痛み |
作者:
比梨麻モナ
2008年08月08日(金) 15時17分23秒公開
ID:QUyBCPH60Hw
|
立つ足音も気にせず走る。目指す扉まで後少し―― 痛み 「隼人ッ!」 ドアを破る勢いで叩き開け、叫ぶ。 動揺と疲労で切れる息を抑えて部屋の中をざっと見回した。 部屋の中にいたのは、床に直にあぐらをかいて座り込み、寝台に背を預けた格好で何やら作業をしている「隼人」こと、向日隼人。 「…ひより」 こちらの様相に少し驚いた顔で名前を呼ぶ。 「何息切らしてんだ……!まさか「紅」で何か――」 そう隼人が言い終わるか終わらないか、話もろくに聞かずドアを閉めるのもそこそこに、私は座っているハヤトに全力且つ全速力で捨て身タックルをかました。 「ぎゃーッ!!てめェー何しやがる!ひより!!」 唐突に押し倒された隼人が声を荒げるそんな事は耳にも目にも入りはしない。 「――隼人」 剥き出しになった腕にしがみついて俯いた。 「――馬鹿はやとぉ…」 安堵やらそれまでの不安やらがごちゃ混ぜになり、自分でも何がなんだが分からない内に大粒の涙がぼろぼろと頬を伝う。難儀そうに体勢を直しながら隼人がぎょっとした顔になり、 「…おい」 慌てたように、そっと頭を撫でてくれた。 「ひより?」 いつもと変わらず名前を呼ぶ、聞き慣れた耳に優しい声。 その声が何故だか胸に染みてますますしゃくり上げながら、説明を始めた。 私がその話を聞いたのは、ナツに頼まれて近くの茶屋に団子を買いに行った帰り道のこと。いつもなら嫌がる隼人をあの手この手で無理矢理にでも連れだし、隼人の飼っているでかい鳥にでも乗ってひとっ飛びするのだが、あいにく今日は任務で隼人がいない。だから、紅のアジトのひとつである建物まで散歩がてら歩いて帰ることにしたのである。 まったりゆっくり歩いていた私の元に「その話」が届いたのは、茶屋から帰路のちょうど半分を過ぎたあたりだった。 上を向いて空を見ながら歩いていた私は、一応手配書に大々的に載る程の暗殺家であるにも関わらず、鞄の中で激しく鳴り出したメールの着信音に驚いてズッコケた。 どうせはナツから、「遅い」とでも打たれたメールが届いたのだろう。そんなことを考えて送信者を確認すると、思ったとおりそれはナツからで「早く帰ってきて!」と、一行目に打たれていた。 ただし、それには続きがあった。 二行目に目を向けた私は、強く目を見開き一瞬硬直する。 「隼人が任務から帰ってきたよ。今アジトに着いたけど……負傷してた」 慌ててナツの携帯に電話をかけると、すぐさま慌ただしい声調のナツが出た。問い詰めると、数日前から単独任務に出ていた隼人だが、最後の最後で敵の捨て身の攻撃に捕まって損傷を被った、ということで。 恐慌状態に陥った私は団子を放りなげ、途中の森を迂回せず道なき道をひた走りアジトのドアをいくつか木っ端微塵に破壊して、ここまでに数キロをノンストップ全速力で突っ走ってきたのである。 「――っ…だって…」 隼人の腕から体を離し、一定の距離を測って正座する。それから服の袖のところで、目に溜まる涙を強く拭った。 納得したような、困惑したような、そんな微妙な表情を浮かべる隼人は、何かを呟いてまた、作業に手を動かした。勿論、何を言ったのか気にならないこともない。けれど、今はそれよりも聞きたいことがあるのだ。 それなりの覚悟と少しの興味を持って、私は呼びかける。 「…ねぇ、どこ怪我したの?」 ナツが携帯越しに言った、損傷。 与えられた情報はそれだけで、どこをどんなふうにどれくらい、ということが皆目分からない。そのため、片っ端から謎を解明していこうと隼人に呼びかけたのである。 「あん?…ほら、これだ」 ひょいと放り投げられたそれを、条件反射でキャッチしてしまった。