依存する存在
作者: カオル   URL: http://www.ab.auone-net.jp/~kaka/   2010年02月28日(日) 18時30分48秒公開   ID:P4s2KG9zUIE
男は目の前の女性を見ていた。メガネの似合うキレイな女性だ
もし、こんな女性とコーヒーショップのカウンター席で隣り同士になったら
つい声を掛けたくなる・・・そんな女性だ

ここにコーヒーをこよなく愛する一人の男がいる。男の職業は精神科医
「アンタの名前をカルテで見た時、男かと思ったぜ」
・・・たまに、そんなふうに云われます・・・
女は精神科医の質問に対してそう答えた―――


総合病院の診療内科の一室に医師と患者が向かい合うように座っている
数日前、この女性は多量の睡眠導入剤を服用して自らの命を断とうとした
発見されたのはほんの偶然・・・芸能事務所のマネージャーとして働くこの女性に
緊急に連絡を取らなければならない用件が出来た事務所の人間が
連絡が取れないのを不審に思い彼女の自宅に駆け付けたのだ


「少しは落ち着いたかい?」


はい、おかげさまで・・・打ちひしがれたようにその女性は俯きながら答えた
この世で最も惨めな人間がいるとすれば
それは自殺をはかって死にきれなかった人間
この女性の場合、幸い発見が早かったので命に別状はなかったが
心に負ったダメージは大きい。これをこのままにしておくと
また同じことを繰り返す可能性がある
事実、意識が戻り死にきれなかったと知ったこの女性は
一時錯乱状態に陥り病室には常に監視する人間がついていた

精神科医はデスクの上にあらかじめ用意してあったコーヒーが入った
白いマグカップを手に取り煽った。今日のコーヒーはいつになくほろ苦い

「どうして今日ここに呼ばれたか判るな?二度とアンタが同じような
真似をしないようにするにはどうしたらいいかを一緒に考える為だ」
「・・・はい・・・」


手元にある資料を見ながら男がつぶやく
「アンタ、随分複雑な家庭に育ったようだな」

何らかの精神的トラブルを抱えている人間は子供の頃からの
養育環境がカギとなってくる。もつれ合い絡みあった心の糸を丹念に解きほぐし
改めて再生するには当人の幼少の頃の家庭環境を知ることは避けて通れない
治療の為とはいえ心の奥底の核心に触れることは男にとっても辛いことだ
ましてや、それが若い女性なら尚の事―――


「・・・私、生まれてすぐに母親がいなくなってしまいました
父親の事はよく分かりません・・・私は親戚の家で育ちました」

私、子供の頃から十分な愛情を受けて育ってきていないので
どうしても向こうからやって来る“人”を拒むことが出来ないんです!
それで今まで随分いい様に利用されて来ました

でも、由利恵さんは違った。彼女は私をいい様に利用するだけの
人じゃなかった!人づてで紹介された芸能事務所のマネージャーの仕事
もともと人と接する事が苦手な私がこの仕事を続けていけたのも
由利恵さんがいたから・・・
そして、ある日彼女は私にこんな話をしてくれました
『私、妹がいたのよ・・・交通事故で亡くなってしまったけど
生きていれば丁度あなたぐらいかしら?』
その時私は思いました。私、由利恵さんの妹になろう
彼女に身内のように愛してもらえたら、どんなにいいだろう、って―――


コーヒーを片手に精神科医は思う。こりゃ典型的な人格依存だな
人を拒むことが出来ない彼女は自らの意思の決定が出来ない
誰かに頼ることを考えてしまう。自分では決められない。常に誰かの指示を待っている

「そんな由利恵さんがいなくなってしまった。私、彼女の妹として生きて行こうと
思ったのに」
「・・・それで彼女の後を追おうとしたのかい?」


手元にある精神科医の資料には婚約破棄が元で自殺を図った由利恵という女性の
事情も書かれていた。男はあまり芸能界の情報には詳しくはない
それでも聞くところによると俳優である男と婚約発表をした矢先に相手の男から
一方的に婚約を破棄されたのだとか・・・

「由利恵さんのような、あんないい人を・・・あの男達は!」
俯くようにしか話さなかった目の前の女性がはじめて憎悪の表情を見せた
女性はもともと身の内に菩薩と般若を住まわせているというが
あまりにも違うその表情がよけいに痛々しい印象を男に与える
もしかすると彼女は先輩マネージャーの死に関して何らかの詳しい事情を知っているのかもしれない




