英雄なんかじゃない「4」
作者: トウコ   URL: http://www3.to/retouko   2008年07月08日(火) 22時32分06秒公開   ID:gWOgPPvX.QY
【PAGE 1/2】 [1] [2]


 次の瞬間には、ミカは部屋の中に立っていた。見なれた木目調の壁、カウンター、窓口。ここはジャングルかと散々馬鹿にしている大量の観葉植物――まぎれもなく、アサボアのギルドだ。
 ミカは思わず辺りを見回した。いつもより客が少ない。ふと、ギルドの出入り口でミカの目が止まった。既にシャッターが降りている。営業を終了しているのだ。
 瞬間移動。稀な魔術を目の当たりにしたギルドの面々は、驚きで目を真ん丸に見開いた。騒然どころか沈黙だ。驚きで声も出ないらしい。
「ねぇ、スズは?」
 ミカは真ん中の窓口に座った女性に声をかけた。そして一番左端の窓口を見る。左端はスズの特等席だ。しかし今は空だった。
 二十前後の窓口女性は、ミカに声をかけられて、我に返ったようだった。すると今度は狼狽し、「あの、えっと、そのスズさん、そう、スズさん」と文章にならない言葉を発する。相当に動揺しているようだ。
「とりあえず落ち着いてよ。スズがなに?」
「えっと、スズさんが、妙な男達に連れていかれてしまいました。伝言がありました。えっと――『小出ミカが戻ってきたら、カイエンの倉庫まで来い』だそうです」
 深呼吸をした後に、窓口女性が言う。彼女は潤んだ目でミカを見た。
「スズさんを助けてください」
 言われなくてもそのつもりだ。スズがいなくて困るのはミカなのだから。ミカはノアを見た。ノアの形がよい口が歪む。
「カイエンの倉庫群か」
 カイエンはアサボアの町の西はずれだ。知名度は薄い。ノアは僅かに顔をしかめた。場所を思い浮かべにくい場所かもしれないとミカは思う。
「行ける?」
「だいたいの場所はわかる。小出、お前は仲間の顔を思い浮かべろ。できる限り鮮明に、だ」
 緊急事態でありながら、ミカはノアの命令口調にむっとした。小言を言ってやろうかと思ったが、スズを助けるにはノアの力が必要だ。カイエンに行くためにはもちろん、ミカではトルエン=リザーラに勝てない。仕方なくミカは頷いた。
 目を閉じて、ミカは脳裏にスズの姿を思い描く。浅黒い肌。銀糸のような細い髪。青の目。百七十センチだと言い張るが、どう見たって百七十センチもない身長。
「飛べ」
 ノアの言葉と同時に、ミカの体が浮遊感に包まれる。体が飛んだ。

