羽のある生活 1
作者: トーラ   URL: http://sky.geocities.jp/dabunaikoukai/   2008年08月13日(水) 10時04分59秒公開   ID:Yd4ZJqqlwog
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 1―1

 羽の生やした女が立っている。何対もの純白の翼は、すべてを包み込む程に壮大で、神々しく映る。白銀に輝く髪は滝のように下り、彼女の足元に落ち着いている。
 彼女が何処に立っているかを掴めない。上下左右、翼の白さに負けない霧が囲み、風景などないに等しい。白い霧の上に立っているとしか確認できない。
 彼女が見つめる先も、白色に埋め尽くされている。だが、それは霧が生み出した物ではない。
 それは跪き天を向く背に生えた翼。すべてを同色に染めようとする夥しい量の翼。
 跪いた者達は動かない。飾られた人形のように。
 羽で出来た絨毯はどこまでも続く。見渡しても終わりなど見えない。
 ある種不気味な光景を眺め、彼女はこの世の終わりでも見たかのように退屈な表情を浮かべる。
 くだらない、と唇が動いたように見えた。



 そんな夢をよく見た。もう見慣れた。不思議な夢だがそれだけのこと。深く考えるのはとっくの昔にやめている。自分はそういう生まれなのだ。普通ではないという自覚はある。
 夜乃(ヤノ)は気だるさの残る身体を起こした。部屋の間取りの関係で窓はない。よって日差しは部屋に入らず、最も分かりやすい朝の訪れを自身の目で確認することは出来ない。
 狭くもなく、どちらかといえば広い集合住宅の一室で夜乃は暮らしている。四階建てで、夜乃の家は三階だ。
 携帯を見ると午前六時前と表示されていた。いつもと同じ朝だ。今日は平日なので学校に行く日だ。
 目を擦る。まだ瞼は重たい。
 ベッドに腰かけ、頭の覚醒を待っていると、急かすようにドアをノックする音が聞こえてきた。
「夜乃ちゃん。おはようございます。起きてますか?」
 ドア越しに女性の声が届いた。聞き間違えば男の声を思わせる低い声。同居している守羽叶(モリハカナエ)の声だ。
「あ、おはようございます。起きてますよ。すぐそっちいきます」
 寝間着姿のままで部屋から出る。夜乃の部屋の隣はリビングダイニングキッチンになっている。毎朝そこで叶が朝食を作ってくれている。うなじまで垂れる黒髪をゴムでまとめている。Tシャツにジーンズというラフな格好で、リビングの中央になるテーブルに皿を運んでいた。
「詩縫(シヌイ)を起こしてきてもらっていいですか」
 部屋から出てきた夜乃に気付いた叶が控えめに指示を出す。詩縫を起こすのは娘である夜乃の仕事になりつつあった。詩縫は朝に弱い。
 夜乃は詩縫の部屋に向かい、ノックもせずに部屋に入る。
「お母さん。朝ご飯出来たよー」
 夜乃とは違い布団を床にしき、かけ布団を抱きしめ子供のように眠る母に呼びかける。長い色素の薄い茶色の髪の毛が、詩縫の身体に絡まる蔦のようだ。整った顔立ちから漏れる寝息がどこか艶っぽく感じる。
「お母さん」
 もう一度呼びかけ肩を揺する。高い呻き声が漏れる。
 暫く揺すり続けると、諦めたのか薄く目を開く。
「――うぅん、夜乃ちゃん? ……おはよう」
「おはよう。朝ご飯冷めちゃうよ。早く起きて」
「夜乃ちゃん、起こして」
 仰向けになり両手を夜乃に差し出した。引っ張りあげて身体を起こせということか。朝だけ母の性格が違う、と夜乃は思う。
「子供みたいなこと言わないで」
 だらしのない母の姿を微笑ましく感じながら、母の手を引いてやる。思いっきり引っ張ると母の上半身も持ち上がった。
「ありがとう」閉じかけた瞳で詩縫が言った。
「もう、寝ないでって」
 母を起こすのにはかなりの根気が必要だ。それも、毎日起こし続けることで学習している。



