〜立ち合い〜
作者: カオル   URL: http://www.ab.auone-net.jp/~kaka/   2012年09月02日(日) 23時36分14秒公開   ID:P4s2KG9zUIE
初めて訪れたその空間は、当初想像していたよりも小ぎれいで近代的であった。髪の毛一本落ちていないのではないか、という程にきれいに清掃され目の前のガラス面は曇り一つない。まるでモデルルームを想わせるような全く生活感の無い所。しかしそれも道理、この場所は年に数回、もしくは長期間使用されない可能性もある場所なのだから―――。

勤務中、私は上司にあたる人物から呼び出しを受け奥にある部屋へと通された。そこには直属の上司の外にさらにその上の役職にあたる人物の姿まであり、何やら厳しい表情を浮かべている。ただならぬその雰囲気に、これから聞かされる話しが大変重いものである事は新米検事であった私にも容易に察しがついた。少し辺り触りの無い話しをした後、私の直属の上司が切り出し始める。
「先日の内閣改造人事で法務大臣が代わったのは、君も承知していると思う」
確かに、ここしばらく安定した政治運営で長く法務大臣の職についていた者から、新しく警察官僚出身の大臣へとその職が移った。おかげで多くの書類には新しい大臣の名前と印が必要とされている。
「その新しい法務大臣が先日“執行命令書”に決裁を行ったのだ」
ここへきて私はようやくこの場に漂う空気の意味を理解した。大臣が行った決裁、それはま紛れもなく《死刑執行命令書》だ。通常、裁判で死刑が確定しても速やかにそれが実行される事はない。そこに至るまでには確認しなければならない様々な条件があり(身体や精神の病、女性の場合、妊娠など)この外に就任した人物の考え方や信条により命令書へのサインを行わない場合もある。しかし一度、法務大臣による命令書に決裁が行われた以上、五日間以内に刑は執行されなければならない。
「そこでだ」
上司は、ゆっくりと私に話し掛けて来た。
「今回は君に、その執行に立ち合って貰いたい」
現在の法律では死刑執行の際には検察官、拘置所長、医務官など多くの人間が立ち合う事となっている。法律が一人の人間の命を奪う為には多くの時間と手続きが必要とされている。それだけ人命は重いという事か。
「まだ年若い君に、このような事を頼むのはどうかと思ったのだが」
最年少で司法試験に合格し、まだ二十歳を迎えたばかりの私に上役が心配そうな目をしてこちらを見る。しかし、私は二つ返事でその役目を引き受けた。元々、検事職を志すようになったのは子供の頃に父親を殺害された事件がきっかけ。父と同じ弁護士を目指していた私だが、敬愛する父を失った悲しみは強く犯罪者を憎むという形となり今の私を成している。そのような自分が死刑執行の立ち合いを断る理由など何処にもない。

この国には厳然として死刑制度が存在する。ならば誰かがそれを実行しなければならないのだ――――。


それからの数日、私は執行の為の準備に忙殺される事となった。法務大臣が命令書にサインをしてから五日以内に刑を執行しなければならないのは前述した通りだが、実際にはその五日目が多い。まず、該当する死刑囚が拘置されている拘置所に死刑執行指示書が送られる。このような重要な書類は郵送などの手段は用いられない。公用車を使い担当の者が直接責任者宛てに届けに行くこととなっている。それ基づき拘置所内では刑の準備が行われ、当日刑務官は元より立ち合う検事や事務官、拘置所長、医務官、教誨師(宗派はキリスト教や仏教など)が居合わせる。そのような大変な準備が行われている中で、執行を受ける当人だけは当日の直前になって初めて自らの運命を知る事となるのだ。 以前は前日に知らせると云った事もあったようだが、当人が死刑の執行を知ったが為に自殺した事例があって以来、このような形となったそうだ。そして概ね死刑は午前中に行われる。聞くところによると、死刑判決が確定してから死刑囚は独房へと移される。毎日、決まった時間に所内を官守が見回りに来るのが日課だが、それが違う時間、しかも多くの靴音が聞こえて来る時、それは《お迎え》を意味するそうだ。いつやって来るとも判らないその日に怯えながら日々を生きる彼らにとってそれこそがまさに恐怖だ。当日、いつもより早く出勤し私はあらかじめ準備しておいた執行指揮書を持ち拘置所へと向った。刑は拘置所内の地下にある刑場で行われる。まず待機室と云われる場所にこの刑に立ち合う事になっている人間が集められる。決して狭い部屋ではないが、これだけの関係者が集まると息苦しささえ感じられる。間もなく刑務官に囲まれここへ連れて来られる者から我々の存在はどの様に映るのだろう? 死を目の前にして、見知らぬ人間に注視される心境は、刑を受ける当人にしか分からない。


