笑顔
作者: 幸   2009年08月15日(土) 17時00分20秒公開   ID:HKDR9rnLXa2
「せん・・ぱい・・?」
自分の声とは思えないような音が、喉から出た。
(ち・・千尋クン!はやく・・・・早く病院に行くのじゃ!)
ひどく取り乱したようすの先生から聞かされたこと。
(神乃木クンが・・!美柳ちなみに・・・・)
最後まで聞かずに事務所を飛び出した。
聞いてしまうのが、怖くて・・逃げたって何も変わらないのに。
その本能からか、足はいつの間にか病院へ向かっていた。
―――でも。
今あたしが見ているのは・・・・あたしが知っている先輩じゃ、ない。
時間が止まっているかのように、ピクリとも動かなくて。
いつも見ていた黒髪は、いつのまにか真っ白で。
今朝、事務所でいつも通りにコーヒーを飲んでいた、口。
(・・チヒロ・・)
一度だけ、名前で呼んでくれたこの口も・・・・音を発しない。
あたしをいつも見てくれた目も、ちょっとイジワルな、その笑顔も。
となりにいてくれたことが、心強かった。
それだけで、前を向けた。
あの裁判から、もう泣かなかったのも・・・・この人が、いたからだった。
現実から目を逸らして見上げた空には、幾千もの星―――
先輩が眠り始めてから、時間はちゃんと動いていた。

「今日、あの女に会うことになった。」
朝、いつも通りに出勤した事務所で、先輩が言った。
<あの女>先輩が、そう呼ぶのは―――
「美柳ちなみ・・・・ですか。」
あたしの始めての裁判から、5ヶ月。
先輩とあたしは、あの裁判を―――いや、美柳ちなみを。ずっと、調べてきた。
「電話で呼び出したときも、すました態度だったぜ。」
オレはあんな女は趣味じゃねえ。
そう呟いて、淹れたばかりのコーヒーをすすった。
「・・・・彼女、来るでしょうか。」
「来るさ。あの事件の話を出されて、黙っているはずがねえ。誰から見ても、あやしいのはあいつなんだ。」
・・・・そう。そうよね。今度こそ・・・・
あんな悲しい終わり方をした、裁判のために。
最後まで彼女を純粋に信じた・・・・そして、あたしに(ありがとう)って言ってくれた、尾並田さんのために―――
終わらせなきゃいけない。
「先輩、あたしも行きます。」
顔を勢いよくあげ、そのまま言った。
先輩が顔だけこっちを向く。
「残念だが・・・・向こうさんが、(あなたお1人でいらしてくださいね。)っていうもんだからよ。
今日はコネコちゃんは留守番だ。」
「そ・・そうなんですか・・・・」
美柳ちなみのマネかしら、今の・・・・
似ているのか分からない微妙なモノマネだ。
「クッ・・やっぱりコネコちゃんには笑顔が似合うぜ。」
「え?」
あたし、笑ってる?
自分では気づかないうちに、微笑んでいたらしい。
ちょっと嬉しそうに微笑む先輩を見て、気づいた。
ああ・・・・そうか。
あたしに、心配させないように。
あの裁判から笑いさえしなかったあたしを。
「先輩、モノマネ・・・・微妙ですね。」
今度は、ちゃんと笑った。自分の意思で、笑って言った。
「クッ・・!練習しておくとするぜ。」
この5ヶ月で、少しだけ。先輩を、知った気がした。
恥ずかしいから、もちろん本人には言わないけど・・・・
先輩の後ろをついていくばかりなあたしが、いつか。
この人のとなりを堂々と歩ける日が来ますように。
「おっと・・・・そろそろ時間だぜ。」
カップをテーブルに置き、いつものようにズボンのポケットに手を入れて立ち上がる。
「じゃあ、行ってくるぜ。コネコちゃん。」
体ごと少し振り向いて、いつもの笑顔で言った。
「はい。行ってらっしゃい、先輩。」
その後姿に、少しだけ。イヤな予感がしたのは、ウソじゃない。