 浮遊感が消えるとともに、磯の香りがした。肌にはりつくような潮風。遠くに聞こえる潮騒。磯臭さと埃臭さが混じった、独特の匂いがミカの鼻をつく。
 目を開くと、ミカの目の前には埃かぶった倉庫の内部が見えた。大柄の男が三人、なにかを囲んでいる。木箱にもたれかかってるのは――
「スズ!」
 反射的にミカが叫ぶと、「小出」とか細い声が返ってきた。弱いが、確かにスズの声だ。
 スズを囲っている男達がミカの方へと振り返った。その中の一人、中心にいる男はトルエン=リザーラだ。相変わらず、品のないハゲ面ゴリラ。
「久しぶりだな」
 トルエンが大きく口元を緩める。途端、ミカの体を撫で回す、彼の手の感覚が蘇った。ミカは彼の笑みにゾッとした。気色が悪い。生理的に合わない男だ。
「窃盗団と組んで、町民からお金を巻き上げてたなんて、面白いことしてくれるじゃない」
「てめぇよりマシだ」
 トルエンは吐き捨てるように言うと、両脇の男達に目配せをした。彼らはトルエンの合図に頷くと、スズの腕を引く。無理矢理立たされたスズは、痛いのか、歯を食いしばっている。そんなスズを見て、トルエンは笑った。
「こいつはお前の命と盗んだ金と交換だ。剣を捨ててこっちに来い」
 どうせ、スズだって生かしておく気はないくせに。
 ミカはため息をついた。スズも同じことを思っているのだろう、苦々しい顔でトルエンを睨んでいる。
 次にミカは隣のノアを見た。相変わらずフードを被っているため、ミカの位置から彼の表情は見えない。ただ、助けてくれる気はなさそうだ。動く気配が全くない。
 どうすればいい。このまま素直に従ったところで、ミカもスズも殺されるだけだ。けれど従わなければ、スズは殺されるだろう。スズがいなくなったら困る。お金が稼げなくなるじゃないか。
 ミカは大きく息を吸い込んだ。どうしたって最終的には殺されるのだ。であれば、イチかバチか。ミカは浅く唇を噛んだ。
「イヤ」
 ミカは言う。
「そんなやつ、好きにしたらいいじゃない」
 ――これは、賭けだ。
 ミカの言葉に一番驚いた顔をしたのはスズだった。トルエンはスズとミカを交互に見遣り、苦虫を噛み潰したような顔をした。あの顔はミカの言葉を信用している顔だ。ミカは再度浅く唇を噛んだ。演じきれ。スズさえ騙すつもりで言い切るのだ。
「そいつが居なくなっても、別の窓口に紹介してもらうだけだもん。書類の改竄も他にやらせればいいわけだし――何の問題もないけど」
 嘘だ。ミカに出来るのは消すことだけだ。それだって正確にはリングの力であって、ミカの力ではない。人を操る術力もないくせに、どうやって書類を改竄させる気だ。スズの表情はそう言いたそうに歪んでいる。その通りだ。
 だから、スズがいなくなると困るのだ。――例え、スズもミカの言葉を信じ、今の関係が崩れたとしても。
「お前の力は記憶を消すだけだろ」
「誰から聞いたの? スズ? スズはあたしの操り人形よ? スズはあたしのことなんてほとんど知らないわ」
「……こいつはてめぇに操られ、踊らされてただけっつことか」
 トルエンは小さな舌打ちをした。スズがトルエンを見上げる。トルエンの心の中では、俺と同じように、と言葉が続いているのかもしれない。
 こんな言葉を信じるなんて、頭の弱い男だとミカは思う。しかしミカにとっては好都合だ。自分の言葉を信じ込め。ミカは念をこめてトルエンを睨みつけた。スズは関係ないと思い込め。そして、スズに興味を失え。
 ギルド職員はそれなりの護身術を身につけていることが多い。スズの性格を考えても、何かしら武器や道具は持っているはずだ。機会さえあれば、きっと、スズは自力で逃げ出せる。
 スズがミカを見た。スズの目は不満で一杯だ。けれどミカは平生を装い、腕組みをし、スズを見返した。僅かに唇を噛んだまま。しばらくは黙っててよね、とりあえずはあんたを助けるためなんだから。
「そうよ。残念ね。あたしは仲間は作らない主義なの」
 ――だから、スズを放せ。
 トルエン=リザーラが憎らしげに歯を食いしばる。両脇の男の内、ミカから見て右側の男は、スズを掴んだ手を緩めた。勝手の使えないと判断したのだろう。傍を離れる気はないだろうが、興味が大分薄れてきた証拠だ。もう一方の男も、仲間の様子を伺いながら、スズを掴んでいる手を離した。
 スズの体が落ちる。重力に従って、ゆっくりと。スズが膝つき、手のひらが地面につく。スズの手のひらが動いた。両脇に立っている男の足を掴む。男達は、スズが偶然自分の足に落ちてきただけだと思っているのか、スズを見もしない。
 数秒の間。そしてスズの両手首にある金の腕輪、そこにはまっている青の宝玉が光った。同時に、バチン、雷が弾けた。
 閃光。電撃が走る。
「うわぁあ!」
 悲鳴をあげ、男達が白目をむく。電流。ミカは瞬いた。スズの腕輪は術がかかった腕輪だったのだ。珍品だ。それを身に付けているあたり、さすがというべきか。倉庫に倒れ込んだ男は、床に倒れ、体を痙攣させている。
 それと同時に、スズは低い体制のまま走り出した。トルエンが振り返るのと、スズが彼の横を駆け抜けたのはほぼ同時だった。
「くそ!」
 トルエンが大剣を持ち直す。しかし彼の視線の先はミカだ。彼の興味はスズよりミカにあるらしい。ミカも自分の長剣に手をかけた。そこで気がつく。鞘から抜こうとした瞬間、ミカの目の前に立ちはだかった影。
 男にしては細い肩。浅黒い肌、銀の髪。
「スズ!」
 トルエンが大剣を振りかぶる。スズは両手を広げて、立ちはだかったまま動かない。ミカは左手を伸ばした。左小指のリングが光る。大剣が振り下ろされる。
 ――やめて!
 ミカの叫び声が倉庫内に響き渡った。




