「サトくんと私」の感想 |
No.4 投稿者:トウコ [URL] 評価:0点 投稿日:2008-04-29 23:31 ID:KRdqg2wCzok |
>牧陽介さん 牧さんも演劇の経験があったんですね、なるほど、演劇って面白いですよね。台本書きも高校生の時にチャレンジしましたが玉砕しました。 『実は今回の文章、正確に言えば句読点が足りないのではなく、句読点の位置が妙だと感じたのです』 むむむ。なるほど。ちょっと難しいですね。 こういうものって慣れが入ってしまって自分では気にならず、これが自分のスタンダードになってしまっているので、客観的に見ようとしても気付けないこのように思えます。 小説をひたすら句読点の部分だけ気にして読んでみるとか。 絵本の模写から初めてみるのがいいのか。むむ、考えてみます。 再度アドバイスをいただかなければ、とりあえず句読点を足してみるところでした。 (一度は素直にやってみるタイプでして) いつもありがとうございます。それでは。 |
No.3 投稿者:牧陽介 評価:0点 投稿日:2008-04-28 18:42 ID:BpZP0dsH/jA |
演劇の台本読みの経験がありましたか。それに慣れていると、確かにこういう文章になってしまいますね。ちなみに、私も演劇の経験があります。 演劇の台本は、書き手の書かれているとおりに演者の方が合わせて読みます。話し方やイントネーションなど、自由に見えて強い拘束性を含む文章ですからね。 一方、小説の場合は、書き手の書いた文章を読者が好きなように読んでしまいます。だから、書き手が「こういうふうに読んでほしい」という意志が尊重されないわけで。逆に読みやすい文章を求められます。 実は今回の文章、正確に言えば句読点が足りないのではなく、句読点の位置が妙だと感じたのです。ですが、それは小説として読むと妙であって、文章を口に出して読めば、なんとも言えないしっくりくる文章です。日本語独特の、優しいイントネーションさえ感じる。だから、読み聞かせると言わせていただきました。 あえて言うのなら、演劇台本の文章が持つ「拘束性」がある作品でした。 ここは難しいところです。読み手に委ねると、これから書かれるだろうこのシリーズの文章的な良さがなくなってしまう。かといって、このままでは小説としての文章としては読みにくいものがある。そういう感じでしょう。 私は今回の作品については、とにかくこの語りが魅力的だと思います。これを抜きにしては、内容の魅力も半減してしまいます。(内容が悪いと言っているわけではありませんから、誤解なさらぬようお願いいたします。) この手の文章で、意外と資料になるのが「絵本」なんですよ。あれは読み聞かせることと読ませることを目的としていますからね。何かしら活かせるものがあるかと思います。 この語りが今後どうなるか、物語とともに楽しみにさせていただきますので、頑張ってください。 |
No.2 投稿者:トウコ [URL] 評価:0点 投稿日:2008-04-27 23:55 ID:KRdqg2wCzok |
>牧陽介さん こんばんは、トウコです。いつも的確なアドバイスをありがとうございます。 ほのぼの、とほぼ100%感想としていただきます。 精神年齢は低いかもしれません。ちょっと現実離れというか、箱入りっぽい子達ですよね。 三人称は成立していると聞き、安心しました。三人称でも書けるようになると幅広がるかと思いますので、今後も挑戦したいと思います。 またいくつかの誤りの指摘もありがとうございます。細かい点での誤りが積み重なると、小説全体のレベルが落ちていく、と思っておりますので、こういった指摘は助かります。すぐに修正します。 句読点の少なさは、言われてみると、この作品以外でも指摘を受けたことがあった気がします。少しずつ増やしてきてはいますが、もともとがあまりに少なかったせいか、まだまだ足りないとの印象を与えるようですね。 読み聞かせ……もしかしたら演劇時代の台本読みの感覚が、「本を読むベース」となっているのかもしれません。 それでは、まだまだ伸びしろがある物語、書き方だと思いますので、いただいた意見を次回に反映したいと思います。感想をくださりありがとうございました。 |
No.1 投稿者:牧陽介 評価:5点 投稿日:2008-04-26 23:45 ID:BpZP0dsH/jA |
この手のものを見たのは久しぶりです。色々な意味でほのぼのさせてもらいました。 少々精神年齢が幼いような気がしますが、とりあえずトウコの三人称は成立していると考えて大丈夫でしょう。視点のぶれも許容範囲に収まるくらいだと思います。 三人称は三人称でも、これは語り口調の三人称ですね。それもコミカル要素が入った。こういう文章は、文字通りナレーション向きです。講談師のような立場で、こういう文章を読んでもらうと面白さが増します。 そういう観点で考えさせてもらうと、句読点が少々少ないですね。読み聞かせる場合ならこれでも良いとは思うのですが、小説である以上は「読み物」になってしまいます。語り口調の句読点の付け方をそのまま採用すると、読みにくい場所が出てきます。口語調と文語調の句読点を、丁度良い具合に混合させると良いでしょう。 ただし、これは「講談師のような語り口調」を知っている人間が読んでの感想です。全く知らないと、ちょっと読みづらさが残るでしょう。個人的にはこのスタイルを貫いてほしいとは思いますが、このあたりは別の人の意見も聞いた方が良いでしょう。 それと、細かい部分で誤りのようなものがあるのが気になりました。 例えば…… >本文抜粋 >無茶がある。無茶がある、が(以下省略) ・「無茶がある」ではなく「無茶苦茶である」もしくは「無理がある」というのが正しい言葉です。 >「今日、たん……」 ・言葉が遮られた状況を表現する場合は「……」よりも「――」の方が適していると思います。私個人の感覚では「……」で言葉を遮られた例は、あまり見ません。 以上のような感じで、誤字や誤用が見受けられました。 あとセルシオのシーンも、ここで固有名詞を出す必要は無いでしょう。 スピード違反というのも特に意味の無い情報のような気がしますし、語りで魅せている分、そういったところでイメージしやすいよう文章を作ると良いですよ。 |
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