 朝食も食べた。顔も洗った、歯も磨いた。制服にも着替えた。後は電車の時間に合わせて家を出るだけだ。
 それまではコーヒーでも飲みながら朝のニュースをぼーっと眺める。時間は確認しなくていい。時間が来れば迎えがくるから。
 詩縫は朝食を食べた後は結局二度寝してしまった。家事の殆どを叶が一人でこなしていた。
 今も、叶は朝食の後片付けをしてくれている。手伝おうとしても絶対に叶は断るので、夜乃は叶の意思を尊重することにしている。
 家の呼び鈴が鳴った。もう時間か、とテーブルの上に置いていた鞄を持つ。
「それじゃ、いってきます」
「はい。気をつけて。いってらっしゃい」
 キッチンの奥から叶の返事を聞きながら、玄関まで駆ける。
 ドアを開き視線を落とす。手を繋いで夜乃を見上げる二人の子供と視線が合う。片方はツインテールの女の子、もう片方は雛のような柔らかそうな髪の毛の男の子。
「夜乃ちゃんおはよう!」
「おはようお姉ちゃん!」
「おはよう。晴(ハル)ちゃん、陽(ソラ)くん」
 天音(アマネ)晴と陽の双子姉弟だ。晴が姉、陽が弟。夜乃ちゃんと呼ぶのが晴、お姉ちゃんと呼ぶのが陽。二人とも同じ顔をしているので初対面だと区別がつかない人も多い。
 家を出た夜乃の両側に二人がつく。陽が夜乃の鞄を取り上げ、空になった手を楽しそうに掴む。片方の手には晴が繋がっている。
 天音一家とは部屋が隣り合っていて、それなりに付き合いもある。二人の通う小学校と夜乃の通う高校とは隣り合っているので、目的地は同じになる。なので一緒に登校するようになったのも自然な流れだった。
「早く行こうよ、お姉ちゃん」
「こらっ、引っ張ったら夜乃ちゃんが危ないでしょ」
「大丈夫だよ」
 どちらかというと、晴の方がしっかりしているのかも知れない。そんな二人に癒されながら階段を下る。出来れば一階に下りるまでは手を離して欲しいという夜乃の気持ちは、しっかり者の晴にも届かないようだ。
 三人並んで通るには少し狭い階段をゆっくりと下り、アスファルトの上に立つ。夜乃たちの他にも制服姿の若い男女が多い。その小さな人ごみの中に夜乃の馴染みの顔が見えた。
 細い身体に少し長めのストレートの黒髪。髪を染めない辺り彼の真面目な性格が滲み出ている。
「あ、幸人くんだー。おはようー」
「お兄ちゃんおはようー」
 双子が無邪気に手を振る。双子の声に気付いた彼、秋月幸人(アキヅキユキト)がこちらに振り向軽く頭を下げた。
 幸人とは同い年の幼馴染だ。小、中、高とずっと学校も一緒だ。
「おはようございます。晴様、陽様」
 落ち着いた声で幸人が言う。相変わらずだなと夜乃は思った。
「夜乃様、おはようございます」
「様付けとかやめてよ。恥ずかしいなぁ。呼び捨てでいいって」
 ぼくたちも呼び捨てでいいのにねー、と双子が頷きあう。
「サンダルフォン様のような高貴なお方を呼び捨てになど出来ません。本来ならば言葉を交わすことすら私には許されていないというのに」
「固い、固いよ幸人君。私が恥ずかしいんだって。夜乃って呼んでくれていいからさ」
 サンダルフォン。何度も聞かされた名前だ。
 それが天使の名前ということは知っている。その人が凄い人なのも何となく分かっている。
 その「サンダルフォン」の魂が夜乃の中に眠っていると言われても、夜乃自身何も実感が沸かない。自身を普通ではないと自覚させる唯一の要因なのだが、あまり深く考えたことはない。幸人たち天使が言うには、夜乃も天使らしい。
 だが、そのよく分からない単語で夜乃の環境は出来上がっている。
 夜乃をサンダルフォンと呼んだ幸人。彼は天使である。真の名はファレグという。夜乃の両側に立つ双子。彼らも天使である。姉がリリエル、弟がルルエルという。彼らは夜乃の護衛として彼女の傍にいる。同じ集合住宅に住んでいるのも、恐らくは天使たちの都合によるものだろう。
 母親の詩縫も天使だ。叶は違うらしいが、天使側の人間に間違いない。
 作られた環境、人間関係、周りと違う自分。幼い頃から薄くは意識していたことだった。だからといって不幸だと思ったことはない。それは受け入れるしかなくて、十分幸せに生活できているのだから考えたって仕方のないことなのだ。
 それらは夜乃に与えられたものだ。それに文句をつけるようなことはしない。
 空を見ると白い羽を生やして浮かぶ人影が見えた。一つだけでなくて、何人かが不規則に飛び回っている。その中の一人と目が合ったので、手を振った。彼か彼女か分からないが手を振り替えしてくれる。夜乃の真似をして晴と陽も大きく空に向かって手を振った。
 彼らも天使である。双子や幸人のように肉体を持った天使ではなく、霊的な存在としての天使で、彼らの仕事の一部は夜乃を監視することだ。ご苦労なことである。夜乃だから彼らの姿を見ることが出来る。これも他とは違う部分のひとつだ。
「とにかく、様付け禁止!」
「……努力します」
「出来れば敬語もやめてね。同い年なんだから」
 少々不満の残る顔ではいと頷いた。何回目の注意だろうか。



