ヒトリ 4
作者: トーラ   2008年05月06日(火) 20時01分53秒公開   ID:KvBgjdlPPKE
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 4―1

 必要最低限の飾りと、清潔そうな匂いのする部屋。私が最も落ち着ける場所だった。自分の家よりも、自分の部屋よりも、誠司のいる部屋が落ち着けた。
 誠司は私を拒まなかった。部屋に入りたいといえば入れてくれた。話がしたいといえば相手をしてくれた。用事がある時はそちらを優先するけど、殆どいつも私の相手をしてくれた。
 私から見て、六歳も年上の誠司は大人に見えた。格好いいなと思っていたし、誠司の話は知らないことが多くて新鮮だった。
 誠司の弟で私と同い年の航は、私と誠司が一緒にいるのが気に入らないみたいだった。航は誠司の事を嫌っていた。いつも誠司の悪口を言っている。私にも「何であんなのと一緒にいるんだ」と憎たらしそうによく聞いてくる。私には航が何故そこまで誠司を嫌うのかが理解できなかった。それに、誰と一緒にいようがそれは私の自由で、誰かに口出しされるようなことではないと思っているから航に何と言われようとも誠司と距離を取ろうとは思わなかった。航に嫌われているみたいで少し、嫌な気持ちもあるけれど。
 誠司のベッドに腰を下ろして立ったままの誠司を見上げる。
「僕といても退屈じゃない?」
「そんなことないよ。誠司君と話がしたいからきたんだし」
「そう。変わってるね」
 誠司が困ったような、桜色のような淡い笑顔を見せる。同じクラスの男子にはない大人な笑い方だ。
「誠司君だって変わってるよ」
「そうだね」
 笑顔を貼り付けたままあっさりと肯定する。まるで褒め言葉と受け止めたみたいに。
 誠司は、風に揺れるカーテンのように柔らかくて、何でも優しく受け止める。どんな言葉でも例外はない、と思う。酷い言葉をぶつけたことがないから絶対とは言えない。
 誠司が学習机の椅子に座った。
「彩音ちゃんは、友達の事をどれくらい知ってる?」
「どういうこと?」
「何が好きかとか、何が嫌いかとか、何を思ってるのかとか」
「仲の良い子だったら好みだったら分かるよ。教えてくれる」
「でも、それか本当かどうか、確認できないよね」
「友達が嘘ついてるかも知れない?」
「彩音ちゃんの友達はそんなことはないだろうけど、いないとも限らない。でもそれはそんなに大切なことじゃないと思うけどね」
 質問するタイミングが分からなくて、黙って誠司の声を聞いた。今日は何を言いたいのだろう。いつも、誠司の話は難しいというか、先が見えない。
「じゃあ何が大切なの?」
「僕は、中身だと思ってる。何を考えているのか、自分をどう思っているのか、何をすれば傷つくのか、分からないことばかりだ。だけど、それが分からないと友達の事を知ってるとは言えないんじゃないのかなってね」
「うーん。分からないのかな」
「例えば、友達が怪我をしたとして、どのくらい痛いかなんて僕らには分からないだろう。同じ怪我をしたって感じ方は違うし。傷ついたと言っても、どのくらい傷ついたのかも分からない。口で説明されても、僕らはそれを理解できない。何も知らないのと変わらない」
 決まり事を告げるように、諦めの混じった声で誠司が言った。
 理解できない。確かに誠司の言葉は間違っていない。当たり前過ぎて意識していなかった。都合の悪いことを見て見ぬふりをしていたみたいで気持ちがざわつく。
「私だって誠司君と同じだよ。何も知らないのとおんなじだし。でも、それが普通なんじゃないの?」
「そう、普通だよ。だけど、それがおかしいって感じる奴もいるってことさ」
「ふうん。やっぱり誠司君って変わってるね。……誠司君は私のこと、友達って思ってくれてるの?」
 思いつきで質問してみた。私だって、誠司が何を考えているか分からない。
 私の質問を受け止めて、そのまま抱え込む。口を開かず何かを考え込む。悩むようなことなのだろうか。それとも、私を友達と思っていないのか。
「思ってる、と言っても確認する方法はないね」
 申し訳なさそうに誠司が答える。誠司らしい生真面目な返答だなと思った。そんなに真剣に答えて欲しい訳ではなかったのだけれど。
「確認なんてしなくていいよ。誠司君がそう思ってるんならいい」
「そう。ありがとう」
「何でありがとうなの? 変なの」
「さぁ、何でかな」
 誠司に答える気がないのが分かった。いつも貼り付けている笑みが微妙に変化する。
 些細な表情の変化に気付けた時は、何となく嬉しい気持ちになれる。

