃんとこ行ってくるからさ! もうすぐ、アイツが来るはずだし。じゃ、あやめちゃんにカゼうつすなよ!」

 矢張は手ぶらで病室を出て行った。ドアが閉まる音と同時に、カーテンの向こうから小さな咳が聞こえた。気の毒に、矢張の大騒ぎで目が覚めてしまったのだろう。
ぼくは、手に持っていた雑誌の一ページを見つめた。一体、ぼくはこんなところで何をしているんだろう。あやめさんが大変だというのに。あのとき、川に落ちなければ。橋が崩れなければ。奥の院に、行こうなんてしなければ……。

 ――奥の院……。真宵ちゃん……。
 彼女も今大変だ。でも、犯人は捕まったし……。いや、違う。あやめさんじゃない。犯人は、きっと逃げ込んだんだ。奥の院に……!

 頭痛がひどくなってきた。ぼくはこれ以上考えるのがイヤで、自分をごまかすために手を動かした。さっき矢張が持ってきてくれたカバンをあさる。すると、一番上に白い布があった。それを手に取ってよく見てみると、頭にかぶれるようになっていることがわかった。そしてぼくは思い出した。あの夜の、あやめさんとの会話を。

『もし、よろしかったら……受け取っていただけますか?』
『あやめさんのずきん、ですか?』
『悪霊から身を守るためのずきんです。この、不吉な宵闇……ブジにやりすごせますように』

 ――この白い布は、そのときにもらったものだ。あやめさんがかぶっていたずきん。ぼくは、それをかぶってみることにした。
 すると、懐かしい、彼女の優しい微笑みが浮かんできた。あの優しさに包まれている感じがして、温かくなった。
 ぼくはもう一度、ベッドに横になった。


「――成歩堂。……大丈夫か?」
 闇の中から、聞き覚えのある男の声がした。この声は確か…。
「……み、御剣……?」
 意識がはっきりしない中、ぼくはなんとかその男の名を口にした。
「ム、気が付いたか。無事でよかった。」
 男はホッとしたように言った。ぼくが声のした方を見てみると、赤いスーツに白いヒラヒラ、といういつもの格好をした御剣がベッドのそばに立っていた。
「ああ……無事でもないみたいだけど――げほげほ。げほげほげほ」
「カゼ、か。橋から転落したそうだな。矢張から聞いた。熱はあるのか?」
「さっき測ったら、四十度だった」
「よ、四十度……。重症ではないか」
「大丈夫だよ。すぐに治る――げほげほげほ」
 御剣は、ぼくの答えをまったく信用していない様子だった。
「ん……あれ? 御剣……?」
 ぼくは横になったまま御剣を見つめた。
「なんだ」
 ……なぜ、この男がここにいるのだろう。彼はたしか、外国へ行っていたはずでは……?
「なぜ、私がここにいるのか。そんなことを考えているのだろう?」
「あ、ああ……」
「矢張という男から、電話をもらったのだよ。成歩堂……キミが落っこちた、と」
 矢張……。そういえばさっき、来ていたな。でも、御剣のことなんて言ってなかったような気がするけど……。
「そして、留置所に来いと。アイツ、何かやらかしたのだろうか?」
「矢張が? ……いや、違うよ。つかまったのは――げほげほげほ」
 そうだ、あやめさんだ……! あやめさんの弁護、ぼくはできない。でも……。
ぼくの中で、ある考えが浮かんだ。
「つかまったのは?」
 御剣が、急かすように聞いた。ぼくは、目まいをおこしながらも上半身を起き上がらせた。
「な、成歩堂。起きて大丈夫なのか?」
 彼は、ぼくの突然の行動に驚いたように言った。ぼくはその言葉を無視した。
「あやめさんだ」
「なに?」
「この事件の容疑者は、葉桜院あやめさんだ」
「この事件? はざくらいんあやめ?」

⇒To Be Continued...

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