英雄なんかじゃない「5」
作者: トウコ   URL: http://www3.to/retouko   2008年07月11日(金) 21時59分43秒公開   ID:0iv14BfJ/zk
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「気絶、しただけだよね。ノア」
 床に寝転がったまま、ミカが言う。心なしか、声に気力がなくなっている。スズはミカに歩み寄ると、ミカの手を取った。手が氷のように冷たい。スズの手の感触に、ミカは一瞬手を震わせたが、やがてゆっくりとスズの手を握った。
 しかしその力も徐々に弱まっている。記憶を消した時よりも反動が大きい。スズはより力を込めて小出の手を握った。きっと、記憶という形のないものと物質を消すのでは、反動の大きさが違うのだ。
「あの体格だ、死にはしないだろう」
 ノアと呼ばれた少年は、小さく息をついた。そして彼は再度呪文を唱える。すると緑色の仄かな光が、トルエンの体を包んだ。血だまりの広がりが止まる。あれは止血の呪文なのだろう。あれだけの流血を止めるのは、相当高度な治癒術のはずだ。それを事も無げに唱えたノアに、スズは羨望のまなざしを向けた。
 ノア。ノア=トリエンナーレ。スズは仕事票に書かれた相方名を思い出す。そうか、あの少年がミカの相方だったのだ。
 そう思うと同時に、スズは思い出した。ノア=トリエンナーレ。どこか覚えのある名前だと思っていたが、その名前をどこで見たのか。
 英雄史で見たのだ。歴代の英雄の名前が連なった書物で。
「英雄、ノア=トリエンナーレ」
 スズは言う。スズの言葉にノアは瞠目した。あの表情は当たっているということなのだろう。
 ミカがスズに視線を送りながら、僅かに首を動かした。英雄という言葉に疑問を持ったのだと解釈し、スズは言う。
「ノア=トリエンナーレは南北統一の功績者。稀代の魔術師だよ」
 ミカは閉じかけていた目を、僅かに開いた。彼女の唇が震える。
「南北統一の功績か」
 ノアが言う。吐き捨てるような言葉だった。まるで南北統一を後悔しているような口振りだとスズは思う。
 格差が残ったままとはいえ、統一のおかげで北の環境は幾らか増しになったはずだ。それでも統一を進めた者としては、思うところがあるのだろうか。スズはトルエンと彼の仲間を一瞥した。ああいう連中に対して、心を痛めるだけ無駄だとスズは思うが、志高い功績者は見捨てきれないのかもしれない。
「英雄が、なんで」
 絞り出すような声でミカが問う。ミカの問いにノアは答えなかった。その代わりミカに歩み寄ると、ノアはそっとミカの頬に手を伸ばした。彼の手のひらがランプのような穏やかな光を纏う。すると、みるみるうちにミカの血の気が失せた顔に色が戻っていく。
「逆に聞きたい。小出、そのリングの力はなんだ? 反動があまりに強い。その様子だと、消す力はお前の力ではないだろう」
 ノアの灰色の目が慈愛に揺れる。ミカを心配しているようだとスズは思う。人が抱えるには大き過ぎる力を持つ者は、同じく大き過ぎる力を持つ者に、親近感を覚えるのかもしれない。背負い切れない重さと、道を外さないよう前を見据える精神力。
 ミカはスズの手を借りて起き上がると、ノアの手のひらに自分の手のひらを重ねた。見かけは十歳ほどの少年の手は、ミカの手よりひと回り小さい。
「妹にもらったの」
 ミカの言葉に、ノアは水晶玉のような目を瞬かせた。妹、彼は小さな声で呟く。
 スズはミカを見た。妹の名をうわ言のように呼びながら、雨の中、道端で倒れていたミカをスズが拾ったのは、確か五年前のこと。
 今でもスズは、詳しい事情をミカに問いかけたことはなかった。ミカからスズに話してくることもない。ただ聞いているのは、スズに土下座をして、お金を稼がせて欲しいと頼んできた、あの時のミカの一言だけだ。
 ――『妹を、買い戻したいの』
 どういう経緯で妹を手放すことになったのか、妹がどれだけ価値がある人間なのか、スズは知らない。ただ、これほどの力を人に与えることができる妹だ、与えられた職は高位だろう。
 スズと同い年である彼女は、当時十五歳。公的に職を得られる、最低限の年齢だ。それこそノア=トリエンナーレと同位ほどの能力を持つ、魔術師のような職に就く。そういう人間は、例えば闇市では相当の高値がつく。
