逆転−HERO− (7)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月07日(木) 23時57分40秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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「いや、その。あれは……」
 あの時、怒りに任せてまくし立てたことが筒抜けだったとは……ウカツだった。
「御剣さん、女の子泣かしちゃダメだよ」
 真宵くんにもたしなめられ、罪悪感に苛まれる私。
「もういいわ、小鳩。下がっておいでなさい」
 見かねた伊吹団長が割って入り、小鳩さんは泣きながら奥に引っ込んだ。
「……あの時は私も興奮していて、不躾なことを申しました。思い返せば、最初に対応されたロミオ役の男性にも厳しいことを……。
 彼の言う通り、あの場では投書等の処置を取るべきでした。二人とも、自信を無くされたのではないだろうか……?」
「あの程度の指導で自信を失うようでは、役者としてやっていけませんわ」
 ふっ、と微笑む伊吹さん。その穏やかな微笑に、少し救われた気持ちになる。
「それに、貴方のお怒りはごもっともですもの。小鳩やロミオ役の乃亜(のあ)にもいい刺激になったと思いますし、あたくしも身に染みました。演劇、お好きなんですのね?」
「ム。まぁ、たしなむ程度ですが」
「あら、ご謙遜。貴方のお言葉、あたくしの胸にずしり、と堪えるものがありましてよ?」
「恐縮です……」
 ……ともかく、この件は今後の反省材料にするとしよう。
「あたくし、あの時申しましたわよね。次にお会いした時には、誠意を持って応対させていただく、と。――あたくしも覚悟を決めましたの。劇団エデンの団長として」
 私が沈黙したところで伊吹さんは改まった口調になり、持っていたものをテーブルの上に置いてひとつずつ説明し始めた。
「ありがとうございます」
 頭を下げ、私はテーブルに視線を落とす。
「事前に連絡を受けていたもので、こちらは名刺を収納しているファイル。そちらがあたくし共の劇団で使用している封筒です。表の刻印は、劇団エデンのシンボルマークですの」
 彼女が指し示した封筒の隅には、成る程リンゴの樹に絡みつく蛇の画が印刷されていた。
「蛇とリンゴの樹……?変わった組み合わせだね」
 ピンと来ていない様子の真宵くんに、伊吹さんが説明をする。
「お嬢さんはご存じないかしら?旧約聖書に記された、“エデンの園”のお話を。
 ――その昔、人類の祖としてこの世に生を受けた一組の男女、アダムとイブは神に与えられた楽園『エデンの園』で平和に暮らしていたの。神は二人に『そこにある果物はどれでも食べていい』と言ったのだけれど、ただひとつ『善悪の樹の実だけは取って食べてはいけない』と忠告したの。でも、イブは蛇に、アダムはイブにそそのかされてその実を食べてしまい、その罰として二人は楽園を追放されましたの。 
 あたくし共――『劇団エデン』のシンボルは、その伝説に基づいていますのよ」
「へぇ〜え!じゃあ、これはリンゴの樹じゃなくて『善悪の樹』なんだね」
「ええ。善悪の樹はリンゴの樹のように描かれることが多いので、そのようなデザインになりましたの。蛇はもちろん、イブをそそのかした蛇ですわ」
 二人の会話を聞くともなしに聞きながら、私は名刺ファイルの方を確認する。
 喫茶店『サバラン』で、ナツミさんから受け取った名刺は何処にもなかった。しかし、ナツミさんは劇団エデンの“誰か”に、自分の名刺を渡したと言う。その“誰か”は、このファイルに名刺をストックせず、今回の計画で彼女を利用するのに使用したのか……。
「伊吹さん。劇団エデン仕様の封筒は、この事務室に常備してあるのだろうか?」
「ええ。公演のご案内をお送りするときなどに使うので、大量に作って置いていますわ」
「管理方法ですが、例えば金庫などに閉まってあるというようなことは?」
「いいえぇ。それほど貴重なものではございませんので、奥の倉庫で他の事務用品と一緒に保管していますわ。ドアにも特に鍵は掛けていませんの」
 彼女が指し示す先、ごちゃごちゃと積み重ねられたダンボール箱の奥には『倉庫』と書かれたプレートを掲げるドアがあった。
 つまり、この封筒は劇団員なら誰でも持ち出せたということだ。ナツミさんと詩門さんに送られた封筒も、おそらくあそこから持ち出されたものだろう。
「――あの、弁護士さん。他にお知りになりたいことがございましたら、何でもお尋ねくださいね。あたくしの知っていることは、全てお話しますから」
 と、姿勢を正す伊吹さんの真剣な眼差しには“団長としての覚悟”が宿っていた。
「それでは……“事件があった日の舞台裏の状況”について、お聞かせ願えませんか?」
 彼女の潔い態度に、私も襟を正して応じる。
「あの日、伊須香が倒れる場面まで、舞台は順調に進行しておりました。けれど、瓶の中の液体をあおった瞬間、彼女はひと目で演技でないと分かる苦しみ方をしましたの。
 あたくしの直感が、“これはただ事ではない”と告げたので、すぐに幕を降ろしました」
 その時のことを思い出したのか、彼女の眉間には深いシワが刻まれている。
「伊須香は激しく嘔吐していましたが、そのまま気を失ってしまいましたの。皆で彼女の身柄を奥へと運び――あたくしは、とにかく舞台に穴を開けないことを考えましたわ。
 小鳩に代役を任せることにして、ロミオ役の乃亜には同じ危険が及ぶといけないので薬を煽るシーンを変更することにしましたの。結果的にはそれが、貴方のお怒りを買ってしまうことになったのですけれど……」
 また、先ほどのことを蒸し返されては敵わない。私は慌てて先を促す。
「伊吹さん、その話はもう……ところで、あの時はアドリブで演技をなさったのですか?」
 今思えばあの時のロミオ、演技自体はズサンだったが台詞はなかなか感慨深いものがあった。あの場であのようなアドリブが出るのならば、彼の役者人生は明るいだろう。
「いいえ、あれはカイ君が即興で書いてくれたものですの。私が指示を出すまでもなく、すぐに対応してくれましたわ」
 ロミオのことは私の買い被りだったが――直後、伊吹さんがさらりと明かした舞台裏の事情は、私を驚かせるのに十分だった。

