逆転−HERO− (7)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月07日(木) 23時57分40秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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「……弱いな。“俺と真多井流花が恋人同士だった”って断定する根拠としてはね」
 言葉ではそう抵抗しても、最後のさいころ錠が陥落寸前なのは明らかだった。私はトドメとなる証拠品を、彼の前に突きつける。
「では、これでどうですか?三年前、聖ミカエル学園演劇部の公演で用いられ、今回の舞台でも使用された『ロミオとジュリエット』の脚本です」
「……これが何だって?」
「あなたと真多井流花さんを繋ぐもの――にはなりませんか?ここへ来る前、私は当時演劇部の顧問をしていた戸場麻衣さんという方に、いろいろと(・・・・・)伺ってきたのだが」


 
パリーン……!!!


「――この広場に呼び出された時点で、何もかもお見通しなんだろうなとは思ってたよ」

 バナナベンチから腰を上げ、園内をゆっくりと歩きながら阿部氏が呟く。

「あの時ぁ、こんな悪趣味なオブジェだらけの広場が立派な舞台に見えたもんな……」

 立ち止まって振り返り、ずらりと並ぶ果物のオブジェを見透かすようにして。

「丁度この辺りだったかな……月明かりに照らされて、彼女は芝居の稽古をしてた」

 月明かりに浮かび上がる果物のオブジェは、私にはいささか不気味に見えた。

「一瞬で惹き込まれたね。ジュリエットの演じていることは台詞の感じですぐ分かったけど、そこにいるジュリエットは……なんて言うか、初めて出逢うジュリエットだった。
 今まで観てきた有名劇団の舞台でも受けたことのない衝撃が奔って、気が付いたら彼女の前に飛び出してた。彼女は驚いた様子だったけど、すぐに大輪の華のような笑顔になって『良かったら、お客さんになってもらえませんか?』って、俺に言った」
 と、彼は私の手にある三年前の脚本を指し示す。
「彼女の手にはその脚本(ほん)があってさ、見せてくれないかって頼んだら快く渡してくれたよ」
 その言葉に倣って私も脚本を彼に渡そうとし――ふと、ある人の言葉を思い出した。
「これはあなたが書かれたものでは?戸場さんはそうおっしゃっていましたが……」
「そりゃ、あの先生の勘違いだな。思い込みの激しそうな先生だったからなぁ」
 阿部氏は『仕方ないなぁ』というように苦笑し、脚本に目を落とす。

「彼女が持っていたのは、こんな風に製本されてない“手書きの大学ノート”だった。ちょっと拙い字の脚本は、一瞬で俺を虜にしたよ。――ロミオとジュリエットの脚本なんて飽き飽きするほど見てきたと思ったけど、それは全く新しい解釈の物語だったからさ。 
 ……あの頃、俺は駆け出しの脚本家で、書いても書いてもボツ食らってすっかり自信を無くしてた。だから、こいつを読み終わった時は、余計に自分の才能のなさに絶望した。逆立ちしたって、俺にはここまでの脚本は書けないと思った……」

 名残惜しむように、脚本を1ページずつ丁寧に繰っていく阿部氏。彼の心は既に現在を離れ、三年前に遡っているようだった。その様子を、私は黙って見守っていた。

「打ちひしがれてた俺の前で、彼女はまた演技に没頭し始めた。それをぼんやりと眺めてて――俺、ようやく気付いたんだ。何でこの脚本が、こんなに優れているのかってことに」

 ぱたん、と閉じた脚本を手に、彼は少し芝居がかった調子で言う。『芝居は出来ない』とは彼の弁だが、そうした素質は何処かにあるのかもしれない。

「こいつはな、流花のために書かれた脚本なんだ。彼女の演技や声の調子(トーン)、ひょっとしたら性格やクセなんかも……とにかく、彼女の魅力を最大限に引き出すように描かれてる。
 演技と脚本が一体になっているからこそ、彼女はあんなにも自然に物語の中に溶け込んでいたんだな……って、思った」

 『真多井流花のために書かれた脚本』――か。確か戸場さんもそんなことを言っていたな。演劇に造詣の深い二人が言うのだから、彼女との相性は相当のものだったのだろう。

「――俺、自分の脚本をどんな役者が演じるのか、どういう風に演じるのかなんて想像もせずに脚本を書いてた。気取って、カッコつけて、時には気をてらってみたり、監督や大衆に媚びてみたりしてた……けど、なんかバカバカしくなったんだ、そういうの。
 この脚本みたいにさ、素直に書きゃ良かったんだよな。そっから俺は背伸びするのを止めた。物語を演じる役者のありのままを、俺のありのままをぶつけることにしたんだよ」

