その想いを知っている2 幽霊男
作者: くれたけ   2008年06月21日(土) 23時34分48秒公開   ID:frFMfwE1zC6
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 ――人の想いを知ることに価値は無い。
 断ち切られる残像、崩れていく執念。矛盾すらも蹴飛ばした、その想いを暴かれる。
 ――あなたが誰かを知ったとしても、誰かはあなたの事なんか知らないんだから
 存在自体に意味が無く、繰り返す行為そのものに価値は無い。基より歪んだ摂理で生まれたモノだ。天秤から零れ落ちるのも、また道理だろう。
 世界にとって己が無価値だと言うのなら、己にとっても、世界になど価値は無い。強い想いに突き動かされながら、執念だけを糧にして、悲哀の過去を模索する。
 そのためにこの身がある。
 そのためだけに蘇った。
 求めていたのは理想の終焉。だが、想いを途切れさせない事が存在理由だったとするならば、それは永遠に、終焉には成り得ない。
それでも口惜しい。この想いが消えることは受け入れ難い。
 消えゆく意思は奈落の底へ。たゆたう自我がまどろみに臥す。
 ――赤い押し花の後を追ったのは、それこそがあなたの終着だったからでしょう?
 懺悔も許さぬ断絶の闇が、全てを包むその刹那、無慈悲な響きだけが木霊した。

 
 ……闇の中、切りとられた光と向かう様は、縋るようでもあるだろう。
 紫煙で痺れた舌と喉に顔をしかめながら、青白く光るモニタを細めた眼で眺めている。再び吐き出した紫煙は、鼻孔を抜け、煙草特有の香りと快楽を残して、周囲を漂う白霧の群れへと混じっていった。それはもう、意識することすら馬鹿馬鹿しく思えるほど、習慣となった動作であるが、……さすがに、後ろのあれは意識しねえわけにもいかんでしょ。週一回の慣例行事、ドキドキ尋問タイムの始まりだ。
 鬱陶しい髪を結えていたゴムを外し、イスに座ったまま背後を振り返る。
 彩色を失った蒼白い闇。ぼう、と輪郭だけを照らし出された無機物の群れを背後に、何故か冷やかな流し目でこちらを見つめている黒髪の女が一人。とりあえずそんな視線を向けられる謂れはねえし、大体にして入ってきたんなら何か言え。
 そろそろ息抜きでもするかと、終わりそうもないデータ整理に一応の区切りを付けた正午過ぎ。突然ずかずかと入って来たまではいいが、ひたすらだんまりを決め込むそいつに嫌気が差してきたんで、こうしてお話する態勢作ったわけだけど、それでも相手、応答なし。仕方なく、俺は自分から話を切り出すことにした。
「なんか用?」
 出来ることなら永遠に続いてほしかった沈黙を破る、気だるげな俺の声に、ようやくそいつは反応を見せた。
「白々しい……。何の用か、なんてこと、分かり切ってるでしょう?」
 蔑むような声音が、嘆息と共に吐き出される。人を小馬鹿にした態度はムカつくが、仕草が容姿にハマりすぎてて文句も言えねえ。いや、美人ばっかの職場で結構結構。
 俺はただ黙って相手の言葉を受け入れると、然るべき返答を返した。
「いんや、全然」
 心当たりが無いことも無い。ただ、俺が今現在、罪悪を感じていない以上、こいつに謝罪する必要なんてありはしねえのである。……あくまで、常識の範囲内であればの話だが。
 俺の返事が気に食わねえのか、唇を噛むと、わなわなと震え始める女。どうやら相手の砲首は俺をロックオン中の模様。全く身に覚えのない怒りの火種で点火プラグに火がついてしまうのを阻止するべく、自分の海馬あたりに問合わせてみる。こいつが腹立ててここに来る理由と、最近自分がやった事を合わせて考えてみると、その答えは実に分かり易かった。
「げえ、あの白髪ジャンキーのことかよ……」
 思わず、気持が口に出た。
 
 遡ること一週間。とある研究施設への潜入作戦の際、この女が攻性ウイルスの効果条件を設定し忘れ、街中にばら撒くというサイバーテロをやらかした、その翌日。騒ぎは一段落着いたものの、クソ面倒な事後処理でイライラが募る俺に、急患の知らせが入った。
 俺は医者じゃねえ病院行けと言ったのだが、他でもないあの金髪からのSOS。断るわけにもいかず、てめえ俺以外に友達いねえのかよと毒づきながら手伝ってやったのだ。
 患者は、先の作戦で現場への潜入員だった白髪ジャンキー。PCを幽霊に乗っ取られ、自我境界が破綻しかけていた。何を考えやがったのか知らねえが、拒絶の跡がなかったところを見ると、自分から進んでとり憑かせたらしい。