「カイ君――というと、阿部海流氏ですか?!」

「え、ええ。そうですけど……」

 私の剣幕に、伊吹さんは相当面食らっている様子。

「柚田伊須香が倒れた時、阿部氏はあの場にいたというのですか?!」

「ええ、もちろん。……そんなに驚いて、どうなさいました?」

 彼女には無論、事の重大さは分からないのだろう。その場は適当に取り繕って答える。
「あ、いや……今回の脚本は、彼が書いたものではないと聞いていたものですから。彼からも『今回の舞台には関わっていない』と伺いましたし……」
 それでも、納得してもらえたらしい。大きく頷き、彼女は言った。
「ええ、それはその通りですわ。ですが、脚本を手がけていない講演にも、彼はいつも同行していますの。脚本を書くとき、彼はそこで用いる予定の役者の演技や声のトーン、性格や人間性までもをじっくり観察しますのよ。そうすることによって、脚本に描かれた登場人物とそれを演じる役者とが同調して人物像に深みが増しますの。
 今回も次の舞台の脚本を書くために、舞台裏で役者たちの様子を見ていましたわ」
 そうして伊吹さんは、ジーンズのポケットから出した紙を広げてみせる。
「これが彼の書き直した原稿です。乃亜と小鳩はこれを即効で覚えて舞台に立ちましたのよ。……でも、所詮は付け焼刃でしたわね。
 あの舞台の結末については、あたくしも舞台監督大いに責任を感じております。判断を過ったのではないかと――」
「それで、公演終了後はどうなりました?」
 間を置かず、斬り込んでいく。反省は後でしてもらうとしよう。
「ええ、あの後もカイ君が冷静に行動してくれたおかげで助かりましたのよ」
「――と、言うと?」
「カイ君は、『救急車を呼ぶと騒ぎになる』と言って、自らワゴン車を運転して病院まで伊須香を運んでくれました。本当に、彼がいなかったら今頃どうなっていたか……」
 ほっと胸を撫で下ろす仕草から、彼女が阿部氏に信頼を置いていることが見て取れた。ともあれ、ここで阿部氏の話が出たことは好都合だった。彼については、色々と聞きたいことがある。
「阿部氏とあなたはずいぶん長い付き合いのようにお見受けいたしますが、彼はいつからエデン(こちら)に?劇団エデン専属の脚本家ですか?」
「『エデン専属』と言うわけではございませんが、昔からの(よしみ)で――あぁ、彼は昔ここで大道具の仕事をしていましたのよ。けれど、本当は脚本家志望だったようですわ。
 仕事の合間に何かこそこそ書いていたものを見たら、それが芝居の脚本だったんです。それがなかなか良い出来だったので、本格的に脚本家の勉強をさせることにしましたの。
 それからしばらくは、書いても書いても評価してもらえない時期が続いたのだけれど、二年くらい前――丁度“プチ改名”した頃から、だんだん芽が出てきだしましたのよ」

