早春の珍客 |
作者:
カオル
URL: http://www.ab.auone-net.jp/~kaka/
2012年03月13日(火) 12時27分35秒公開
ID:P4s2KG9zUIE
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「御剣さん、一体誰を待っているんですか?」 箱ひだになった短いスカートの裾から出ている膝までの部分を摩りながら、私は手を伸ばせば届きそうな位置にある大変モダンなデスクに肘を突くその人を見た。美しく磨かれたガラス窓から仰ぎ見る高層階の空は、とても青く澄み渡ってはいるがこの季節、吹く風はまだ冷たく、いくら厚いマフラーを襟元に巻いても生足命の女子高生としては大変厳しい状況。友達は制服のスカートの下にジャージを着て登校しているけど、自分は未だその手のスタイルには抵抗ある。その信念が変わらないうちに早く春が来ないものか、そんな事を考えながら側にあるソファーに腰掛ける私を、この部屋の主でひと回り程年上の男性は、気にするでも気にしないでもない様子で唯一の出入口である部屋のドアを見つめている。 「今から来客がある」 私がここを訪ねた時、開口一番にこの人はそう云った。いつもの事ではあるが、全くアポ無しで訪れているのだから仕方がない。どうせ大した用事は無いし、テストも終わり学校も暇になったからチョット立ち寄ってみただけ。この部屋によく顔を出す人のイイ刑事さんがいれば楽しいおしゃべりが出来るし、そうでなければ少し気難しい無愛想な男性が淹れてくれる美味しい紅茶が飲める。そんな楽しみを求めて私はここにやって来る。 「・・・じゃあ、帰ります」 暖かい部屋から再び冷たい風が吹く外に戻るのは憂鬱だけど、そう事情ならお邪魔する訳には行かない、それくらいの分別は持ち合わせている。私は首にしているマフラーを再びしっかり巻き直すと部屋を出る為、ドアに向かって歩き出した。しかし、私はこの男性の謎めいた言葉で再びこの場に引き戻される。 「いや、もしかしたら・・・君がいてくれた方がいいかも知れない」 それからかれこれ15分程だろうか、その人の表情は部屋にある時計をチラ見する度に緊張した面持ちへと変化していく。 「これから知人が訪ねて来るのだ」 待ち時間に耐えきれなくなってきた私に対して、この男性はそんなふうに云った。しかし、なぜ私が同席したほうがいいのか? その辺りについての説明は皆無だった。これ以上、ここで訳の分からない時間を過ごす意味を見出せなかった私が帰りの言葉を口にした時、どこからともなく漂ってきた香りが鼻先を掠めた。その香りは今まであまり嗅いだ事が無い種類のモノで私の鼻孔の奥に留まり、どことなく春というイメージを連想させる。 「だっ、誰ですか、この人達は!」 未知の芳香に囚われている合間に、いつの間にか部屋のドアは開き数名の“影”のような人達が入って来た。その者達は入り口を背に部屋の中央を二分して何やら壁を作り始めている。 「何ですか、この《すだれ》のようなモノは?」 思わず立ち上がる私にデスクの椅子に腰掛けたままのその人が静かに答えた。 「美雲クン、それは《御簾》だ」 ミ・・・ス?? 呆気に取られる私に、この男性はようやく来客の素情を明かし始めた。 「これからやって来る人物は、私の《見合い相手》だった人だ。以前、私の師匠を通してあった話しで何かと世話になっていたAコンツェルンの総裁(君も覚えているだろう?)の紹介だ。彼には私が海外で検事として留学していた時に何かと便宜を図ってもらっていた経緯があり、そういった人物の紹介なのでどうしても断る事が出来なかったのだ」 「へぇ〜」 男性の意外な過去に私はただ、そんな返事しか出来なかった。しかし、そのような反応は逆にこの人を刺激したようだ。 「あくまでも、カタチだけ・・・そのハズだった。彼女は関西地方にある公家の流れを汲む財閥の一人娘で“超”が付く程の『箱入り娘』なのだ。彼女が遠出をする事は滅多にない。そんな彼女がここにやって来る・・・それは“行幸”に値する行為なのだッ!」 「ギョウコウ?」 日常的に使い慣れていない単語が飛び交う中、どこからともなく流れて来た音色に伴い、いつの間にか出来上がった空間の奥から鈴の音のような雅な声が響いて来た。 「・・・お久しゅうございます。御剣様」 見れば、すだれ・・・否、御簾に人の影らしきモノが写っている。 「以前、お会いした時よりも、たいそうご立派になられて」 「御剣さん、一体どうなっちゃっているんですか?」 私はこの状況について、隣にいる男性に小声で説明を求めた。 「全然、相手の顔が見えないじゃないですかッ」 「云っただろう、彼女は“超”が付くほどの箱入り娘だと。彼女は人前で姿を晒す事は無い、その素顔を知る者は、彼女の両親とごく一部の側近達だけだ」 「そちらの方は?」 こちらからは影らしきモノ意外は全くと云って良い程、何も見えない。