キャッチした瞬間に、その重さに思わず声をあげそうになったのをギリギリのところで堪え、それが一体何なのか確かめるべく、視線を向けた。 ――足。 「…っひ、ひゃあァァァァ!!!」 そのあまりの生々しさに悲鳴を上げるが、体は硬直したままで、「足」は手の中に居候したまま動かない。 「馬鹿か?よく見ろ」 「………え?」 そういえばー…何となくー…違和感がぁー……。 「!これ義足じゃん!!」 「おせーよ」 けれども手の中の「足」は、やはりリアルで、それが義足だと気付いたのは、「足」に刻まれている、ぱっかりと開いた傷口から除く機械の跡。 最も、隼人の右足が義足だと知っているこそであって、ついでにそれは子供の時つまり「紅」にくる前からだそうで、 それこそ何もしらずに、そんな生足を渡された日には、ショック死でもなんでもなってしまいそうだ。 「怪我ってこれだけ?」 「ん、それだけ」 その言葉を聞いて、今まで溜まっていた緊張感が一気に抜け出した。 「そっか…良かったぁ」 義足を隼人に手渡すと、彼はそそくさと修理に取り掛かる。 もともと、その義足だって隼人が手作りしたものだ。修理なんて、あっという間に終わらせてしまうんだろう。 そういえば、これまた真剣に何かの金属を弄っていた時に一人でぶつぶつ会心の出来だとかなんとかとにかく高評価を付けざるをえない程の作品を造り上げたらしいそれを、横で暇に眺めていた私が「完成」の一言を聞き間近で見たくて隼人の手から奪い取ろうとしたら何ともありきたりな展開に発展してゆき、「完成」から一分足らずで「作品」は「ガラクタ」へと変化したことがあったっけ。 もう、ずいぶん前なので私もあまり覚えてはいないが。 「ところでさ、も一個質問」 彼は修理の手を止めない。 「誰に、付けられたの?」 カチャカチャと音が響く。 「その傷」 私も一目おくほどの、隼人という素晴らしい戦闘能力を持つ彼に義足とはいえ、傷を付けた相手が誰なのかを知りたい。それだけ、思った。 「んー…敵の隊長」 「………」 「つまり俺の母親」 何の躊躇もなく答える。 「そのあと、俺が殺したけどな」 それはそれはあっさりと。 何て言えばいいのかも分からぬまま唖然とする。聞かなければよかったと後悔しても、もう遅いのだ。 それでも、何となく、平然とした隼人が少しだけ悲しそうな気がしてならない。 カチャカチャと音が響く。 隼人が素早い手さばきで修理する義足の傷口を凝視した後、顔が隠れ私から見て中途半端な角度であぐらをかいている隼人に視線を移す。 そして、 「痛くないの?」 ぼそりと吐き出した。 そう聞くやいなや隼人は、先ほどとは違いこちらに振り返り、と同時に目が合い、先刻まで見えなかった彼の表情は今、呆れた顔だった。 「…馬鹿だろお前。目ェいかれてんじゃねーか?これ、義足だぞ。義足!」 「…っそうじゃなくて……!」 そうじゃなくて。 傷が痛いとか、そういうことじゃなくて。 心が。 「隼人の心が――…っ」 実の母親に傷付けられて、実の母親を殺して、心痛んでないの? 義足の傷は直っても、心の傷はすぐには治らないんだよ? 一瞬で、あっけらかんとした顔を作りあげた隼人が、これもまた一瞬で元に戻り、何を思ったか口元を持ち上げた挙句に、額を押さえて俯く。 鼻で笑う声がしたかと思った途端にそれは声へと変移する。 「……ははっ。何だソレ」 「………」 「お前やっぱり馬鹿だわ」 隼人に馬鹿と言われたのは何度目だろうか。 「そんな感情、あるわけねェーだろ?」 目を見開く。 驚きというより、怒りの方が僅かに勝っていたそれは、その言葉に対してだけでなく、馬鹿にした、あざ笑うかのような笑みと声調からで、瞬時に胸倉でも掴んで、ふざけんなと怒鳴ってやりたかった。が、やめた。 