 その先のことは、伊吹さんから聞いていた。

「あなたは役者の演技や性格を参考にして脚本を書くスタイルを取るようになり、そこから徐々に評価を受けるようになっていったのですね」

 彼女の話をそのまま言うと、阿部氏は少し照れたように笑って脚本を掲げた。

「まぁな。――ホント、こいつはいろんなことを教えてくれたよ」

 脚本の表紙に注がれる熱い視線――彼が愛したのは真多井流花ではなく、この脚本なのではないかと錯覚しそうだった。

「教えていただけませんか?あなたの生き方まで変えたこの脚本の原作者のことを」

 しかし――愛美さん、伊吹団長、戸場さん、阿部氏。四人の人間をここまで魅了する脚本の原作者の姿が未だに見えてこないとは……。思い切って、訊いてみる。

「……さぁな。俺も気になったから、聞いてはみたよ。彼女はちょっと赤くなって『私の大切な人』だって答えたけど、結局、分からずじまいでね」

 さいころ錠が出ないところを見ると、彼は本当に知らないらしい。

「伊須香のジュリエットも悪くはなかったが、この脚本を使う限り、あいつじゃダメなんだ。こいつはずっと眠りに就いているべきだった。――流花と、一緒に」

 阿部氏は脚本をバナナベンチの上に置くと、私の方に向き直り、にやりと笑った。

「さて、どうするんだい?弁護士さん」

「え……?」

「これで俺には、伊須香に毒を飲ませるチャンスも動機もあったことになる。俺を“真犯人”だって言って、警察に突き出すかい?」

 彼の飄々とした態度は、いささか不気味だった。確固たる証拠がないことを知っていて私を挑発しているのか。少し考えて、私は彼に提案する。

「明日の公判、あなたを証人として申請したい。“事件発生時の舞台裏の状況”について証言して頂きたいが、よろしいだろうか。伊吹さんの話では、あなたが一番冷静に対処していたようですから」

 断られれば公の場での召喚を要請するつもりだったが、彼は意外にもあっさりと頷いた。

「構わないよ、あんたがそれを望むなら。――それじゃ明日、法廷で会おーぜ」

 そして、最初に会った時と同じようにヒラヒラと手を振りながら去って行く。

 彼を真犯人だと断定する証拠は何もない。ならば、法廷で真相を暴くしかあるまい。
 それが危険な綱渡りだということは、蒼くトガった弁護士の戦法を見ていれば嫌でも分かる。
 ――が、今の私にはその方法しかない。事務所へ帰り、明日の対策でも練るとしよう。

「ん……?」

 バナナベンチの上の脚本を取ろうとして、その下に何かが転がっているのを見付ける。
 どうやら、空き瓶らしい。私が来るのを待つ間に、ここで何か飲んでいたのだろうか。

「これは――?!」

 園内の美化に協力するつもりで何気なく伸ばした手を、瓶に触れる寸前で止める。
 ハンカチで包むようにしてそっと取り上げる。一見しただけで、私はそれがただの空き瓶ではないことに気付いた。
 大きさ約15センチの蒼いガラス瓶。底から2.5センチのところまで施された切り込み細工――法廷記録と照らし合わせるまでもなく、それは劇中で使用された小道具の瓶だった。
 しかし、あの瓶は警察が押収しており、こうして写真にもなっている。ということは、これは“もう一本の蒼い瓶”――どうやら、審議初日での私の推論は間違っていなかったようだ。これが明日の公判で、阿部海流を追い詰める切り札となることは確実。

(だが……)

 何かが引っ掛かっていた。検事として培ってきた勘とでもいうべきものが、警鐘を鳴らしている。
 私は――何か、とてつもなく重大な見落としをしているのではないだろうか。

 イトノコギリ刑事(・・・・・・・・・)も真っ青の(・・・・・)、致命的な見落としを。


同日 某時刻 ガブリエル総合病院 病室

 
 ループタイに放電を抑える鉱石を結び終えると、少し呼吸が楽になる。
 ひとたび雷が鳴ると、半日は自由が利かなくなる身体がもどかしくて堪らなかった。
 そんな彼女を、彼は先ほどから心配そうに見守っている。

