始まりの日 |
作者:
幸
2011年04月11日(月) 09時02分54秒公開
ID:XXB//ieIu5Y
|
「ちょっとなるほどくん!その書類はそこの棚じゃないわよ」 「え、あ、ほんとだ、えっと・・・・」 私の指摘を受けて動揺する青年。 「その赤いファイルは1番上!さっさとやらないと明後日になっちゃう!」 「す、すいません」 真新しい弁護士バッジを青いスーツにつけた、 ちょっと頼りなさそうな青年に少しだけ心配になるけど―――今日から新しいスタートなんだもの。 あの電話が、すべての始まりだった。 「はあ・・・・」 私以外に誰もいない事務所で、大きなため息をつく。 知り合いから紹介してもらった法廷資料の作成で行き詰っていた。 ―――先生の事務所にいたころだったら、こんなのすぐに教えてもらえたんだけど・・・・ もうひとつため息をつき、資料を閉じた。 いいわ、明日にしよう。 心の中でそう呟き、事務所を閉めて帰路に着いた。 「ただいま・・・・」 誰に言うでもなく呟き、靴を脱いで部屋に上がる。 そのままお風呂を沸かし、浸かった。 星影事務所をやめて、2年。 知り合いから小さな仕事を紹介してもらい、何とか生活してきている。 先生の事務所をやめたのは、私のわがままだった。 美柳ちなみに死刑判決が下されて――― 喜ぶことも出来ずに、その報告を聞いた。 どうして喜べないの?嬉しくないの? いくら自分に問いかけても、答えが返ってくるわけでもない。 『おめでとう』とかけられるたくさんの言葉につくり笑顔を返すのも限界だった。 星影事務所にいたらどうしても思い出してしまう。 あのヒトの思い出が多すぎる。 もう、ここにはいられない―――そう思った瞬間だった。 だからと言って、この2年で想いが薄れたのかと聞かれれば―――そんなはずもなかった。 寂しくなることは少なくなったが、ふとした瞬間に思い出す。 ―――会いたい。 それは、寂しいとはまた違う感情だった。 そんな風に思いながらも、この2年の間で一度も会いに行っていないという矛盾に自分でも苦笑がこぼれる。 「だって・・・・怖いんだもの」 言い訳は自然と口を滑った。 会いに行ったらきっと泣いてしまう。 だけど・・・・まだ何も終わっていない。 美柳ちなみに死刑判決が下されても、たくさんの『おめでとう』をもらっても―――あの人はまだ帰ってこない。 それなのに、私だけ弱音を吐けるはずもないじゃない。 「早く帰ってきてよ・・・・」 呟いたはずの声は、シャワーの音にかき消され、自分の耳にさえも届かなかった。 ルームウェアに着替え、そのままベッドに横になる。 テーブルの上に放ってあるやり残した資料の仕事は、開く気になれなかった。 「はあ・・・・」 なんだか今日はため息ついてばっかりだわ。 ライトを消して枕に顔をうずめる。 だから夜は嫌なの―――どうしてもあなたを思い出してしまうから。 もう寝てしまおう。 頭に浮かぶ様々な想いを振り切り、ムリヤリ目を閉じようとした―――そのとき。 〜♪ マナーモードにしていなかった携帯が、テーブルの上で音を鳴らしている。 「もう・・・・」 手を伸ばして取ると、ディスプレイには知らない番号の表示。 いつもなら絶対にこんな電話は出ない。 でも――― ちょっとしたコト。 表示された番号が、あのヒトの番号に似ていた。それだけ。 単純すぎる理由だけど・・・・色々考えていたこんな夜にかかってきた電話を取ってしまうには、十分すぎる理由だった。 「はい、もしもし」 『あ、こんばんは、いきなりすいません・・・・』 受話器から聞こえたのは、驚くほど間の抜けた青年の声だった。 「あの、どちらさまで?」 『えっとあのぼく成歩堂龍一といいまして・・・・以前綾里さんに法廷でお世話になって』 成歩堂――― その名前は、すぐに私の記憶を過去へいざなう。 電話をかけてきた青年は、私の2人目の依頼人だった。 大きな思い入れがあるあの裁判―――こんな夜に電話がかかってくるなんて何かの因縁かも。 それにしてもいきなりすぎる。 『・・・・あ、あの、綾里さん?あの』 「ああ、ごめんなさい。それで、どうしました?何か困ったことでも?」 『はい・・・・あの実は、裁判が終わったあと心を決めまして・・・・』 心を決めたって・・・・この子何かしでかしたのかしら。 変なことを思っていると、思い切ったように受話器の向こうで声が上がった。 『綾里さんは覚えていますか?ぼくに言ってくれたこと・・・・弁護士は困った人を救ってあげられると信じてるって』 「・・・・・・・・ええ。覚えてるわ」 弁護士は困った人を助けてあげられるのか、と聞いた彼に、私はそう信じていると答えた。 しかし、その言葉と今回の心に決めた事とやらがどう繋がるのかが見えてこない。 『ようやく、同じ立場に立てたんです。でも、仕事が無くて・・・・これじゃあいつを助けるどころか、ぼくが生活していけなくて』 「ちょ、ちょっと待ってなるほどくん」 私が横やりを入れると、彼ははい?と素っ頓狂な声を出した。 ―――はい?