それでも向こうからは、こちらがよく見えているようだ。この状況から私はどうしてこの部屋の主が私にこの場に一緒にいてほしいと考えたのか、何となく分かってきた。男性はこの雰囲気に飲み込まれてしまう事を恐れているのだ。部外者である私がいる事で、少しでもこの場の空気を変えたいと願っているに違いない。 「初めまして、御剣さんの助手を務める一条美雲です!」 私は、年上の男性からの紹介を待たずに早々と名乗り出た。 「御剣様は、とても可愛らしい助手様をお持ちなのですね」 御簾の向こうにいる女性はそんなお愛想を口にする。 「大変申し訳ないが、私の意思は既にそちらにはお伝えした筈なのだが」 生半可な態度は相手に誤解を与え兼ねない。困惑した表情を浮かべながらも男には毅然とした態度を取ろうとする努力が見受けられた。 「はい、お仲人様からのお返事は伺っております」 そして、少し間を置いてから前に垂れさがる御簾の下から何かを差し出した。素早く影のような側近の者が受け取り、男に手渡す。それは、和紙に書かれた美しい墨文字だった。 「短歌だ」 私は受け取った男性がしみじみと眺めるそれを覗き込んだ。 「ソレって、よく新聞の隅っこに出ているアレですか?」 「君が云っているのは多分、川柳だろう。短歌は五・七・五・七・七。限られた字数で読み手の情緒を表現するモノだ」 ヒラヒラと 共に過ごした 嵐山 未だ懐かし 未だ忘れず ―――私は、あなた様と御一緒した嵐山の景色を未だ忘れずにおります。 「御剣さんって、この人の顔を見たことあるんですか?」 この質問に対して、問われた男性は首を小さく横に振った。 「顔も見ずに、どうやってデートしたんですかッ!?」 「それは・・・ご想像にお任せする」 それにしても、この見合い相手の人、きっと今でも御剣さんのこと好きなんだろうなあ〜。“超”が付くくらいのお金持ちで箱入り娘。そんな人が断られたにも関わらず、こうしてわざわざ訪ねてくるのだから。 「分かっていたはずだ、君はひとり娘で一緒になる人間は家を継がなければならない、私は法曹界から離れるつもりないッ」 男性は身から絞り出すよう切り札とも云える言葉を口にした。 「では、もし私が家を捨てたら―――?」 この発言に周囲は一瞬にして静まり返った。男は凍りつき、同行していた来客の側近達は顔を引きつらせている。 「そ、それはッ・・・」 検事局始まって以来の天才、その仕事ぶりから将来を期待されている人。普段は冷静なロジックで相手を追い詰めるこの人も、まさかこのような展開になるとは想像していなかったのだろう。返事に窮するその姿は、傍目にも追い詰められているのがよく分かる。 「その時は―――」 ホホホホホホホホ・・・・。 突如、朗らかな笑い声が部屋中に響き渡った。 「申し訳ございません。私、御剣様の御事情はよく存じ上げております」 そして、再び御簾の下からソレを差し出す。 遠くにて 想うかの人 懐かしく 共に歩む 道は違えど 「御剣検事様のお噂は私も聞き及んでおります。西鳳民国大統領の事件でも大変、御活躍だったとか。あなた様がお仕事をお捨てになれないのも、もっともでございます。私が本日、こうして珍しくも遠出をし、こちらに立ち寄ったのは結婚の報告の為でございます。私の結婚相手がこちらに住む方で、先方のご両親にご挨拶に伺う途中、こうしてお寄りしたのでございます」 そう告げると勤務中の長居を詫び、引きつれて来た側近の者達に早々に立ち去る旨を告げた。そして、その女性は帰り際に隔ての下から何かを手渡そうとする。早速、側近の者が取り次ぎをしようと手を差し出した時、それを制する声が掛かった。 「これは私から直接、御剣様へ」 その言葉に男が立ち上がりデスクを回って、隔ての下にゆっくりと手を差し入れる―――。 「これ・・・何ですか?」 ようやくこの部屋を所有する男性とその助手を自称する女子高生だけとなった時、突然の珍客が残していった置き土産をデスクの上に眺めながら私は隣にいるその人に話し掛けた。 「梅花・・・どうやら“香”(こう)のようだな」 「でも、勿体無いなあ〜。御剣さん、結婚していれば超玉の輿“逆玉”だったのに」 人には分相応と言うものがある・・・この人はそんな風に云いながら、用が済んだ私に今度は早く帰るよう促し始めた。何だか便利に使われただけのようで納得いかなかったけど、今日はこれで引き下がる事にした。本当はもっと沢山、聞きたい事があったけど―――。 「ああ、早く暖かくならないかなあ〜」 街を駆け抜ける外の風はまだ冷たい。でも、もうすぐ春はやってくる。私にとって春のイメージはサクラの花だけど、その前には必ず梅が咲く。 今年、ソレを見る私はきっと・・・嫉妬にも似た感情を思い返すに違いない。 END |
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