聖なる夜に |
作者:
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2007年12月17日(月) 18時44分43秒公開
ID:bUOU.EfeVGs
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『今夜は今年一番の冷え込みとなるでしょう。ところによっては雪が降る見込みです――』 依頼を待ちながら、ただ事務所を開け続けて早くももう二ヶ月。依頼が来る気配はいっこうにない。 僕がテレビのニュースをBGMに本日二回目となるトイレ掃除をしているのも、何もすることがないからだ。 時計を見ればもう午後四時。最近は日が暮れるのも早くなったもので、窓の外には茜色の美しい夕焼けが広がっている。 「うう……寒いよぉ」 真宵ちゃんが言った。 真宵ちゃんの服装はいつもの装束だけ。確かにこの寒さは堪えるだろう。 「何か着れば?」 僕はたずねた。 「えー! だって、この装束は修行中の霊媒師の制服みたいなものなんだよ! 次期家元であるあたしが着てないのはまずいでしょ」 制服だったんだ……っていや、さすがに無理があるだろう。 「いやいやいや。一年中そんな格好でいたら死ぬよ! だいたいもっと寒い地域の人はどうす――」 「寒さに耐えるのも修行のうちだよ」 そんなものなのか? 「霊媒師の修行ってもっと怪しいものかと思ってたよ」 「怪しくなんかないよ――お経を唱えたり、滝にうたれたり、あ! すごいのでは一晩中氷の上に座ってお経を唱え続けたりなんていうのもあるらしいよ」 ……それはもはや修行の域を超えてるんじゃないかな。 「そういうわけだから。今夜は味噌ラーメン食べに行こうよ!」 どういうわけだよ! そんな風に心の中でつっこみを入れながらも僕は思いなおした。 たまには悪くないか、と。 聖なる夜に そういうわけで僕は今、事務所の裏通りにあるラーメン屋にいる。 となりには真宵ちゃん。「寒いから何か着れば?」と何回も言ったのに、結局装束のままだ。「慣れてるから大丈夫」と言っていたけど、見ているこっちが寒くなる。 「おー! いつもにも増しておいしそうだね」 もう恒例となっている店主と真宵ちゃんの会話が始まった。 「誉めても何もでないよ、お嬢ちゃん」 ラーメン屋のおじさんが笑いながら言う。 「そこをなんとか」 真宵ちゃんがねばる。ほどなくして、おじさんがおれた。 「……今日だけだよ」 そう言ってチャーシューをサービスしてくれた。 「いっただっきまーす」 満面の笑顔でそう言うなり勢いよく食べ始めた真宵ちゃんの食べっぷりを、おじさんと二人でほほえましく眺める。 「いつもすみません」 そう言っておじさんの好意にあまえることしかできない自分を時々情けなく思うけど、サービス分の料金をさらりと払えるほど新米弁護士の生活は裕福じゃなくて。 「いいよ、いいよ」 お得意さんだから――そう言って微笑むおじさんに感謝しつつ、僕は割り箸をわる。 程よいくらいに食欲をそそる味噌のスープに、しこしこの面がからみあう味噌ラーメンはここの目玉商品だけあって、いつ食べてもおいしい。 冬の寒気の中、温かいラーメンが冷えた体を生き返らせてくれるようだ。 「おかわりお願いしまーす」 あっというまに食べ終えてしまった真宵ちゃんが言う。 「はい。お待ちどう」 僕は財布の中を思い出し、少し不安になる。 真宵ちゃんの笑顔を見られるのはうれしいけど、僕の財布はそんなに分厚くない。 「兄ちゃん、大丈夫かい?」 案の定おじさんにたずねられる。 「……あと一杯くらいなら、なんとか」 僕は苦笑しながら答える。 「弁護士も大変だね」 「ええ。まだ新米ですし、なかなか依頼もなくて」 おじさんと話しているとついつい本音がでてしまうのは、やはり相手がその道のプロだからだろうか。 「何かあったら頼むよ」 「お願いします」 そんな風に会話をかわしながらラーメンを食べるひと時はとても楽しくて。 「ごちそうさまでした」 おじさんにはラーメン以上になにかもらっている気がする。 「ふー。おいしかった」 真宵ちゃんが食べ終えた。 「ごちそうさまでした!」 僕達はそう言ってラーメン屋を立ち去る。 「また来てくださいね」 おじさんの声に見送られるようにして、事務所に向かって歩き出す。 ビューという音をたてて冷たい風が吹いた。 並んで歩く真宵ちゃんがとても寒そうだ。 「本当に寒くないの?」 「平気だって! しつこいと女の子に嫌われるよ」 真宵ちゃんは笑いながらそう言ったけど。 「へっくしょん!」 盛大なくしゃみが真宵ちゃんのやせ我慢を物語っていて。 「はい」 僕はスーツの上にはおっていたコートを脱いで、真宵ちゃんの肩にかけた。 これ以上寒そうな姿を見ていられなかったから。 「いいよ! だってそんなことしたら、なるほどくんが……」 「大丈夫」 僕のやせ我慢を真宵ちゃんに見破らせないことくらいはできそうだ。 「でも……」 数秒の沈黙のあと真宵ちゃんがおれた。無言のままコートをはおる。 「あ」 二人の声が重なる。 「雪!」 冬の空を見ながら二人並んで歩くその幸せな時間。 それがもう少し長く続けばいいなと願う。 粉のようなその雪に勇気をもらって僕は言う。 「少し散歩してから帰らない?」 そして真宵ちゃんの返事も待たずに商店街にむかって歩き出した。 |
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