ようやく陽が西に傾き始めた頃、いつもの鞄を手にし、重い足取りで局内の廊下を歩く男に顔見知りの女性が声を掛ける。
「あら、今日は随分と早いのね」
確かに私は本日、自分が果たすべき役割を終え早く帰宅しようとしていた。
「何だか疲れているようだけど・・・大丈夫?」
身につけているピアスと同じ青い瞳を少し細くしながらこちらを見るこの女性・・・否、まだ少女と言った方がいい彼女は13歳という若さでアメリカの司法試験に合格し、それに伴い間もなく渡米する事になっている。それは幼い頃より父親から検事になる為の英才教育を施されて来た彼女にとってまさに念願叶ってと云ったところだろう。そんな父親の影響を強く受けて育った彼女を見て私は本日、死刑囚となって命を終えた者の事を思い出した。

関係者が待機する中、連れて来られたのは女性だった。この国では女性の死刑が執行された例は少ない。女性の場合(共犯男性が主犯として)従犯であると判断される事が多い為とされているが本当の所、良く判らない。しかし、これから先、この比率もおのずと変わって来るだろう。そのような中、刑を受ける者が複数の刑務官に囲まれこの部屋に入って来た。その後ろには教誨師である人物の姿が見える。先程まで被告人はこの教誨師と教誨室に置いて最後の説教を受けていた筈だ。そして、拘置所長により今朝、私が持参した書類が読み上げられる。 このような流れを見ていると死刑と言えども、国家が行うお役所仕事の一つなのだと云うことが判る。数多くの書類と手間のかかる段取り、そして法に沿った対応。そこには僅かな不手際も許されない。
「最後に何か言い残す事はありますか?」
指示書を全てを読み終えた拘置所長からそう話し掛けられた女性は黙って首を振った。それから私達は部屋を出て向かいにあるバルコニーのような場所へと移る。既に女性には目隠しがされ、その手足の自由は奪われていた。ここから先、その場にいるのは最後の瞬間を見守る教誨師と処刑に携わる刑務官達で、その様子を私達は執行室正面のガラス越しから見る。刑はカーテンで仕切られた隣室で行われ、床には約1メートル四方に印された場所があり上の天井に据えてある滑車を使い首に掛ける為のロープが吊り下げられる。一般に絞首刑と云うと十三階段を上がって、というイメージがあるが、実際には階段を上がるのではなく床が抜ける形だ。刑が執行される部屋と待機室には共に同じ絨毯が敷かれ目隠しを受けた者が足元の感触の違いから、その部屋に入った事に恐怖を感じないよう配慮がなされている。壁に仕切られた場所には足元の床を開く為の3つのボタンがあり、三人の刑務官が一斉にそれを押すのだが、どれが直接のボタンになっているのかは判らない仕組みだ。そして、私は人間の命の終わる瞬間を見た。複数の刑務官により素早く首に縄が掛けられると、時間を置かずに足元の床が開いた。宙に吊るされたその身体がゆっくりと下りてゆく。執行室の下はもう一つ部屋があり、床上十数センチの所でロープは止まる。無論、絞首刑なので即死ではない。首が締まった瞬間意識を失うといった事はあるが、極端な頸部の損傷を避ける為に落下する速度もゆっくりだ。吊るされた者の頸部に食い込むロープはその身体をくるくると回転させ始めた。その物理的運動は人の命の終わりとして見る者の心に重く圧し掛かる。やがて、断末魔とも云うべき激しい痙攣の後、次第にその身体は力を失って行く。この部屋は死に向う刑者の身体的変化に考慮して筋肉が弛緩する事による失禁や排便などにも対応出来るよう、その真下は排水口となっている。そのような過程を経て医務官による死亡が確認された後もその身体は5分間、そのままの状態で放置された。何故なら、それは法律によってそのように定められているからだ。


死刑制度に関しては賛否両論がある。賛成派の意見は概ね【犯罪抑止】と【被害者感情】を訴え、反対派からは、データ―の数字から死刑は必ずしも犯罪抑止効果には繋がらない、と云った意見が出される。しかし、何よりも考えられるのは『もし、冤罪だったら?』それが、一番の理由だろう。犯罪とそれを行う者を憎む事この上ない私ではあるが、それでも人が命を奪われる瞬間に立ち会うのは精神的にも非常に厳しい。私だけではない、その場にいた者が皆、同じ想いをしている。しかし検事という職を志した以上、これは避けては通れない。だからこそ、私は・・・命をかけて法廷に立ち、他の者にもそれを求める。今、目の前にいる年若いこの女性も、いつかこの現実に直面する時が来るのだろう。
「・・・冥・・・」
そのような事を思いながら、私の手が無意識の内に少女の頭を撫でるようにその髪に触れた。その途端、彼女が手にするしなる柄の先端が空を切り傍にいた男を打った。
「馴れ馴れしくしないでッ」
そう云うと、私に背を向け父親が使用している階の方向へと歩いて行く。彼女とは幼い頃より同じ道を志し兄弟のように過ごして来た。これから先、険しい道が待っているだろう。しかし、君はそれを乗り越えて行かなければならない。

そんな女性の後ろ姿を目にしながら、私は再び重い足取りで局内の廊下を歩き出した。



END



■作者からのメッセージ
色々調べながら書きましたが、記述してあること全てが事実と云う訳ではありません・・・念のため。

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