相棒vs逆転裁判 〜赤い検事の憂鬱〜
作者: カオル   URL: http://www.ab.auone-net.jp/~kaka/   2013年10月09日(水) 18時48分27秒公開   ID:P4s2KG9zUIE
それは初めての感動だった――。


赤と黒が混在となった深い色合い。舌の上を通過し喉奥に流れ落ちるそのわずかな瞬間に感じた驚きは、今まで自分が口にしてきたものは一体何だったのだろう、と疑問を抱かざるを得ない。これに比べれば、そこらへんにあるものなど水で薄めたジュースにアルコールを添加させただけのまがい物だ。それくらい意識を変えられる程、この酒は本当に葡萄から作られていることを実感させてくれる素晴らしい一品だった。
「どうだ、 君の口に合うか?」
ボクの反応を目の前に座る男が見守っている。
「……まいったね。こんないいモノを飲むと、今までの酒が飲めなくなる」
一般的なタイプよりも深く大きく作られたグラスはその香りをも余すところなく味わう為。高層階から眺める夜景の素晴らしさに加えて、高級なワインを出す専門バー。今のボクには懐具合から考えて、とても足を向けられるような場所じゃない。いや、それは弁護士時代から変わらないか……。
「成歩堂」
手にするグラスの中にある液体と同じ色のスーツに身を包む友人は、改めてこちらに視線を向ける。
「今、法曹界は暗黒の時代を迎えている。我々はそれに終止符を打たなければならない」
「御剣。君は本気で、日本の法廷に一般の人を参加させるつもりなの?」
そう云いながら静かに足の長いグラスをテーブルの上に置いた。当時、二十歳という最年少で検事としてデビューし、その後も法曹界で活躍し続ける天才は、日本の裁判の歴史を塗り替えるこの一大改革を自らの躍進の原動力としている。
「その為に君を裁判員制度シュミュレーションの法廷委員長に推薦しておいた」
彼が目指すところの、裁判員制度とは英米で行われている陪審員制度に似ているが、無罪有罪の評決に関与するだけでなく、量刑に置いても裁判員として無作為に選出された人達の意見を取り入れようとするもので、日本独自の制度を目指している。一般の人をも巻き込むのだから、各方面に渡るその影響力は計り知れない。しかし、海外の法廷で研鑽を積んできた男は、その実現に向けて着実に歩み続け、それは現実のものになろうとしていた。
「ところで、どうして今日はここに誘ってくれたんだい?」
自分がこの店に入る時、ダークなスウェットパーカーに足元はサンダルといったラフな服装の為、幾分の勇気が必要だったことは言うまでもない。彼の説明によると先日、仕事で知り合った警視庁に出向中の警察庁キャリアの人間にこの店に案内されたそうだ。彼の口から出た長たらしい役職名は警察組織に詳しくない自分の記憶にはとどまらなかったが、ピルイーターという仇名だけが妙に印象に残った。そして彼が裁判員制度実現という理想の為に様々な人達と面識を持つようにしているのだと言う事も理解出来た。
「その時に勧められたこの酒の味が、どうしても忘れられなかったのだ」
だったら、そいつと又ここに来ればよかったろうに……法曹界だけでなく警察上層部にまで人脈を持つ旧友と今の自分とでは、あまりにも置かれている環境が違いすぎる。それでもこうして時々、お互いに会って話しをする事が出来るのは小学校時代の幼馴染という繋がりがあればそこなのだろう。人は大人になると学歴や社会的地位などを越えた関係を築く事は難しい。
「お前さあ、仕事もいいけど……少しは私生活も考えたら?」
検事という役職にあり容姿にも恵まれている彼が、今もって独身を貫いている。
「このままだと、同性愛者だと誤解されるぞッ」
そういうと、カラカラと笑いながら再びグラスを持ち上げそれに口を付けた。ボクとしては軽いジョークのつもりだったのだが、相手の男は思いのほかシビアな表情でこちらを見ている。
「成歩堂。君は時々、自分が意図しない形で物事の核心に踏み込んでくるな」
「何だよ、そんなに気にさわったかい?」
だったら謝るよ……そう言葉を続けるボクに対し、彼が視線を外して遠くを見た。御剣、君は仕事ばかりでなく、もう少し自分の幸せについて考えてもいいんじゃないかな? まあ、結婚もしていないのに子持ちになったボクが言える事じゃないけど……でも、子供って案外いいもんだよ! しかし、赤い検事は前髪の奥に作られた眉間のヒビをさらに深くしながら、憂鬱そうにつぶやく。
「やはり、この歳まで独身でいると、そのように見られるのか――」
「んッ……今、何か言ったか?」
何気なく今、聞こえた言葉について尋ねるボクに相手の男は何も言わず、グラスの中にあった最後の一滴を黙って飲み干し、静かにテーブルの上にそれを置いた。



END


■作者からのメッセージ
保守的な世界で三十代独身となりますと…様々に憶測を呼ぶことになりそうです!

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