「……ときに、北斗。お前は何故ここにいる?」

 鉱石を持って来たはいいが、そこから一歩も動こうとしない北斗刑事を翔は鋭く一瞥。

「えーと、それは姉さんが心配だから……」

「痴れ者ッ!私の心配をするヒマがあったら、さっさと劇団エデンへ行けッ!
 必ず明日までに、夜羽愛美が確固たる犯人であるという証拠を見つけて来いッ!!」


「は、はいぃ〜〜〜〜っす……!!」

 脱兎の如く駆けていく北斗刑事の背に、翔はそっと呟いた。

(……北斗。お前は何も分かってない。私が検事を志したのは、あの事件よりもっとずっと前のことなんだ。あれは……)

 だが、その記憶に手を伸ばそうとすると、決まって薄い靄に遮られる。
 拉致事件のショックでか、小学校6年生前後の彼女の記憶は喪失してしまっていた。

 後に残るのは一面のオレンジ色と――

 不意に響いたノックの音で、過去に遡りかけていた翔の思考はフッ、と途切れる。

「――焔城検事、ですね?」

 入ってきたのは知らぬ顔ではなかったが、ここへ来た理由には心当たりがない。

「どうしました……?」

 翔が何を訊くより早く、“その人物”は、押し殺した声で言った。

「私、見たんです。“ある人物”が、小道具の瓶に毒を入れるところ。
 明日の裁判、私を証人として召喚して下さい。私が見たこと、法廷で全部証言します」


<人物ファイル5>
・阿部 海流【あべ かいる】(32):本名は阿部海(あべかい)。フリーの脚本家。今回の台本は彼が手掛けたものではないが、次の作品のため、劇団エデンに入り浸っている。事件時にも居合わせており、ラストシーンの脚本を即興で書き上げた。真多井流花の恋人。
・織部 小鳩【おりべ こばと】(24):『劇団エデン』俳優。伊須香が毒を飲んで倒れた後、急遽代役として登場したが、脚本や演出に大幅変更があったため演技はたどたどしかった。
・戸場 麻衣【とば まい】(36):聖ミカエル学園教員。演劇部顧問で脚本・演出・監督を手掛けている。性格はおおらかで姉御肌。現在は産休中。
・百瀬 弥子【ももせ やこ】(18):劇団エデン所属。大道具担当。見た目も性格も地味。
・焔城 翔【えんじょう かける】〔更新〕(28):実は女性。幼少の頃の事故で電気アレルギー、雷恐怖症になった。機械類に触れると不具合が生じるため、ほとんど触ることはない。ループタイの留め具の鉱石は体外に出る電気を抑える性質を持つが、近くで雷が鳴ると恐怖意識が高まり、放電する。
・焔城 北斗【えんじょう ほくと】〔更新〕(25):翔とは姉弟の関係。電気体質の翔の手足となり、ずっと支えてきた。彼のミリタリーコートは電気を通さない構造になっている。
・真多井流花ファンの少女(??):三年前、司法修習時代の焔城翔と演劇部の顧問をしていた戸場麻衣の前に現れた謎の少女。スカジャンに茶髪で関西弁。

<証拠品ファイル5>
・劇団エデン仕様の封筒とメッセージカード:劇団エデンが大沢木ナツミに宛てた、豪華賞品が贈呈されるイベントの案内状。封筒の表に印刷してあるリンゴと蛇の絵柄は劇団エデンのシンボルマーク。伊吹倫子はそんな企画はしてないと言い、ナツミとモメた。
・ドラセナ・マッサンギアナ:喫茶店『サバラン』の扉付近に置いてある観葉植物の鉢。高さ約172cm。詩門温子の証言より君影草の身長も同じくらいと推測される。
・カカオ・シガレット:タバコの形をした砂糖菓子。チョコレートと薄荷が交じり合ったような味。阿部海流は『大道具の子』からもらったこれをタバコの代わりにくわえている。
・詩門温子の携帯電話〔更新〕:君影草の脅迫電話を録音したもの。声は機械で変えられている。声紋は未鑑定。着信は10月16日の23時30分。学園祭初日の前日。雑音が酷く、背後で雷の音が聞こえる。
『――聞こえるか、シモンアツコ……ワタシは、キミカゲゾウ……これからアンタに……指示を出す……アンタには、その通りに動いてもらう……』
『……ヨハ……マナミ……傍聴……し、写真……人物を検討する余地……生じたら、速やかに……証人……名乗り出……自分だと証言……いいか……余計なことは言わず、指示に従え……アンタたちは、ね……マタイルカの未来を奪った。そのことを、忘れるな……!』

⇒To Be Continued...

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