 死んだ、とスズは思った。大剣は確かに振り下ろされた。空振りはありえない。
 けれど、痛くもない。
 不意に声が響いた。獣のようなうめき声だった。スズは訝しみながら目を開く。真っ先に見えたのはトルエン=リザーラだった。彼の瞳孔が開き、唇がわなわなと震えている。血の気がない。あれは怯えた人間の表情だ。
 ――――指がない。
 スズは瞬く。トルエンが自身の眼前にかざした手。根こそぎ、指がない。親指から小指まで、全ての指がなかった。手のひらから夥しい量の血が滴る。恐怖、そして遅れて痛み。手のひらを翳したまま、彼は上体を大きく振った。かぶりを振る。叫ぶ。耳をつんざくような声。スズは絶句した。
 地面に指先はない。剣もなかった。切り落とされたのか、一瞬にして壊れたのか。いや、その片鱗がどこにもない。
 ――消えた。
 指ごと、剣が。スズは喉を鳴らした。消す力。記憶だけじゃない、物質も消せるのだ。これがミカの力だと気付いた瞬間、スズの背筋を悪寒が走る。
 剣は避けられる。銃は防げる。けれど、この力は――
 不意に背を押されて、スズは体制を崩した。よろめいて、倒れそうになる。地面に手をついた。
そしてスズの後ろから飛び出してくる影。小出ミカだ。
 ミカは長剣を握りしめ、トルエンの右肩に突き立てた。体当たりに近い。長剣は彼の骨で止まり、止まったと同時にミカは身を引いた。剣が抜け、血しぶきがあがる。トルエンの血が、スズの目にかかった。
 血しぶきにやられ、目を閉じた瞬間だった。スズは頭に鈍い衝撃を覚え、床に倒れこんだ。割れそうに痛む頭を抱えながら見上げれば、トルエンが滅茶苦茶に腕を振り回している。どうやらスズの頭にあれが直撃したらしい。
 トルエンの肘がミカの鳩尾に当たった。咳き込みながら、ミカが床に倒れる。小出。名前を呼ぶ声は声にならない。歯痒さにスズは拳を握りしめた。ミカの顔が青白い。唐突に貧血を起こしたみたいに。他人の記憶を消した後と同じように。
 消した代償――力の反動だ。
「殺す、殺す、殺す、殺す」
 うわ言のように呟いて、トルエンはミカの剣を口にくわえた。血の気が引いた顔。しかし精神が痛みを超えたらしい、息は荒いが彼の顔は歪んでいない。壊れたのだ。精神が壊れた。
 トルエンがミカを狙い、首を振る。同時に小さな雷が剣に落ちた。刀身を伝わる電撃。呻き声をあげ、トルエンは剣を落とす。口が痺れるのか、彼の唇はぶるぶると震えている。
「そこまでだ」
 凛とした声。静かだが、制止力のある声だ。スズは僅かに顔を上げた。十歳くらいの少年が、まっすぐにトルエンを見据えている。灰色の外套の裾から覗いているのは、藍色のローブだ。
「罪を認めて改心し、自ら警察庁に出頭するか、それとも散々痛い目を見た後で逮捕されるか、どちらがいい?」
 彼は言う。彼の右手には文様が浮かんでいる。墨のような、力強い線。地面にぶつかり、弾ける稲妻のような文様。
「改心だって?」
 トルエンが言う。復唱し、彼は瞠目した。そして何を思ったのか、彼は腹を抱えて笑い出した。笑った勢いで右肩から血が溢れる。けれど全く気にならない様子で、トルエン=リザーラは笑い続けた。
「冗談じゃねぇ。はなっからこうやって生きる運命なんだよ! 生まれた時から、『ごろつき』の職を与えられた北のオレ達はな。南の奴らばかりが良い思いをしやがる……それがこの国だろ!」
 彼は踊り狂うマリオネットのようだ。スズはトルエンを見る青の目を細めた。操っているのは神か、この国か、あるいは彼自身か。
 ある種真理だ。仕事紹介ギルドに勤めるスズは、彼の言っていることがよくわかる。同じことを思う人間は決して少なくないだろう。
 この国の職業は能力で決まる。希望は問わない。適材適所、適正のある人物を適正のある場所へ送りこむ。
 転職は何回だってできるが、三年以内の転職には三万ルッツ必要だ。それにしたって、能力に見合わない職には転職できない。合理的だが、機械的だ。
 スズは数ある適正の中からギルドの仕事を選んだが、人によっては一職種しか選べないこともあるという。自分が就きたくない職に就くしかない、それはひどく苦痛だ。
「ばっかじゃないの」
 そこへ、聞こえてきた呟きにスズはハッとした。ミカが床に横たわったまま、トルエンを睨みつけている。彼女の顔は土気色のまま。
「『ごろつき』にしかなれなかったのはあんたのせいよ。あんたが生き方が選んだ職なの。それを国だ、運命だ――言いたい放題言ってくれるわ。そんなだから『ごろつき』にしかなれないのよ」
 ミカは笑った。嘲るような笑いだ。

⇒To Be Continued...

■一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集