 で、ようやく警察の取り調べから解放された女によって、今度は俺が取り調べ中である。
「誰がジャンキーですって?」
 まずい、聞かれてしまった。
 皮肉気に口元は笑っているが、目が全く笑ってない。多分これは笑ってんじゃなくて、主に怒りとかその辺りで、顔が引きつってるだけだろう。立ち込め始める見えない瘴気。……おっかしいなあ、こいつってただのエンジニアじゃなかったっけ?
「人のことを――」
 このままでは空気すら爆発物に変えてしまいかねない魔女をなだめる為に、何か言ってやろうとしたが、突然胸倉を掴まれたので白旗を上げて降参した。理不尽な状況だってことは理解してるけど、こうなったら甘んじて受けるしかない。
 チャージ――、
「けなせる――」
 ――完了。
「身分かあ――!!」
 か――、か――、か――、と続く脳内木霊。
「っ――!」
 揺さぶられる脳髄。耳元で炸裂した音の暴力が、俺に多大なる精神的ダメージを与える。……っていうか、まっとうな人間だったら間違いなく鼓膜がぶっ飛んでた。耳元での許容量を超えた爆音は、殺人行為に等しい。頻繁にこれやってるけど、死人が出てないのは多分奇跡だ。
 慣れた危険行為に咎を感じる筈も無い女は、一度叫んで気が済んだのか、元の居丈高な表情に戻っている。こっちの都合なんてお構いなしの女にうんざりした気分が、鬱に沈みそうになりながらも、出来れば聞き流したいな、という欲望を堪えた。
「どう責任をとってくれるのかしら? あなた達の荒療治のおかげで、発見不能なバグが発生しているのよ。私の許可もなく私が組んだプログラムに手を出すなんて、身の程を知りなさい」
 そしてたかだか二十歳そこらの小娘が、この俺に対して上から目線だなんて、身の程を知りなさい。主に一般常識として。
 まあ、荒療治と言えば荒療治だ。なにせ除霊の技術なんて持ち合わせない二人組が、通常のPC修復の手順で始めちまったもんだから、気づいた頃には強引な引っぺがしか、大本の破壊位しか方法が残されていなかったんだから。
 とりあえず礼節も何もねえガキに一言言いたい所だが、こいつに一般常識が通用しないことは理解している。俺のやる気レベルは、現在底を突き抜けマイナス値。年長者としての責任を全うする気力も、明らかに理不尽なこの状況に突っ込みを入れる気力も残っちゃいねえのである。最初からまともな会話が出来るとは思っていないが、この諦めの良さは、むしろ賞賛してほしい。
 ろくに吸いもしない内に灰になっちまった煙草を灰皿に押し付けると、俺は気だるげに、新しく煙草に火を点ける。
「おかしいって、何が? 俺も探ったけど、別におかしな所なんて無かったぞ。ほぼ完璧に元通りだ」
 だるさのあまり、つい投げやりな口調になってしまったが、正直どうでもいい。こいつを相手にした場合、納得させることよりも、呆れて出て行かせる方が何倍も賢いやり方なのだ。
「確かに、プログラム自体は正常に作動してるのよ。ただね……。反応が、なんだか……」
「反応が?」
 俺の気持ちが伝わったのかそうじゃねえのか、そいつは剣呑な態度から趣を変え、微かに物憂げな表情を見せる。うまく表現できる言葉が思い浮かばないのか、そいつはしばらく考えた後、
「気に食わないわ」
 と、苦々しい口調で言った。
「…………」
 ……知らねえよ、そんなこと。それから、ここに来たの間違いなく八つ当たりだろ。
 がっくりとうなだれ、腕を組んだ俺の態度をどう取ったのか、そいつは咳き込むように話し始めた。
「だ、だって、あいつ、一昨日珍しく残業なんかしてるから、気を利かせてコーヒー淹れてあげた時に何て言ったと思う? 一言だけ、ありがとう、なんて言ったのよ!?」
「はあ……、そりゃあ、珍しいな」
 呆れつつも、俺は思案する。確かに、あいつが装飾の無い言葉で気持ちを伝えるのは珍しい。生きていること自体が芝居みたいな奴だ。余計な言葉で自分の感情を悟られないようにするのが、あいつの癖だった。それが恐怖によるもんだったのか、嫌悪によるもんだったのかは知らねえが、ガタがきてる自我を守るための策だったのは明白だ。……だから、ジャンキー。狂人としてしか生きられないあのガキは、その在り方をやめちまえば廃人でしかない。ぶっ壊れる前提で生きているものが、多少面白可笑しくても、別に気にすることじゃねえだろう。それに、他人の心情や身の上を知ることになんか、価値はねえんだから。――それに気づいたのは、確か二年ほど前のことだ。