 誘拐か、借金の形か、何らかの要因で妹は売られた。そして、ミカはそれを買い戻そうとしている。そう考えるのが自然だ。事実はしらないが、大方そんなところだろうとスズは考えている。
「悪いものが降り掛からないよう、消す能力をもらった。本来は厄災を遠ざける力よ」
 そう言って、ミカはリングを撫でた。赤い宝石が僅かに光る。
「そうか」
 ノアが呟く。しかしそれ以上、彼の言葉は続かなかった。何を言っていいのかわからないのかもしれない。彼は大きくかぶりを振った。
 それからノアはスズの肩口に触れた。トルエンに蹴られた部分だ。同じように彼の手のひらが、ランプのような暖かな光に包まれ、その光がそのままスズの肩口の傷を癒す。
「さて、あたしもノアに懲らしめられるのかしら」
 ミカは腰に手を当て、堂々と仁王立ちをした。小出ミカ、復活だ。今まで死にそうだったくせに、なんてやつだ。スズは思わず舌打ちをした。心配した自分が、馬鹿みたいだ。
 更にミカはノアに向かって手の甲を向けた。どうやら彼女は、ノアの記憶を消してしまおうとでも考えているらしい。稀代の魔術師にど底辺勇者が適うはずもないのに。
 大体記憶を消すことも、いまいち力を使いこなせていないミカでは、警戒している人間に効かせることはできない、とスズは聞いている。あくまで隙をついてこその力なのだ。スズはため息を吐いた。なのに、この態度。ここまでくると、いっそ清々しい。
 ノアにもミカの考えは伝わっているらしい。ノアはミカに呆れ顔を向けた。
「オレは何もせん。罰を与えるのは警察庁であり、裁判庁だ。――とはいえ小出の場合、罪を立証するのは難しそうだからな」
 ノアは小さく息をつくと、ミカとスズを交互に見る。
「善行につきあってもらおう」
 僅かに口元を緩めるノア。――善行? スズはミカを見た。ミカもスズを見る。二人で顔を見合わせて首を傾げた。



 夜八時を回る頃。満月が空に昇り、月が街灯以上にポポを明るく照らしている。昼間はあれほど賑わっていたメインストリートも、今ではすっかり静まり返っている。代わりに住宅の窓から暖かな光が溢れ、時折子供の笑い声が聞こえていた。
 ポポの町、町長のグレナーデ=ポポは自宅の廊下を歩きながら、ポポの町並みを見下ろしていた。薄茶色の彼の目が細まる。目元に刻まれた皺が、更に色濃く刻まれる。ぴんと伸びた背中は凛々しいが、それでも表情には疲労の色が滲んでいた。
 グレナーデは今年で四十歳になる。彼は歴代の町長の中で、最も若い町長だった。彼がポポの町長として就任してから、およそ二年が経つ。月日が過ぎる早さを実感し、グレナーデは小さく息を吐き出した。
 織物産業の退廃で、一時はどうなるかと思ったポポは、こうしてなんとか盛り返している。笑い溢れるポポの町。グレナーデは昼間の光景を思い出し、思わず口元を緩めた。生まれ育った町だ、発展していくのはとても喜ばしい。
 ――ポポのためにもうひと頑張りだ。
 グレナーデは自慢の口髭をなでると、書斎のドアを開けた。 
「はぁい。こんにちはぁ、グレナーデ町長」
 途端、中から聞こえてきたのは高めで甘い声。しかし作り込んだ、わざとらしい女の声だ。グレナーデは目を見開いた。町長の席に、二十代半ばくらいあの女が腰掛けている。色褪せたジーンズに白のTシャツ。組んだ足の先を机の上に乗せ、女は笑う。
「なんだね、君は」
 不法侵入もちろんのこと、この上なく無礼な態度。グレナーデは女を睨んだ。しかし女は反省の色を見せず、それどころか背もたれにもたれ掛かり、偉そうに仰け反る。
「人を呼ぶぞ」
 そう言って、グレナーデが扉近くにある電話を手にかける。この電話は、屋敷内の警備室へと直通になっている。
 しかし、受話器を取る前に町長の手にやんわりと制止の手がかかった。
「すみません、無礼な奴で。どうしても座ってみたいって言って聞かなくて」
 そう言ったのは、扉近くの壁際に立っていた男だった。浅黒い肌に銀の髪、青の目。とても印象的な顔だちとパーツだ。彼はグレナーデと目が合うと人なつっこい笑顔を浮かべた。話し方や仕草から人当たりの良さを感じる。
「君は何者だ?」
 そこで、グレナーデは男の影にもう一人、招かれざる客がいることに気がつく。身の丈をすっぽり覆った灰色の外套。その人物は町長と目が合うと、被っていたフードを降ろした。
 漆黒の髪、真っすぐに伸びた猫っ毛。水晶玉のような灰色の目が、グレナーデを真っすぐに見つめている。人形のように綺麗な顔立ちの少年だ。
