帰宅〜父の日〜 |
作者:
柊 睦月
2008年04月13日(日) 14時35分39秒公開
ID:wa0SVdPpSDI
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厚い雲が、空一面を覆っている。外は薄暗く、今にも雨が降り出しそうだ。 そんな梅雨空の下、成歩堂芸能事務所に明るい声が響いた。 「ただいまー、パパ!」 勢いよくドアを開けたのは、ピンク色のシルクハットとマントを身につけた、小さな少女だった。この少女――成歩堂みぬきは、九歳にしてプロの魔術師だ。 「おかえり、みぬき」 みぬきの声に反応し、奥のドアからパーカーを着た男が現れた。特徴的な、とがった髪型。一年ほど前にみぬきの義父となった、成歩堂龍一だ。 みぬきは靴とシルクハットを脱ぎ、家の中に足を踏み入れた。龍一も、散乱するマジック道具をかいくぐりつつ、みぬきに近付く。 「あのね」 みぬきは龍一の方に寄ると、うきうきとした様子で口を開いた。直後、腕にぶら下げているバッグをあさる。教科書やノートが詰められたその中から、彼女は丸められた布を取り出した。 「よーく見ててね」 そう言い、手にしたものを広げる。 それは、派手で大きなパンツだった。ハートマークにヒラヒラ。これが登場したら、みぬきがマジックを始める合図だ。 龍一は何も言わず、派手なパンツを見つめている。 「タネもシカケもありません」 みぬきは、中に何も入っていないことを証明するように、パンツを逆さにして振った。 「何が出てくるかなー?」 彼女は無邪気にそう言うと、パンツに手を突っ込んだ。中身を探る。 「はいっ、こんなのが出てきました!」 言葉と同時に、中から何か細長い物を取り出した。一本の花だ。 それを見て、龍一は詠嘆の声を漏らした。何もないはずの空間から、突然物が現れる――そんな現象を何回見ていても、彼は驚かずにはいられなかった。 「これは、確か……」 龍一は、目の前で現れた花を見て言った。彼女はにっこりと笑う。 「うん、バラだよ」 それは、淡い紫色をしたバラだった。ピンクに少しだけ青を混ぜたような、そんな色だ。 「へぇ、綺麗だね。紫のバラなんてあるんだ」 龍一が言うと、みぬきは嬉しそうに言った。 「今のパパと前のパパ、二人を混ぜると、こんな色になるんだよ」 「混ぜる……?」 「これ、パパにあげるね」 首を傾げた龍一に、みぬきはバラを差し出した。 「えっ、くれるの?」 「うん。もうすぐ、父の日だから」 「父の日?」 龍一はカレンダーを見た。今日は六月十四日、金曜日だ。十六日のところには、ピンクのペンでハートマークが書かれている。 「そうか、父の日か」 龍一は呟いた。それからちょっと微笑む。 「ありがとう。早速飾ろうか」 龍一はバラを受け取ると、辺りを見回した。みぬきのマジック道具がひしめく中、何かを探しているようだ。 そんな龍一に、みぬきは声をかける。 「ね、パパ」 「ん? なんだい?」 「もう一回、みぬきのマジックを見てみない?」 彼女は、得意げな笑みを広げて言った。 「もう一回?」 「うん! パパが探してる物、みぬきが出してあげるね!」 そう言うや否や、彼女はまた派手なパンツに手を突っ込み、中身を探り始めた。しばらく手を動かす。 「――はいっ!」 元気な掛け声と共に、みぬきは何かを取り出した。それは、透明のガラスでできた、細長い花瓶だった。 「どう? パパ、これを探してるんだよね」 龍一は、彼女が取り出した物をじっと見ると、ふっと笑みを零した。 「かなわないなぁ、みぬきには。ありがとう、それが欲しかったんだよ」 「みぬきにかかれば、パパが探してるものなんてすぐに出せちゃうんだから! ――あれ?」 彼女は手に持った花瓶を見て、首を傾げた。 「この中、何か入ってるみたい。ねぇパパ、出してみて!」 龍一はみぬきから花瓶を受け取り、中身を確認した。中に入っているのは、どうやら一枚の紙のようだ。丁寧に折り畳まれている。龍一は花瓶を振り、中身を取り出した。 「これは……作文用紙、だね」 紙を広げながら、龍一が言った。 「あ! それ、みぬきが学校で書いた作文だよ。パパのことを書いたの。さっきまでバッグの中に入れておいたはずなのになぁ……」 みぬきはいかにも不思議そうに呟き、龍一の顔をちらっと見た。 「……みぬき、一体、どこでこんなにマジックを身につけるんだい?」 見事にマジックを続けるみぬきに感心し、龍一は尋ねた。その質問がとても嬉しかったらしく、みぬきはいきいきと答え始めた。 「パパが教えてくれたんだよ。いつか、一緒にステージに立とうね、って話をしながら、優しく教えてくれたの。全部面白いのばっかりでね、毎日とっても楽しかったんだよ。――早く一緒に、大魔術をやりたいなぁ」 みぬきの目には、懐かしさが浮かんでいる。それと同時に寂しさも滲んでいることに、龍一は気付いていた。 彼女は、一日たりとも父親を忘れたことはないのだろう。毎日父親を思い出し、懐かしみ、会える日を待っている。父親を思いながら、毎日マジックを練習している。 表面では明るくても、心の中ではしとしとと雨が降っているのだろう。自分で雲を払いのけ、明るく振舞っている。人に知られないところに、雨雲を隠しておく。 ――彼女の明るさに、どれだけ助けられたことだろう。 龍一は思った。 自分の悲しみを払いのけるだけでなく、人の分まで払いのけてくれる。そんな彼女に、どれだけの人が助けられたことだろう。 「……早く、できるといいね」 優しく、ゆっくりと龍一が言った。 「うん! パパ、絶対見に来てね!」 みぬきはやはり明るい。龍一は彼女に、ただ微笑みを返した。 「あ、そうだ! パパに言いたいことがあるの」 「ん、何かな」 彼女はとびきり明るい笑顔を見せた。そして少しも恥ずかしがる様子を見せずに、 「いつもありがとう、パパ!」 元気よく、はっきりと言った。 ――それはこっちのセリフだよ、みぬき。いつも、ありがとう。 龍一は持っていた物を机に置くと、手をみぬきの頭に乗せ、そっと撫でた。 窓の向こうは、相変わらずの曇り空。それを背景に、花瓶の中でバラが輝いている。 淡い紫色をした花びら。ピンクと青が、綺麗に混ざっている。 父の日の贈り物。それは、一本で二人分の贈り物だった。 |
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