 4―2

 人を探している。いや、私は会いに向かっている。廊下を走り階段を駆け上がり、切れ味のありそうなくらいに静かな教室に足音を鳴らす。
 私が向かっている場所に、本当に探し人がいるかも分からない。屋上に人影が見えた気がした。屋上に向かう理由はそれだけで十分だった。
 何度もその気配を感じた。人の姿も見えた。私の願望が作り出した偶像なのかも知れないと姿を見る度に自分を疑った。
 偶像を本物だと確信したきっかけは、街中でその人影とすれ違った時だ。誰も私を避けて通らない中、一人の男性だけが私を避けて歩いた。私は彼を見て、彼は私を見ていた。彼だけが私を見ていた。
 私はその男を知っていた。忘れていた。彼の顔を見た瞬間に、蓋が外されたみたいに記憶が甦ってきた。
 誠司がいたのだ。気付いた時には誠司の姿はなくなっていたが、それからも誠司の気配を感じるようになった。もう疑うこともなくなった。気配を感じれば、それに向かって彼を探した。彼の姿を間近で見ることはできなくても、気配を感じた場所には彼の残り香が漂っていた。
 彼に会いたくて探し続け、残り香だけを集め続け、焦がれる気持ちは私に孤独を思い出させた。
 己の黒い影から逃げるように私は走る。影から逃れさせてくれる可能性を持つ彼の元へ。
 今度こそは、誠司を捕まえたい。もう、彼の持つ空気だけでは我慢できそうにない。
 誰にも認識されない異常な状況に置かれて、初めて彼の事を思い出した私は薄情な人間なのだろう。
 自分の環境に変化を与えてくれるものだから、私は彼を求めているのかも知れない。会いたいと思わせる動機は酷く利己的で、我侭だ。
 今まで記憶に留めておくことも出来なかった人間に、私は縋ろうとしている。ヒトリにも慣れたと強がっていても、逃げ道をちらつかせられれば気持ちなんて簡単に変わる。台風の日の風見鶏のように。
 何でもいい。私は彼に会いたかった。



 扉を開いた先には、異世界でも広がっているのではないかと思った。視覚は一点に集まり、一点しか認識していない。頭上に青空が広がっていることにも、遠くには鮮やかな山が見えることにも気付かない。
 頭が再起動し一から考え始めるが上手く頭が働かない。
 声は、出せる。言葉は、喋れる。
「誠司、君……?」
 フェンスを背にこちらを見る青年に問う。ここが異世界だと思わせる人物の名前を呼ぶ。
 いなくなったあの日の姿のままで、誠司が目の前にいる。
 やっと見つけたのに、探していた物が確実に目の前にあるのに、本当は大声で名前を呼びたいのに、私の存在を知らせたいのに、心のざわつきが邪魔をして声が出ない。
「やっと……やっと会えた」
「久しぶりだね。彩音ちゃん」
 誠司が私の名前を呼んだ。懐かしむような誠司の声は、突然姿を消し皆の記憶からも消え失せた者の物とは思えなかった。
 忘れていた誠司の記憶が思い出される。私は確かに、軽く目を細めて私を見る青年を見たことがある。
「誠司君、なんだよね?」
「僕のこと、覚えてたんだね」
 否定はしなかった。私は肯定したものだと認識した。外見だけが同じの偽者ではなく、三年前に姿を消した、何時間も私と一緒に過ごした誠司が目の前にいるのだ。
「ちゃんと思い出したよ。誠司君のこと」
 誠司を忘れていた事実なんてもう関係ない。私は彼と再会して、彼の記憶は頭の中にあるのだから。
「そう」笑っているようにも見える無表情で、どこか投げやりに誠司が言った。
 誠司の仕草が、記憶と重なっていく。誠司と再会したことが現実味を帯びてくる。
 興奮しながらも、頭は少しずつ冷静に状況を把握しようとしていた。
 本当なんだ、と躍る感情を噛み締める。
「私が、見えるんだよね」
「ああ。見えるよ。僕の目の前に彩音ちゃんが立ってる。大きくなった」
「誠司君は変わってない」
「そうだね。でも、外見なんてどうでもいいことだよ」
 気持ちの温度差を感じさせる声で誠司が言った。私だけが喜んでいるみたいで、切ない。
「今までどこにいたの」
「どこにも行っていないさ。ずっと僕はここにいた。彩音ちゃんが気付かなかっただけのことだよ」
 淡々と答える。誠司の答えはとても不親切だ。冷静でない今の私には何も理解できない。
「……何言ってるのか、よく分かんないよ」
「僕と同じところに彩音ちゃんも来てしまったってことさ。残念なことだけど」
 言葉と表情が噛み合っていなかった。何が残念なのか、本当に残念に思っているのか、顔を見ただけでは判断が出来ない。
「誠司君と同じところに……」
 誠司の言葉を繰り返してみたが、誠司の伝えんとしていることが何なのかを掴めなかった。

