無敗の男
作者: カオル   2014年11月29日(土) 08時57分30秒公開   ID:P4s2KG9zUIE
「もう、ここまでのようだね」

目の前に並んだカードを眺めながら、ややけだるい調子でそのように話し掛ける。向かい側に座る話しかけられた方の相手は、ただ信じられないッ、とでも言いたそうな表情で出されたカードを凝視していた。
「君の負けだよ」
そう言いながらテーブルの上に広がったトランプを寄せ集めると、再びそれをひとつにまとめあげた。しかし相手は、なかなかこの場から立ち去ろうとはしない。すでに勝負はついている以上、ここに留まる理由は無いはず。わざわざポーカーの勝負を挑みにくる客だけの為に、たまさか存在する店の地下にあるこの場所で一戦を交えるのだが、ここでは金銭のやり取りは一切ない。ただ純粋にゲームをするだけの場所だ。元はと言えば客とのたわいないお遊びから始まった事だ。しかし、今ではポーカーでの勝負を挑む事を目的に来店する客が頻繁にここを訪れるようになった。そんな酔狂な客を相手にこの地下室でチップを賭けたゲームに興じるのが、ささやかながらもレストランの売り上げに貢献し、ひいてはピアノが弾けないピアニストの収入にも繋がっている。だからこそ、金銭を賭ける勝負ではないが、決して負けるワケにはいかない。“無敗の男”でなければ、この店にいる意味がないからだ。勝負というものは相手の性格が色濃く出るもので、はなから金銭が絡まないゲームに興味を示さない者もいるが、一度その本能に火が付くと、なかなか負けを認める事が出来ない。これはギャンブルで身を持ち崩す者に共通している人間が所有する感情のひとつだ。そして今、目の前にいる者もこの感情にとらわれ、なかなかここを動けずにいる。
「もう、あきらめなよ。君は決してボクに勝つことは出来ない」
この言葉に余程プライドを傷付けられたのか、相手は睨みつけるような視線を向けた。勝負は一回限り。自分のチップを先に全て失った方が負け。しかし、相手は今一度の勝負を申し出る。
「でも君には、もう賭けるものがないんじゃないかな?」
それでも常軌を失った者に、この理屈は通らない。
「……えッ……本気で言っているの?」
この時、先方が口にした条件に耳を疑い再度、聞き返した。そんな自分に対し相手の方は、同じ事を二度言わせるのかと、叱責するように言い返す。後悔しないのか、と念押しするも、その信念に変わりはない。仕方なしに再びカードを手に取ると慣れた手つきで、それを切った。そして、公平を期す為に相手にも同様にカードを切らせる。これでカードに細工をしたなどの文句は一切言わせない。今度こそ勝負は一回限り。これでボクが負ければ、無敗の男と言う伝説は終を告げ、この職を失うだろう。決して豊かとはいえない状況で一人娘を養っていかなければならない自分として敗北は即、経済的な打撃を伴う。これは以前、付いていた職業となんら変わりが無い。結局のところ、ボクはこうしてギリギリの所を生きていく運命なのだろう――。
「君が、そのカードに手を付けた時点でもう後戻りは出来ない。引き返すなら今のうちだよ」
そのように話しながらテーブルの上に交互に五枚ずつ配られたカードを見る。そんな警告にも関わらず相手はカードを手にすると鋭い視線をこちらに向けた。以前、ボクが弁護士だった頃。自らの勝利にこだわる検事と何度か法廷で矛先を交えたが、そのうちの一人は、やたら完璧な勝利に執着しボクを倒す事に非常なこだわりを見せる女性検事だった。そんな彼女にボクは法廷で相当、手を焼いたものだが、そのような過去を持つ女性と久しぶりにこうして再会を果たした。既に弁護士ではなくなっていた男と再び法廷で会いまみえる機会を失った彼女は、代わりポーカーでの勝負を申し出た。それ程までに、この女性はボクに勝利する事に執念を燃やしていると言う事か――。実は、今一度の勝負をボクに納得させる為に、彼女は自身の提供を申し出て来た。貞操というものは金銭とは違い、法的には特に問題はない。
「君はクレバーな女性だ。割に合わない事は決してしないんじゃないかな?」
配られたカードに記された赤と黒の数字を見ながら、そんな事を話し掛けてみる。
「そう?」
しかし、相手の方はそのような問いかけに揺さぶられる事無く、手にするカードの内の何枚かを中央に積んであるトランプの山と入れ替えた。こういった場合、実感として概ね女性は大胆な勝負に出る事が多い。そのような出方に引きずられること無く確実に詰めていく事が必要となってくる。カードのチェンジは一回きり。この勝負の場合、僅差であろうと大勝しようと勝は勝だ。
「あなたの番よッ」
新たな手札を一瞥した女性が、そのように促す。この時点で、それまで優位にあったボクの中の核心が違和感へと変った。彼女は全てのチップを失った時点で負けを認めず、最後の勝負に賭けるものとして、自分自身を提示して来た。プライドの高い女性が自分自身の身体を犠牲にしてまでポーカーゲームに勝ちたいだろうか? 実際の裁判で勝てなかった腹いせに、無敗の男に勝利したい気持ちは理解出来る。しかし、それにしてはあまりにもリスクが大きすぎるのではないか? 彼女に対する当初の読みと違い何かが狂い初めていた。こんな状況は初めてだ。例えようもない不安が無敗の男を支配する。しかし今更、ゲームを下りる訳には行かなかった。一度、勝負を受けた以上、必ず勝たなければ、もうここにはいられない。
「ショー・ダウンだッ」
お互いのカードを表にして、それぞれの前に置く。結果はボクの勝利だった。この時点で、彼女が逃げ出してくれでもしたらよかっただろうが、彼女は逃げもせずに、その場からこちらの出方を伺っている。
「これで、ボクは君を抱かなければならなくなったね……」
ここへ来て男は、ようやく全てを悟った。
「すっかり騙されたよ。君は、いつからボクの事をそんな風に思っていたの?」
彼女がここへやって来たのは勝負に勝つ為ではなく、弁護士でなくなった男に逢う為だった。勝負に夢中になり自分を見失った女を演じながら、確実に無敗の男を手に入れる……全ては彼女の計算通り。
「お店は、何時に終わるの?」
「後、30分程。店の正面に深夜まで営業しているコーヒーショップがあるから、そこで、待っててよッ」
「今……キス位は、構わないでしょう?」
「もちろん……狩魔検事」
そう言いながら、かつて天敵だった女性と唇を合わせる。それはボクがポーカープレイヤーとなって初めて負けを認めた瞬間だった――。


END

■作者からのメッセージ
久々の投稿(^_^;)

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