目覚めは貴女の入れた珈琲の薫りで |
作者:
楠木柚子
URL: http://kijyou.rakurakuhp.net
2009年03月25日(水) 10時33分33秒公開
ID:Mv3XwIMvlIA
|
千尋は神乃木の枕元に湯気のたった珈琲を置いた。その薫りを嗅ぐと―――今でも涙がこぼれる。 「お姉ちゃん・・・・もう、やめよう?」 目頭を押さえる千尋に真宵が話しかける。 「もう、三日三晩何も食べてないよ?」 「・・・・ごめんね。真宵・・・・ごめんね・・・・。」 指の間からとめどなくこぼれる涙を見て真宵は黙り込んだ。 神乃木が倒れた時・・・・夢なら覚めてくれ、そう何度も思った。復讐、まだ終ってない。美柳ちなみに・・・・また、逃げられて。 「お姉ちゃん!顔を上げてよ!!下向いてるの、全然お姉ちゃんらしくない!」 千尋は力なく首を振った。 「だって・・・・復讐もまだ終ってない!」 「そっちは検事さんが追ってくれてるから大丈夫。」 「でも・・・・!でも!神乃木さんの復讐受け継げるのお姉ちゃんしかいない!」 そう真宵が叫んだ時、病室のドアが開いて御剣怜侍が入ってきた。 「・・・・検事さん・・・・。」 怯えたような真宵を無視して御剣は脇の椅子に上着をかけた。 「・・・・まだ、目は覚めないのか。」 「・・・・。」 「美柳ちなみだが・・・・。証拠不十分で不起訴になった。申し訳ない。」 「・・・・謝ることではありません。」 分かっていた。あの状況で毒薬の入手経路もはっきりしないまま裁判。そんな甘いことがまかり通る司法制度ではない。 「随分と取り乱しているようだが。」 「・・・・ごめんなさい。」 そういう間にも千尋は顔を上げなかった。御剣は椅子に座ると言った。 「足を止めるつもりか?」 「・・・・え?」 「ここで足を止めるつもりなのか?」 「・・・・分かりません。」 神乃木さんがいなくなってまで復讐を続けられるほど私は強いのだろうか。 「・・・・・・・・。」 真宵が御剣を睨み付けた。 「もしここで歩むのをやめるというならば・・・・ここでお別れ、だな。私は貴女と一緒に立ち止まっているほど暇ではない。」 「・・・・貴方は・・・・復讐を続けるのですか?」 御剣は目を伏せた。 「彼女がボロを出さない限り、追い詰めるのは不可能だ。」 ・・・・一度手にした彼女の尾は千尋の手からこぼれ落ちた。 (―――神乃木さん!?) ―――神乃木荘龍と共に。 いっそ死んでしまいたい、そう考えたこともあった。神乃木先輩が目覚める確率はほゼロパーセント。 それでも―――。 いつか目覚める時には私が傍にいたい。そんな甘い幻想を抱いて。 御剣は顔を上げた。 「それでも私は悪を追い詰める。検事としての、使命だ。決してうつむかない。・・・・だから千尋さん、貴女も前を向きなさい。そして機会を待つんだ。貴女が下を向くことを・・・・。」 そして目を神乃木の方へ向けた。 「彼も望んでいない。」 「・・・・・・・・。」 御剣は上着を持つと立ち上がった。 「止めるのは簡単だ。だが、止める前に一度、努力というものをしてから止めなさい。・・・・そこまでして・・・・。」 御剣はドアを開けた。 「あなたが現実から逃げたいのなら。」 扉が閉まると真宵は怒ったように千尋を見た。 「今の検事さん酷いねぇ・・・・。お、お姉ちゃん?」 真宵が見た千尋の顔はもう、下を向いてはいなかった。 諦めない勇気。 うつむかない強さ。 その目には決意の光。 ―――貴方が元気だった時・・・・。私は貴方に想いを伝えられていたでしょうか? ―――もし、伝えられていなかったのなら。今度貴方が目覚めた時にはきっと傍にいて、一番にこの想いを伝えます。 御剣検事の厳しい言葉は優しさの裏返し。 真宵の非難は私を思ってのこと。 そして貴方が、私に復讐を受け継ぐことを望むのならば・・・・仰せのままに。・・・・先輩。 (急にお見舞いに行くなんてどうしたの?) 真宵は困ったように聞いたが喜んで霊媒してくれた。 (ここ数年、行ってなかったから。顔、だけでも。) 本当は違った。・・・・予感がした、なんとなく。今日、また先輩に会える・・・・。そんな幻想を。 病室に入ると神乃木は数年前と同じ格好で寝ていた。まるで彼の周りだけ、時が止まっているかのように。 「先輩。」 千尋は呟いた。 その一言で彼が目覚めることを願っていなかったわけではない。そんな事ありえないと、分かっているのに。それでも祈ってしまう。・・・・それほど愛しているから。きっと五年という年月はあまりに長すぎた。・・・・二人を繋ぐには。しかしあまりに短すぎた。・・・・二人を離すには。 ふと、千尋は何かが足りないことに気付いた。 珈琲。 あれを枕元に置かなくては先輩は先輩ではない。千尋は鞄から挽いたコーヒー豆を取り出した。カップにお湯を注いで枕元に置くと懐かしい声が、した。 ずっと望んで―――。 求めて―――。 その時が来ることを。 もう開くことのない神乃木の目。それでも彼の心には珈琲の薫りとそれを入れた主が分かっていた。深い眠りの中でも、ずっと愛し続けていた、その主を。 「チヒロ・・・・?」 目覚めは貴女の入れた珈琲の薫りで―――。 |
|
■一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集 |