 4―3

 私たちは数年の間を経て、唐突に奇妙な再開を果たした。
 私も誠司も、誰にも認識されない。誠司は私の前からいなくなったのではなく、私が誠司を感じられなかっただけのことだった。誰にも認識されない者同士だから、お互いを認識し合えているのかも知れない。
 本当のことは分からないが、自分を納得させる理屈が欲しかったからそう考えることにした。
 最近は廊下から教室を見ることが多かった。同じことを繰り返すだけの毎日に変化が起こった。
 隣に誠司がいる。それだけでも劇的な変化だった。
 誠司が私に話しかけてくることは少ない。私も誠司に声をかけたりはしなかった。話しかければ答えてくれて、私の姿を確認できる人がいるだけで十分だった。これ以上に何を望めばいいか分からない。同じ境遇に置かれ、最も自分と近い人が、私の隣にいる。誠司が隣にいてくれて初めて、私の足元に地面が広がったような。安心できる、すべてを預けられる足場を見つけたような気分だった。グラスに程よく水が注がれているみたいに心は満ち足りていた。
 誠司が私と一緒にいてくれるのも私が願ったからだ。自分の意思で一緒にいてくれているのではない。
 誠司の必要最低限の気遣いが心地よい。触れ合わなければ棘が刺さることはない。触れ合わなくても許される細い関わり。傷つける、傷つけられる心配のない繋がり。こんな関係を私は求めていたのかも知れない。
「誠司君は、どうしてここに来たのか分かる?」
「さぁ、どうしてかな。よくは分からないけれど、来たいと思わなければこんなところには来れないだろうね」
「じゃあ、来たいって思ったんだ」
「ヒトリが好きだからね」
「何で私と話してくれるの?」
「僕が黙ったままだと、彩音ちゃんが悲しむかも知れないから」
 予想していた答えの一つを誠司が答えた。自惚れだけれど、私に対して小さく気遣いはしているのだろうなとは思っていた。
「無理、しなくていいからね」
「分かってるよ。でもありがとう」
「うん」頷くことしか返答が思いつかなかった。次の言葉を捜しながら教室を見る。
 確か、試験が近かったように思う。そのせいか雰囲気が違って感じた。授業を受けるのはもうやめていた。試験も、私には多分問題用紙も解答用紙も配られないだろうから受けられない。それに気付いてから授業に受ける気が一気になくなったのだ。それ以前に、授業に縋って寂しさをやり過ごす時期はとっくの昔に終わっている。
「私も、こっちに来たいって願ったんだよね」
 特に話したいことが思い浮かばずに、ふと頭に浮かんだ言葉をそのまま呟いた。
「元の場所が嫌になったの。だから、こっち側に来ちゃったんだろうな」
「元いた場所は嫌いかい?」
 誠司に向けた訳でもない。ただの自問だったのだが、誠司が私の呟きを拾い上げた。
「……分からない。あの時は嫌いだったのかも知れないけど、今は分からないよ」
「じゃあ、こっちは?」
「こっちの方か、居心地がいいかも」
 元に戻れたとしても、どうせ周りに気を遣って。一人で過ごさないといけないのだろうし、華とだって顔を合わせないといけない。それならいっそずっとここにいた方が楽なのではないか。
 誠司と一緒にいられるなら、ここも満更でもない。多分、これは強がりではなくて、本当にそう思っている。
 誠司と再会したことで、忘れていた記憶がじわじわと染み出してきていた。部屋で二人きりで話し込んだあの頃の空気と、落ち着いた気分になれたことを思い出す。ちょうど、今みたいな感じだった。
「ねぇ」

⇒To Be Continued...

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