どうせ、私なんかでは隼人の胸倉なんてきっと掴めないんだろう。能力的な意味ではなく、気持ち的に。 というかそれ以前に、 もしかしたら、それが普通なのかもしれないと思った。 悲しみ、感謝、愛しさ、思いやり。 どれも私達にはいらないものなんだと。どれも必要のないものなんだと。 非情にならなければ、この先生きていくことなんかできないんだと誰かが言った。誰が言ったかはもう覚えていないが、その言葉だけは消えることなく私の頭の中に生き続けた。間違ってなんかいるはずもなく、むしろ正しいといえる。 それでも―― 「嘘、だよね」 相変わらず金属をぶつけ合っていた手が、ピタリと止まる。 それでも、いらないものと知っていながら、私は捨てきれずにいる。 私だけじゃない。 ナツも、時雨も、ボブも、団長でさえ捨てきれていないのだ。 もともと、捨てきれるはずのないものだ。 人であるかぎり。生きているかぎり。 失えない。失ってはいけないもの。 「……てめェ、いいかげんにしろよ」 静かに声が響いた。 殺気混じりで「てめェ」と言われたのは何度目だろうか。 初めてか。あるとすれば、ずいぶん前の、私が隼人の作品を一分足らずで破壊してしまった時ぐらいだろう。 「………」 眉を歪めて隼人の目を見つめた。彼は、何をそんなに拒んでいるのだろう。 「そうやって、突き放して、」 一体何になるの? 「何の意味があるっていうの?」 悲しい。 「……っるっせーよ!てめェに…!ひよりに何が分かるってんだよ!!」 どうして悲しいのかもわからないのに。 「俺の何を知ってるってんだ!何も知らねェくせに!何も……!」 涙が流れる。 私は、彼の震える肩を抱きしめた。 「知ってるよ」 少しだけ笑ってみる。 「全部、分かるよ」 強がってみせても、 「――……俺さぁ、別に殺すつもりなかったんだ…」 そんなことは全然意味無くて、 「母さんを殺すつもりはなくて、追ってこられない程度に傷つけて、それで去るつもりだった……」 そんなことするぐらいならただ、 「……っでも…去ろうと後ろを向いた瞬間に母さんの最後の力で傷つけられて」 誰かに涙でも何でも流しながら、 「振り返ったらもう、自爆してたんだよぉー……」 抱きしめてもらえばいいじゃないか。 「そっか――」 でもね、子供の頃から義足だったっていうその右足。 当然、隼人のお母さんも知っているであろう義足の右足。 「…隼人のお母さん、やっぱり隼人のこと愛してたんだろーなぁ」 「!?」 「じゃないと、わざわざ狙わないよ。たいした痛みも感じないのに」 私の手の中で隼人は静かに泣いた。 つられて、一時止まっていた涙がまた流れ始めた。 感情なんて、 もともと、捨てきれるはずのないものだ。 人であるかぎり。生きているかぎり。 失えない。失ってはいけないもの。 「いらない」なんて言うのは、何もしらない馬鹿が言うこと。 「捨てろ」なんて、非現実的なことを押し付けるのはやめて。 「いらな感情を捨てて非情になれ」なんて言われても、いらない感情なんてもの無いし、捨てることも出来ないし、非情になんかなれないし。 でも、きっと、それを一番隼人が分かっていたんだと思う。 分かっていたからこそ、こんなに悲しいなら無くなってしまえばいい。非情になりたいと、強く願った。 ねェ、隼人。 隼人が拒んでいたのは現実だったんだね。 薄暗い部屋の中はもう、先刻の冷たい金属音なんかじゃなくて、お互いの心に強く響く嗚咽を、止めることができずに漏らし続けることしかできない切ない現実があった。 「……痛い?」 潰れそうな胸の奥から精一杯の掠れた声。 暫くしてから隼人は、こくりと頷いた。 *fin* |
|
■一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集 |