 何故夜乃に護衛がついているかといえば、夜乃を狙う者がいるからだ。夜乃を狙う者は天使にとって敵であり、堕天使、とも言う。
 サンダルフォン、という天使は天使の世界では超重要人物であり、天使と敵対する堕天使にとっても同じことが言える。夜乃にサンダルフォンの魂が宿っているとしても、夜乃には天使の力は扱えず、能力的には普通のヒトと変わらない。
 天使界の超重要人物が無防備なのを堕天使が放っておく訳もなく、夜乃自身何だかよく分からないまま堕天使にその身を狙われたり、多くの天使が護衛についているのである。
 そういえば、怪しげな大人に連れ去られそうになったことが何度かあったなと夜乃は昔を思い出す。その大人が堕天使かは分からないが、危険が普通の子と比べて多かったのは確かだ。
 それでも今までずっと健康に何の問題もなく成長出来たのは一重に天使たちのお陰なのかも知れない。
 天使や堕天使といった単語はそれ程特異な物とは認識されておらず、むしろ一般的に使われていたりもする。
 電車の窓を覗くと、ちらりと一瞬、気分が悪くなる程の大量の漆黒の羽が散乱しているのが見えた。瀕死のカラスがもがき苦しんだ跡のようだ。だが羽の量が尋常ではない。カラスでは十羽以上集まらなくては再現出来ない量だ。
 それが堕天使の亡骸である。通称黒羽の花。その亡骸は誰にでも見られる。一般的にも堕天使の亡骸だと認知されている。堕天使を亡骸にしたのが、天使だとも広く知られている。
「何か悪さしたのかな。かわいそうだね」
「でも仕方ないよ晴ちゃん。ヒトに悪いことするのは駄目なんだから」
 晴と陽も亡骸が見えたらしい。それぞれの思いを口にする。幸人は黙ったままだ。
 口ぶりから二人が加害者ではないと分かって、どこか安心していた。
 だが、晴も陽も、幸人も天使だ。敵である堕天使を殺したりもするのだろう。天使なのだからそれが当たり前だ、という知識が夜乃の頭の中にある。
 殺す、なんて言葉は出来るだけ使わないでいたい。自分の周りの皆にも使って欲しくない。
 堕天使の亡骸は見慣れる程に溢れている。自分を堕天使から守るために、堕天使が殺される所も何度も見たことがある。だが見慣れるには重たいものだなと常々夜乃は思う。
 だが、自分のために堕天使が死ぬことを嫌だとは言えない。そうやって自分が生かされていることを夜乃は知っている。死にたくはない。
 生きるために何かを食べるのと似ているのかも知れない。これも、数多くある仕方のないことのひとつなのだと割り切っている。気にしていてはどうにもならないことはある。
 拘れる部分は多いに拘ればいい。出来ないことに拘ることはない。それが夜乃の生き方だ。

 1―2

 学校の最寄駅をおり、学校に着くと晴と陽はすぐに校舎に駆けていった。途中思い出したかのように振り向いて手を振ってくれた。夜乃は二人に手を振り替えした。
 双子が通うのは明樹市立小学校。中学校も高校もすべて明樹市立である。
 高校の校舎を見ると嫌でも時計が目に入る。ショートホームルームまでまだ一五分も余裕があった。電車の都合でこれ以上余裕を持って学校に来るのは無理なので、少々早くても夜乃たちはいつもこの時間に登校している。そんな学生は夜乃以外にも多い。
 背後から慌しく地面を蹴る音が聞こえる。誰かが走って校門を潜ろうとしているのだろうか。振り返らずに音だけで判断するとそんな予想が思いつく。
 答え合わせにと振り向くと、見覚えのある女子生徒が夜乃に向かって駆け寄っていた。小柄で、ショートヘアーの薄く染められた茶髪がよく目立つ。夜乃が彼女を避けなければ、十中八九衝突するだろう。
 だが夜乃は避けようとはしない。
「せんぱーいっ! おっはようございまーっす!」
 暴走機関車の突進を夜乃はなんとか受け止める。不意打ちだったなら諸共崩れていた。女子生徒は夜乃の首に腕を巻きつけ抱きついている。
「お、はよう。葉子ちゃん。さっきのは危なかったよぉ……」

⇒To Be Continued...

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