検事と大ドロボウと花火の夜
作者: カオル   URL: http://www.ab.auone-net.jp/~kaka/   2011年10月10日(月) 11時53分05秒公開   ID:P4s2KG9zUIE
「お父さん、ただいま―――」

 畳と襖(ふすま)が懐かしい雰囲気を醸し出すこの部屋に、小さな金属音が沁み渡る。
家を支える古い柱、居間に据えてある卓袱台(ちゃぶだい)に座布団。今にも隣家の声が聞こえてきそうな佇まいは、いかにもこの界隈らしいと云えるのかもしれない。

「えッ、行った事ないんですか?」
 いつものごとく、当たり前のようにここ《1202号室》を訪れた彼女は、まるで信じられないモノを見るような視線を私に注いだ。
「それが、そんなに珍しいか?」
 聞き返す私に、自称大ドロボウは近々、行われる都内でもかなり有名な某花火大会について熱心に語り出した。下町を舞台としたそのイベントは確かに江戸の風情を想わせるに相応しい。加えて、彼女の家はその会場の近くにあるそうだ。
「・・・ほう・・・」
 興味を持った様子の私に彼女が畳みかけるよう云う。
「御剣さんも、一緒に見に行きましょうよッ!」
 この突然の申し出に思案した後、私はその誘いを受け入れた。正直、特に花火に興味があった訳ではない。むしろ、わざわざ人混みの中に身を置く事自体、煩わしくさえある。では何故、誘いに応じたのか? それは、彼女を知る良い機会だと考えたからだ。

 実のところ、私は彼女をよく知らない―――。

 父親が検事であった事、その父親は彼女が10歳の時に事件に巻き込まれ亡くなっている。そして、どうやら彼女は高校生らしい・・・それ位だ。
 勿論、職権を持ってすれば、これ以上の個人情報を得る事はたやすいが、まさか私事で警察を使用する訳にも行くまい。誘いを受ける事で、今一つ、捉えどころのない彼女の人となりを知る機会になるなら、そう考えての判断だ。


 イベントの当日は土曜日で、彼女は夏休み期間中だったが夏期講習があった為、利用している最寄駅で待ち合わせをする事になった。ようやく夏の日差しが西に傾きかけた頃、待ち合わせの駅の丁度改札を出た所に、強い日差しを避けるようにして、僅かばかりの日陰に身を隠している制服姿の彼女がいた。普段、見ている独特の唐草模様の服ではなく、白い半袖のシャツにチェック柄のひだのあるスカート、肩にかかるナイロン製の濃紺のバッグには、御贔屓のキャラクターが飾られている。

「御剣さん、遅いですッ」

 待ち合わせの時間に遅れた訳ではないのだが、彼女はだいぶ前から待っていたらしい。
些かの理不尽を感じながらも、彼女の導くままに隣を歩く。正直、この歳になって制服姿の女子高生の横を歩くのは多少の気恥ずかしさを伴うが、彼女の人となりを知る為には仕方がない。
 やがて、今夜の花火の舞台となる江戸の頃から知られている有名な河が見えて来た。その向こうには日本一高いとされているタワーの姿も見てとれる。そんな川向こうの景色に気を取られている私に彼女が出し抜けにこう云って来た。

「アレ、外国人の建築家が“炎”をイメージしてデザインしたそうですけど、どう見ても金色のウ○コですよねッ」

 彼女はタワーの横に見える、某企業のビルの上にあるシンボルの事を云っているようだ。私は横をあるく女子高生に咎めるような視線を送った。

「だって、皆そう云ってますよ!」



 行く先が住宅街らしい街並みになるに従って、徐々に道幅が狭くなってきた。次第に家々は隣接し、最近ではあまり見かけなくなった“引き戸”による入口や趣のある表札を掲げている家など、この界隈らしい下町情緒が溢れている。

「おう、ミクモちゃん! 今、お帰りかい?」
 通りすがり不意に声を掛けられる。相手は半纏を着た年老いた男で、やたら鼻が赤く、少し見た感じでは酒が入っているようにさえ見えた。彼女の名前を知っているのだから、顔見知りなのだろう。後で聞いた話では、あの老人はハトに豆をやるのが日課だそうだ。 
「アノ人、腕のいい“紋章上絵師”の職人さんなんです」
 紋章上絵師とは、着物に家紋などを入れる職人だそうで、その技術は国の無形文化財にも指定されているようだが、着物を着る人が少なくなった今、腕のいい職人と云えども、なかなか大変なようだ。

 
 夕方近くになって多少、暑さも和らいできたように感じられた頃、私は彼女の家の居間に座っていた。引き戸の玄関を入り、少し高く作られた敷居を上がると障子で仕切られた今いる場所へと繋がっている。近頃、あまり見なくなった丸い卓袱台や軒下に飾られた風鈴。そして、何より印象に残ったのは、同じ空間に置かれていた仏壇だった。
部屋に入ると、まず初めに彼女はそれに向かい手を合わせ、亡くなった父親に帰宅の報告をした。
 小さく鳴らす鈴(リン)の音が、この部屋を静かに満たして行く。彼女にとって、その行為は日常的なものなのだろうが、私は多少の驚きをもってソレを見ていた。

「お母さん、町会のお手伝いに行ってるんだ。御剣さんの事、紹介しようと思ったのに・・・」
 彼女は卓袱台の上に置かれていたメモを一読し、そう呟く。現在、様々な考え方から仏壇を持つ事のない家が多い。かく云う私も、その一人だ。しかし、ロウソクや線香は、口で吹かず手で消す。仏壇にお尻を向けてはいけない・・・など、これらの教えが日本人にとって大事な何かを養っていたように思えてならない。そんな何かを大事にして育った彼女だからこそ、この街に似合う気質とあのような人柄が育ったのだ。
「ちょと、待っていて下さいね。今、着替えて来ますから」
 そう云うと、彼女は襖一つ隔てただけの隣の空間に姿を消した。時折、聞こえる衣擦れの音が殆どプライバシーが無い、この住居の存在を際立たせる。私は再び、仏壇に視線を戻した。
 彼女は毎日、父親に手を合わせる事で、その存在を身近に感じてきたのだろう。二代目を継ぐ事にこだわる姿勢の源は、このような所にあるのかも知れない。

「―――お待たせしました」

 しばし、物思いに沈んでいた私の前に先程の制服姿とは違う、浴衣の彼女が現れた。

「君は、一人でソレを着たのか?」
驚いた様子の私に、ニヤリと笑いながら彼女が答える。
「浴衣なら、子供の頃から着慣れていますから」


 古いモノと新しいモノが混在し、その両方がお互いを引き立てるようにある、この街。かつてここが、江戸と呼ばれていた頃に始まった《粋》を愛する心は、今もここに生きる人々に受け継がれている。街の空の色が、濃い藍色に変わり始めた瞬間、大きな音と共に上空に一輪の花が咲いた。通りにはこの花々を見に沢山に人が詰め掛け、湧き上がる歓声と共に上を見上げている。

 親を慕い、二代目を名乗る彼女の気持ちを否定するつもりは無い。しかし、彼女の父親はその事が原因で命を落とした。真実を盗む、と云う事が彼女にとってどういう意味を持つのか? そして、私はこの先そんな君にどう関わって行く事になるのだろう?

「・・・御剣さん、こっちです!」
 私の憂いをよそに、屈託のない笑顔で彼女が誘う。


――――絶対にはぐれないように、付いてきて下さいねッ。


 いつしか私達二人は大勢の人波の中に飲み込まれ、その存在さえ分からないようになって行った。


END



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