「・・・だながあ、コネコちゃん」
精神科医はそろそろ核心を突く頃あいだと感じた

「アンタの由利恵さんは・・・もういないんだぜ
アンタこれから何を頼りに生きて行くんだい?」
依存する対象を失った彼女はこれから先、新たな依存先を見つけ出すだろう
そして、その依存先に愛してもらおうとするだろう
彼女にとって“愛”=“依存する存在”なのだ

彼女は再び顔を下に向けた
先ほどの憎悪の表情が嘘のように女は目に涙を浮かべながら小さくなった
皮肉な事にそんな様子でも彼女の美しさは少しも損なわれる事はない
むしろそんな様子ははかなげで頼りなげで・・・
男は思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる
彼女は無意識の内に人に愛されるには自分はどうしたらいいのかが身についているのだろう


女は両手で顔を覆った
「ダメなんです・・・私、愛を受けて育っていないから」

精神科は手にしていたマグカップをデスクに叩きつけた
「アンタ、いつまでそんなこと云ってるんだい!」


自分は愛を受けて育っていない? 悪いが俺からしてみれば
それは自分に対する言い訳にすぎねえ。もうアンタは子供じゃねえんだ!
自分の意思で物事を決めて行くことが出来る存在なんだよ!


女が大きくかぶりを振る。乱れた前髪が銀色に輝く眼鏡の縁にかかる
「ダメ・・・私、出来ない!」
「いいかい? 生きるっていうことは自分で決めて行くっていうことなんだよ
最終的に自分の人生は自分で背負っていかなきゃいけねえんだ!」

両手で顔を覆う女性の指の間から心の中の葛藤が流れ落ちる






「・・・私には・・・出来ない!!」








男は掛けていたイスから立ち上がった
そして俯いたまま顔を覆い続ける女性に近づき語りかける


「・・・華宮霧緒さん・・・」
アンタ生まれて来たことを後悔しているかい?




手で顔を覆っていた女性が何かに突かれたように男を見た
男は涙でぬれた女性の目に自分が写り込んでいるのを見る



人は望まれて生まれてくる・・・こんなのは幻想だ!
もちろん愛情に恵まれればそれでいい
だが現実はそうとは限らない
それはアンタが一番よく判ってんだろう?
人は望まれたから生まれてくるんじゃねえ
アンタは覚悟を持って生れて来た存在なんだよ
例えそれがどんな現実であろうとも
生まれて来る命の方が生まれて来ることを望んだんだよ―――













「嘘ッ、そんなの嘘よッ!」










今まで奥深くに押し込められていた彼女の魂が叫び声を上げる
女はいきなり立ち上がり目の前の精神科医の男に掴み掛った






「私は捨てられたのよッ、親の愛情が一番必要な時にッ・・・!」



覚悟を持って生れて来た? 冗談じゃないわッ!
私が・・・私が今までどんな思いで生きてきたか
あなたに・・・あなたに何が判るっていうのッ!






















「私はだた・・・幸せな子供の頃が欲しかっただけなのにッ!」














ただ、それだけだったのに―――
崩れ落ちるように足元にうずくまる女を男が静かに見おろす
それは自分が本当に欲しがっていたものに気が付いた瞬間








・・・幸せな子供の頃・・・







それはどんなに願っても戻ってくるようなものではない
それでも・・・女はやっと自分と向かい合い始めたのだ






「私、久しぶりに自分と直接向かい合ったような気がします」



憑き物が取れたような幾分明るい笑顔でその女性はそう云った
「私、もう彼女の後を追ったりしません・・・」


しかし心の治療は一回やそこらでどうにかなるものではない
周囲は手助けをしてやることは出来ても最終的には当人がどれだけ
自分と向かい合うことが出来るかに掛っている


デスクに戻り精神科医は診察室を去って行こうとするその女性に
ある気がかりなその一点についてだけ注意を与えた











「いいかいアンタ・・・決して“復讐”しようなんて考えちゃいけないぜ」








女が後ろをかえり見る










「・・・失礼します・・・」



男は先ほど自分を映したその眼鏡の奥の瞳を思い出す
しかし、さすがにこの美しい女性の眼にやどる“何か”までは読むことは出来なかった



END




■作者からのメッセージ
実は逆転裁判の女性キャラの中で霧緒さんが一番好きです。以前から兆戦したいネタではありましたが難しかったです。
ゴッドトークを使用して何とかまとめました
追伸:サイトをオープンいたしました!上記のアドレスからどうぞ。


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