じゃないわよっ! そう叫んでやりたかったが、かろうじて営業用の声を保った。 「あのね、私は弁護士であって、お仕事紹介の人じゃないんだけど」 『え、あ、はい。知ってます』 「は?」 今度は私が変な声を上げてしまった。 「でも今、仕事が無いって」 『はい・・・・だから、どこかの事務所とか紹介してもらえないかなって。ずうずうしいお願いだとは分かってるんですけど』 「・・・・・・・・あの、なるほどくん」 『はい?』 ―――なんだか答えはもう分かったような気がするけど・・・・ 「あなた、職業は?」 『あ、おかげさまであの後司法試験を通りまして・・・・弁護士に・・・・』 「どうしてそれを先に言わないの!」 『す、すいません』 今日何度目だろうか、もうひとつ大きなため息をついた。 でもよく考えてみれば、私の記憶では、彼は芸術学部だったはず。 そこからの司法試験突破は、難易なことではないだろう――― 私はふと思い出した。 弁護士は困った人を助けてあげられるんですかと聞いた後に彼が言ったもうひとつの言葉。 “どうしても助けたい奴がいる” あのとき私にそう言ったのも、こんな声だった。 穏やかな物腰の中にも、決して信念は曲げないという意志の強さが見える声。 「それで、私に連絡してきたのね」 唯一知っている弁護士である私に。 はい、という返事が聞こえる。 『一度助けていただいただけで、厚かましいとは思ったんですけど・・・・』 「・・・・そうかもしれないわね」 私はそんなに優しくないの。 そう、優しくない――――――でも。 「でもね、分かる気がするわ」 『え?』 「私も守ってもらったの。たくさん・・・・」 だから、分かる気がする。あなたの人を思う気持ち。 『あの、綾里さん』 「なるほどくん、採用!」 『は?』 着いてきていないなるほどくんを尻目に、私はもう決めていた。 「私の事務所にきなさい。明後日、どこかで待ち合わせしましょう」 『・・・・・・・・ありがとうございます!』 なるほどくんは何度もお礼を言っていた。 ううん、お礼なんていらないの。だって――― 「ねえ?先輩」 私は白いベッドに眠る人に微笑みかける。 待ち合わせを明後日にした―――それは決して気まぐれなんかじゃない。 「なるほどくんのおかげで、会いにくる決心がついたんです。感謝しなきゃいけないのは私ですね」 ずっと来なくてごめんなさい、と、彼の手を握る。 何も変わらないそのぬくもり―――その温かさを自ら避けてきたこと、後悔なんてしない。 きっと私にはこの2年が必要だった。 あなたと向き合うまでの時間として。 「私、泣きません。強くならなきゃいけないから」 なるほどくんを育てていくために―――ううん、そんなの建前だ。 本音は――― 「先輩が帰ってくるまでに、つり合う人間になっておかなきゃならないでしょう?泣いているひまなんてありませんね」 なんて可愛くない言いかた―――でも私だけ想いを伝えるなんてずるいから。 「だから、涙も可愛い言葉もとっておきます。先輩が帰ってくるまで」 私は立ち上がり、椅子を元の位置に戻した。 大丈夫、待っていられる。 この自分の気持ちを、素直に認めてあげられる。 これからは、ちゃんときますね。 そう笑顔で言って、病室を出た。 「だから、赤は1番上だって言ってるでしょ!」 「す、すいませんっ!」 約束の日、ある喫茶店で待ち合わせをした私たちは、そのまま私の事務所へと向かった。 なるほどくんも覚えやすいように、 ファイルの並び順をふたりで1から変えている―――全く進む気配が無いけど。 「そういえば」 少し手を休めようと、気になっていたことを切り出した。 「助けたい人っていうのは・・・・誰なの?」 同じ事務所にいる以上、聞いても失礼なことはないだろう。 なるほどくんは驚いたように手を止め、真顔で返してきた。 「小学生のときに、親友だった奴なんです」 それからの彼の話は、こうだ。 立派な弁護士になるといっていたその友人がある日突然転校してしまい 何年も経って、大学時代に彼の検事としての悪い噂を聞いた、と。 「黒い噂とか、捏造疑惑とか・・・・あいつは、絶対にそんなことするやつじゃない!気になるんです、とても」 その友人のために、芸術学部から現役で司法試験に合格するなんて―――どれほど相手を想っていればできることなのか。 「助けてあげなきゃいけないわね」 そう言うと、彼は少し困ったように笑った。 「本当にぼくにできるのか、不安なんですけどね」 呟く彼の背中をたたく。 「今から弱音を言ってどうするの!頑張りましょう!」 「・・・・はい!」 そう元気よく叫んだかと思うと、慣れない手つきでファイルの選別を再開した。 その姿を見ながら、心の中で誓う。 ―――先輩。私、頑張ります。 この子の、真っ直ぐな瞳の輝きを失わせないように。 先輩が私にそうしてくれたように。 私に、新しい始まりを 先輩に会う勇気をくれたから――― |
|
■一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集 |