―――待ってた。でも、やっぱり。
あたしの手が先輩に届く前に、先輩は進んでしまう。
もう、後ろも歩けないんだ。
目の前の光景が、急に現実に見えてくる。
その証拠に、目から溢れ出た涙は止まらない。
<悲しい>という気持ちの象徴・・・・
先輩の突然の眠りを、脳は・・体は、理解してるんだ。
ついていけていないのは、先輩との・・・・思い出。
思い出が、現実を受け止められないでいる。
先輩にもらった、たくさんの言葉。きっと一生忘れない。
いつもあたしの背中を押してくれたんだ・・・・
先輩がいなきゃ、あたし・・何も・・
(オトコが泣いていいのは、全てを終えたときだけ、だぜ。)
「・・・・!」
先輩の声が、いきなり頭に響く。
あの、裁判のとき。先輩に・・・・言われた言葉。
全てを、終えたとき?
あたしは、何を終えた?5ヶ月間、先輩と一緒に追いかけた、あの事件。
先輩が、危険を犯してまで解決しようとした、あの事件。
まだ、何も終わっていない。
「先輩・・・・」
また、背中。押してもらっちゃいましたね。
お返しに、あたしが・・・・必ず。
良いニュース持ってきます。
「待っててくださいね。・・・・先輩。」
コンコン
遠慮がちな音が病室に響き、ドアを少し開けて看護婦さんが顔をのぞかせた。
「面会時間が、もう少しで終わりますが・・・・」
こちらを気遣ったような声色。先生が何か言ってくれたのかな。
「はい。今出ます。」
そう返事をして立ち上がった。
また来ます。先輩。
心の中でそう言って、先輩が似合うと言ってくれた笑顔を向けた。

信じます、先輩。また、会えるって。

「綾里弁護士?」
裁判所のロビーで、懐かしい声を聞いた。
「御剣検事・・・・」
こっちに歩いてきた彼を見て、ソファーから立ち上がる。
「お久しぶりです、御剣検事。」
「・・・・今日は、弁護で?」
1年ぶりだもの。驚くわよね。
「ええ。ある事件で。弁護士として法廷に立ちます。」
「そう、だったか。」
そう言ってあたしの見ていた資料に目を向けた彼は、いっそう驚いた表情になった。
「この・・・・名前は・・」
「・・美柳ちなみ、ですか?」
資料を拾い、証人の名前を読み上げる。
「な・・何ッ?美柳ちなみ、だと?」
「え?」
あたしの手から資料をひったくって、名前を睨みつけるような目つきで見ていた。
「あ・・あの、何で驚いたんです?」
声をかけられて、我に返ったかのように資料から目を離した。
「う・・うム。この、被告人・・・・」
被告人・・?
「成歩堂龍一くん、です。」
「どんな・・少年なのだろうか。」
なぜそんなことを、と疑問に思いながらも、特徴をひとつ挙げた。
「髪の毛が・・とがっていますけど・・」
一目見たときから、印象に残るのはやっぱりあの髪型だ。そして、御剣検事にはその情報で十分だったらしい。
がっくりと肩を落として、言った。
「こいつは、私の友人だ。」
「え・・ええ?」
思いがけない言葉に、変な声が出る。恥ずかしさを隠すために、聞いた。
「どんな・・人ですか?」
御剣検事は少し困った顔をした。
「・・・・バカでドジで、人を疑うことを知らないアホで・・」
・・ひどい言われようね・・
「・・だが・・」
そこで言葉を切った御剣検事を見上げる。
「だが奴は、殺人などという事は絶対にしない。」
まっすぐ目を見て言われた言葉に、ウソはなかった気がした。
「どうか、あいつを助けてやってほしい。」
そう言って頭を下げた御剣検事に、言った。
「ええ。もちろんそのつもりです。彼を・・・・信じてますから。」
御剣検事がわずかに微笑む。
「じゃあ・・・・そろそろ。」
「ああ。・・・・綾里弁護士。」
「はい。」
少し躊躇した後、静かに聞いてきた。
「神乃木弁護士は・・」
それだけ言って、首を振った。いや、やめておこう。失礼。
そう言って立ち去ろうとした彼の背中に叫んだ。
「それも!」
驚いて振り向く検事に続ける。
「それも、信じています。必ず、また。目を覚ましますから。」
微笑むと、御剣検事も安心したように笑った。
「法廷で、また。」
そう言い、歩いていく彼を見て思った。
いろんな人に、心配されて、支えられてきたんだ、と。
きっとみんな、ヒトを思う気持ちに支えられて、生きてる。
どんなにつらくても、悲しくても。乗り越えていけるのはそのおかげなんだ。
それを忘れちゃいけない。
「せ・・先生!う・・お、おはようございます!」
ファイルを持って立ち上がったあたしに、元気なあいさつがかけられる。
「おはよう、なるほどくん。」
(弁護士はなあ。ピンチのときほど、ふてぶてしく笑うもんだぜ。)
・・ええ、先輩。
笑って見せます。見ていてください。
待っていてくれますよね、先輩。
大切なヒトを守れるくらい、強くなるまで。
あたしがあなたのとなりを、胸を張って歩けるようになるまで。
■作者からのメッセージ
少し、長めにしてみたつもりなのですが・・・・
また、ご感想お願いします。
変なところは、指摘お待ちしてます。

■一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集