相棒vs逆転裁判 〜スティルメイト〜
作者: カオル   URL: http://www.ab.auone-net.jp/~kaka/   2013年11月25日(月) 22時04分39秒公開   ID:P4s2KG9zUIE
「一体、何があったんですか?」

ここ日本の行政庁舎が多く立ち並ぶ霞が関にある建物の一室。後ろには警察庁を背負い、眼下には皇居外苑を望むことが出来る。そんな首都東京の治安を守る警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策第5課のデスクが並ぶ脇を通り抜けるようにたどり着いた入口に何故だか人だかりが出来ていた。
「おお、カイト。ようやく戻って来たなッ」
そこには、いつもコーヒーをねだりに来る先述した部署に所属する課長職の男が室内の手前で遠慮するかのように中の様子を伺っていた。視線の先にはチェスボードを前にして考え込んでいる自分の上司と見慣れぬ人の後姿が見える。
「おまえさあ、警部殿と一緒にいる男が誰だか判るか?」
こちらからは背中しか見えないのが、アッシュグレイの髪に赤いスーツ。襟や折り返しの部分は濃い目の色で袖口には金色のボタンが光っている。
「あの人、検事局長だよッ」
そう小声で自分の耳に話しかけてくる。特命係の狭い室内には上司と検事局長ともう一人我々と同じように二人の男の様子を控えめに見守る女性が入口の近くに立っていた。あとで聞いた話では彼は、このたび異例の人事で誕生した日本国内における最年少の検事局長。その経歴は、わずか二十歳の若さで検事としてデビューし法曹界でその名を知らぬ者はいない天才検事だそうだ。そのような人物が何故、警視庁の窓際部署と囁かれているこの場所にいるのだろう? 
「この度の人質籠城事件は、思わぬ犯人を導き出しましたね」
刑事である男が手元にあるポーンを前に動かした。
「長年追い続けていた犯人が警察関係者であったのは衝撃でした」
そう答えながら赤いスーツの男が、ガラス性の駒にゆっくりと手を伸ばす。
「七年間、無実の人間を死刑囚として拘束していたのだ。我々にも責任がある」
「だからそこ今回敢えてご自身の立場を顧みず、自らが検事席に立ったのではありませんか?」
ポーン達が前進する中、特殊な動きをするナイトの駒がその間を駆け抜けるように進んで行く。
「なあチェスのルールって知ってるか?」
この問いかけに皆首を横に振る中、その場にいた見知らぬ女性がこの西洋のゲームについて説明に入った。
「今さっき、あちらの警部さんが動かした駒が日本の将棋で言うと『歩』にあたる駒です。ポーンは基本的に前に一つ進めるだけで、ルーク(城)は縦横いくらでも進めます。ナイトは『桂馬』のような役割で、ビショップ(僧正)は『角』のように斜めにだけ動きます。クィーンは一番強力な駒で縦横斜め、いくらでも動かす事ができ、キングは『王将』と同じで縦横斜め一歩ずつしか動けません」
その女性は背筋をまっすぐにした腰から斜め四十五度に傾けたお辞儀を披露する。
「私、御剣検事局長の秘書でございます。この度、就任されました局長の秘書官を仰せつかってからは、プロとしてお仕事のスケジュールから趣味にいたるまで、全てを把握するように努めております。御剣局長の愛飲される紅茶の銘柄、大切な衣装をお任せするクリーニング店、ご趣味であるトノサマ……コホンッ……大切なコレクションの収集。そして執務室にまで置く程に愛しておられるチェスのルールに関しても日々、学んでいると断言させて頂きますッ」
そして秘書官の女性は一枚の名刺を課長職である男に差し出しながらこう言った。
「私、こう見えて以前はCAを務めておりました」
どのような事情で元CAが検事局長秘書になったのか知らないが、今こちらに背中を向ける自分とあまり変わらない年齢の男が日本の裁判員制度導入に貢献し、この国の全ての検察官と各地方検察の長としてその職務に就いている。
「警視庁の天才警部と検事局の若き天才の勝負って訳か……で、今どちらが優勢なんだ?」
「拝見いたしました所、現在、若干御剣検事局長の方が優勢のような気がします。チェスの序盤は中央を制した方が有利なので」
チェスにも定跡というものがあって、序盤はセオリー通りに進むのを良しとし、勝負は中盤から変化するそうだ。