『プチ改名……?』

 聞き慣れない言葉に、真宵くんと顔を見合わせる。伊吹さんは近くのデスクからメモ用紙を持って来て、書きながら説明した。

「ええ。彼の下の名前、元々は“海”一文字でしたの。だから、あたくしなどは昔のまま『カイ』と呼んでいるのですわ。それが、二年ほど前に“流”の字を付けて『カイル』なんて読ませるようになったので、最初はどういう心境の変化かと思いましたわ。
 けれども“劇団に入り浸って脚本を書く”というスタイルを採るようになってから、彼の脚本は格段に良くなって、今では映画やテレビドラマの方面からも『脚本を書いて欲しい』と依頼されるほどですわ。彼は『その気はない』って言っていましたけれど。
 あたくしも、彼にはずっと舞台脚本家でいて欲しいと思っていますので、ありがたいことですわ」
 伊吹さんの表情は、まるで息子の自慢話でもするように明るかった。
「『改名で運気上昇!』かぁ……そういうのテレビでやってましたよ!きっと海流さん、有名な先生に姓名判断をしてもらって“流”の字を付けたんですね!」
 メモ用紙に書かれた“阿部海”と“阿部海流”の文字を見比べながら、真宵くんは感嘆の溜め息を洩らす。何事にも感化されやすい彼女のこと、そのうち『あたしも改名しようかな?』などと言い出すのではあるまいか。
「そうですわねぇ……そういうの、信じる子には見えなかったのだけれど」
 一方、伊吹さんは何処か婦に落ちない様子で首を傾げていた。
「そこまで信頼している阿部氏の脚本を、今回はお使いにならなかった。何故ですか?」
 私は最後に、もっとも聞きたかったことを質問する。そもそも今回の事件は、三年前の脚本さえ使わなければ起きなかった筈なのだ。彼女がどういう思惑で三年前の脚本を使おうと思ったのか、それだけはどうしても聞いておきたかった。
「――あたくし、あの舞台の脚本には心底、惚れ込んでおりますの」
 一度奥に引っ込み、戻って来た伊吹さんの手には、使い込んだ様子の冊子があった。
「わぁ!これ、もしかして今回使った脚本ですか?!」と、さっそく食い付く真宵くん。
「ええ。そして――三年前、聖ミカエル学園祭の学園祭に使われたものでもありますわ」
「三年前、演劇部では『劇団エデンの劇団長が講演を見に来る』ということで、皆、大いに奮起したようです。
 演技があなたの目に留まると、劇団エデンにスカウトされる可能性もあると言われていたそうで……そして実際、あなたは柚田伊須香をスカウトした」
「まみちゃんの衣装作りの才能もね!」
 ぱらぱらと脚本を繰りながらはしゃぐ真宵くんに、伊吹さんは温かい視線を送る。
「ええ。聖ミカエル学園はあたくしの母校でもありますし、当時、演劇部の顧問をしていた戸場 麻衣(とば まい)は、演劇部の後輩でもありました。その彼女が、電話で『センパイの劇団に入れたい子がいるのよ』と言うので、行ってみることにしたのですわ」
「すると、この脚本はその戸場さんという方が書かれた……?」
「まさかぁ!彼女は頭であれこれ考えるよりも、『とにかく一度やってみよう!』ってタイプの子だったから、話を書くなんてとてもとても!」
 手をぱたぱたと振りながら快活に笑う伊吹さんに、私は驚きを隠せなかった。
「すると、この脚本の出所は……?」
「それが、はっきりしませんのよ」
「はっきりしない?」
 耳を疑う。何処の誰とも知れない人間が書いた脚本を使おうと思うものだろうか。それほどまでに彼女を虜にした脚本の原作者に、私はふと興味を持った。
「この脚本の原作者について、何かご存知ありませんか?」
 伊吹さんはしばらく首を捻っていたが、何かを思い付いたようにポンと手を打った。
「でしたら、直接本人に聞いてごらんなさいな。麻衣の家は、この近くですのよ。

⇒To Be Continued...

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