 気に食わない、とか抜かしときながら、目の前の女は、満更でもねえにやけ顔してやがる。大方、頭ん中をその甘―い一言が巡ってるんだろう。あの白髪と違って、こいつは感情が読みやすい。冷徹女気取るには、少しばかり若すぎる。
 俺は相手と対峙するための気力と共に煙を吐き出すと、座っていた回転椅子を使い、くるり、と背を向けた。
「お前の年下趣味は気にしてねえけどよ……。のろけ話なら他でやってくれ。だいたい、PCに問題がねえんなら、元からプログラムに問題があったんだろ。記憶を消さねえで感情だけ制御するなんて、半端なもん作るから悪いんだよ」
 背後からは憤怒の気配。もう一発大砲をお見舞いされるだろうが、構わねえ。一日限りのもんだけど、こいつに対する耐性は出来上がったことだし、もう相手にする気は無い。
 そう思って構えていると、ふん、と鼻を鳴らされた。予想外のアプローチに、珍しいこともあるもんだ、と気を抜いていたら、まるで勝ち誇ったかのような口調で告げられる。
「その半端なプログラムのせいで、瀕死の重傷を負わされたのはどちら様だったかしら?」
「む……。随分古い話持ち出すな」
 痛えとこついてきやがる。
「あら、二年なんて時間、あなたにとってみれば刹那でしょうに。ついこの間の事なんじゃない?」
「変わんねえよ。生きてりゃ誰だって同じようなもんだろ」
「ふうん……。生きていれば、ねえ……」
 俺の負け惜しみに、意味ありげな微笑を返す女。嫌味な顔が背中越しでも伝わってくるようだ。……何が言いてえんだメスガキめ。知ったような口利きやがって。
 俺は女の言葉には答えず、再びぼんやりとした顔でモニタを眺め始める。今の一言で決めた。本当に鬱になっちまう前に耳を塞いじまおう……。
 相手に興味を失ったのはどちらが先だったか、会話が途切れ、褪めた静寂が続き始めた頃、
「それじゃ、あなたはあの子と違って色々と利用価値があるから、埋め合わせはまた今度」
 そんなことを言って、司書室から女は出て行った。
 天井を見上げるように背もたれに身を預ける。共犯者の安否が気になるところだが、勤労以外の要因での疲労に、仕事の続きをする気にもなれず、怠惰な姿勢のまま、深く紫煙を吸い込んだ。濃厚な葉の香りが、俺の意識すら刈り取るように脳髄に染みていく。ストレスの軽減にマジ感謝。
 人の気配さえ無くなれば、再びここは無機の群れへと還る。部屋中に張り巡らされたコードと、間取りを構成する無数の記録媒体の壁。人造の者たちが作り出す、仮初めの清浄が満ちていく。彩色を失ったこの部屋には、俺が求めない限り、どんな声も届かない。自虐行為と分かってはいるが、答えの出ない自己問答に浸れるこの場所を、俺は気に入っていた。
 だが、結局そうして過ごす時間も、意味の在り処が曖昧で、もちろん価値なんぞ有りはしない。この煙草の煙のように、循環することなく滞留するだけなら、いずれ淀んで腐り果てる。それは、妄念に執着する亡霊よりも、ある意味死んだ生き方だ。
「っ……」
 自分の思考に自嘲する。確かに、二年前のあの日まで、俺は妄念を通すだけの亡霊だったのかも知れない。それでも、あの時の俺には、自分が生きていくための理由があった。あまりに愚かしく、妬ましい過去の自分。安穏とした憂鬱を貪り続ける今の俺には得られない、悲愴な幸福。充実していたと言えば聞こえは良いが、戻りたいとは思えねえのも事実だ。あれがどれ程痛々しいあり方だったかは、狩られる側から狩る側に変わったことで、よく思い知らされた。
「……」
 益体の無い思考の深みに嵌りそうになったところで、丁度良いチェッカーフラッグが入る。煙草が切れた。吸い終わった最後の一本を灰皿に押し付け、立ち上がる。机に置いてあった茶色い箱を手に取ると、中身が無いのは分かっていたので、そのまま握りつぶした。

⇒To Be Continued...

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