「おい、どうしてポーンは前に一歩しか進めないのに横にあったヤツが取れたんだ?」
「通常、ポーンは斜め前の敵駒しか取れないのですが、敵側のランク(横の行)4行以内に入ったポーンは横に並んだ相手のポーンを斜め前で取るように進む事が出来ます。これをアンパッサンと言います」
「今度はポーンが違う駒に変わったぞ」
「あれはプロモーションと言って、前にしか進めないポーンが敵陣の奥にまで到達した場合、それ以上は進めないので違う駒、クィーン、ビショップ、ナイト、ルークのいずれかに昇格出来るのです」
そのように云いながら、秘書の女性は自分の手首の内側にある時計の時間を気にしながら何らやモジモジし始めている。
「トイレなら、この部屋を出て右側だよ」
言われた相手が一瞬ぽかんとしたあと急に怒り出すように言い返した。
「違います! この後、局長には大切なお約束が入っていて、私はその時間を気にしているのです!」
「杉下警部」
そんなやり取りが耳に入っているのかいないのか、ゲームも後半に差し掛かってはいたが二人は全く囚われる事無く透明に輝く駒を動かし続けている。
「あの後、あなたについて調べさせてもらった。杉下右京、東京大学法学部を卒業の後、キャリアとして警視庁に入庁。その後、スコットランドヤードの研修を経て、警視庁刑事部捜査二課に出向。そして現在は、窓際部署である特命係所属……いかがかな?」
そう話しながら検事局である男がチェック(王手)を掛けてきた。
「そこまでご存じでいらっしゃるとは、恐れ入ります」
すでに見るものからは戦局の優劣は決まったものとなっていた。しかし追い詰められた窓際部署の男がチェス盤の市松模様の上に顔を向けながらも視線は向かい合う男の後ろを見ている。
「さて、どうするかな? 投了するか、それともわざとスティルメイト(引き分け)に持ち込むのも負けない為の一つの手段だ。チェスでは兵力不足や限られた動きしか出来なくなったなどの条件がそろえば引き分けが認められている」
「おっしゃる通り、チェスでは負けになるよりは引き分けに持ち込む方が上手とされています。しかし、僕はこう見えてかなり諦めが悪いのですよ。少しでも相手のチェックメイト(王手詰み)が回避できる可能性があるならば、決して自らの負けを認めるべきではありません」
「局長、次のお約束の時間が迫っております」
その時、申し訳なさそうにしながらもしっかりとした口調で秘書である女性が割り込んで来た。もう出発しませんと、法務大臣をお待たせする訳には……そう小声で付け加える。
「なるほど、私は背を向けていて分からなかったが、あなたは秘書の様子を見てこのゲームが最後まで行き着くことは無い……そう踏んでいたと言う事か」
残念そうにその場から若い検事局長が立ち上がった。かつて王侯貴族が相手の場合、体面をつぶさない為に引き分けというルールが生まれた。チェスは三大棋類の一つ。戦術と戦略を駆使し、何よりも先を読む事が重要視される。
「次回、お会い出来た時の為に今日の棋譜を残しておきますよ」
「では、いずれ又、お会いしよう」
「ハイ、楽しみにしております」
二人して、お互いに手を差し伸べ挨拶した後、若い男の方がこちらに向き直った。その表情は眼鏡の奥の灰色の瞳が細く輝き、眉間に深い皺を浮かべながらも天才が醸し出すオーラに溢れていた。
「スゴイ……素敵ッ」
長めに出来たジャケットの裾をひるがえしながら秘書を従え去っていく後ろ姿を見送る女性警察官の中から感嘆の声が漏れる。確かに同性の目から見ても綺麗だと思える顔立ちだった。
「まだ独身だってさ、お嫁さんに立候補してみたらどうだい?」
「ええ〜ッ、私なんか絶対に無理です〜!」
うっとりしている娘位の警察官にそんな戯言を口にしながら手にした名刺を改めて見た。
「あの秘書《木之路 いちる》って言うのか、変わった名前だなあ――」
「杉下さん」
ようやく自分のデスクに戻ることが出来た時、駒の配置を見ながら棋譜の数字とアルファベットを手帳に書き込む上司に向かい声を掛ける。
「ゲームに負けて、勝負に勝った……そんな感じですね」

その言葉に警視庁の天才がペンを走らす手を止め、こちらを見ながらニヤリと笑った。


END


■作者からのメッセージ
杉下右京、御剣怜侍 バンザ〜イ!

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