「ノア=トリエンナーレという」
 少年の言葉に、グレナーデは瞠目した。口を半開きにしたまま、彼は僅かに首を振る。まさか、こんな子供がノア=トリエンナーレだと。
 しかし彼の心を読むように、ノアと名乗った少年は、懐から一通の手紙を取り出した。封筒にはグレナーデ=ポポと書かれている。それは紛れもなく、グレナーデがノア=トリエンナーレに宛てた手紙だった。
「町外れの強盗団の退治を直接依頼されたようだが、間違いだっただろうか」
「いえ、間違いではありません。稀代の魔術師からご足労いただけるとは……言ってくだされば使いのものを寄越しましたが」
「気遣いはいらない。ここへ来たのは私用のためだ」
「私用ですか」
 グレナーデが瞬く。ノアは彼に歩み寄ると、外套の下から一枚の白い紙を取り出した。書類作成に使われるサイズの紙だった。紙は四つ折りにされている。
 ノアはグレナーデに向け、四つ折りの紙を広げた。怪訝そうに紙を覗くグレナーデの動きが止まり、これでもかというほどに瞠目する。
「あなたがトルエン=リザーラに当てた手紙だ」
 そう言ってノアはすぐさま手紙を懐にしまった。灰色の目がグレナーデを見据える。彼の目に映るグレナーデは唇を振るわせ、顔は血の気が失せている。ごくりと喉を鳴らし、グレナーデは拳を握る。動揺とともに言い得ぬ怒りが彼の中に沸き上がった。使えないごろつき共が――
「燃やせと言っておいたのに」
 グレナーデが独りごちる。同時に、ノアの目が僅かに細まった。
「トルエン=リザーラと組み、町民から大金を巻き上げる算段を立てたのは、やはりあなただったのか」
 ギルドを使い、町民から金を巻き上げようとしている連中がいる――それに気付いたのは、他ならぬグレナーデだった。
 町民の依頼はギルドを経由し、グレナーデにも送られる。もちろん結果報告もギルドから随時届けられていた。それを見た時、グレナーデは思わず笑ってしまったものだ。捕まったごろつきと、それを捕えたごろつきは仲間じゃないか。なんて陳腐な手を考える奴らだ。そしてそれを見落とすギルドもなんて滑稽なのか。
 仲間だと分かったのは、エタ製品を主産業にするため、グレナーデが部下に森の調査をさせていたためだった。密やかに調査は進み、森に住う悪党達の関係図は大体把握できている。
 ――そして、その時、グレナーデは目が覚めた気分だった。
 突如、目の前の世界の色が変わった。グレナーデがこれほど必死になっている時、こんな陳腐な手で金を稼いでいる奴もいる。自分が必死になって町民を稼がせている中で、その金を巻き上げている奴がいる。
 なんて、不平等な世の中だ。
「グレナーデ町長。あなたはポポの町を愛し、必死に施策を進め、ここまで町を復興させた。あなたほど優秀な町長はいないだろう。それなのに、なぜ」
 ノアが言う。彼の言葉にグレナーデは笑った。思わず自嘲的な声が出た。哀れだ。目尻を下げ、グレナーデはノアを見る。深く、ため息を吐き出して。
「適性があったと、あなたもそう言うのですか」
「適性があったから町長なんでしょ」
 ミカが言う。言い切った彼女にグレナーデは鋭い視線を向けた。歯を食いしばる。
 グレナーデは大股で机に歩み寄ると、右手の拳を机に叩きつけた。鈍い音。振動が響く。机の上に置かれた書類が宙を舞い、その何枚かが床に落ちた。本が倒れる。有名な政策指南の本だ。読むのも困難とされる難解な政策指南書もある。それらは全て本の背が解れ、ページの端がよれている。
「お前のような人間になにがわかる! 私は、初めから町長になりたかったわけじゃない。職業決定所で命じられたから、町長になっただけだ! 町長になってみれば、湖汚染、産業退廃……胃が締めつけられるような事ばかり。それを私はここまで立て直したのだ。狡をして何が悪い。そうでなければ不公平だろう!」
 叩き付けたグレナーデの拳が赤く染まる。痺れるような痛みが広がった。
 ミカは表情を変えなかった。真っ直ぐにグレナーデを見返している。生意気な目だ。しかしグレナーデは訴える言葉が出てこなかった。膝が折れ、机に沿うようにしてグレナーデは腰を落とす。机にかけたままのグレナーデの指先が震えた。

⇒To Be Continued...

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