サトくんと私
作者: トウコ   URL: http://www3.to/retouko   2008年04月28日(月) 00時00分48秒公開   ID:KRdqg2wCzok
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 アイは思う。いつからだろう、誕生日があまり好きではなくなったのは。
 いや、今だって誕生日は好きだ。「おめでとう」と沢山の人が笑いかけてくれるし、何より自分が生を受けた日である。生まれてこなければ、彼に会うことはなかったのだから。
「でも、また一つ差が開いちゃうんだよね?」
 けれど、そこはやっぱり乙女心。部屋から空を見上げる乙女なアイは、とても深いため息を吐いたのだった。


 現役女子大生、前田アイは今日も深く悩む――というのも、昔からの想い人がアイより四つも歳が下だからである。大学二年のアイの四つ下、つまり彼は高校一年生なのだ。
 同じ年とまではいかなくても、あと二年遅く生まれていたら。そう、あと二年。そうしたら、大好きなサトくんと一緒に登下校ができたのに。既に無理矢理一緒に登下校しているアイの、深刻なる悩みである。
「サトくん、おはよう」
 気を取り直して、アイは今日の朝も彼の家の前までお出迎え。お迎え、といっても彼の家はアイの家のお向かいである。一方、サトくんこと井田覚はアイを見つけると、大きめの口を更に大きく緩めて笑った。
「おはよっ! アイちゃん」
 大きく手を振る覚を見て、思わず頬のゆるむアイ。今日も素敵なサトくん、なんて9割強の乙女は思いもしないことを堂々と思うアイ。
 そう、ここで一つ補足しておくがこのサトくん、基本的にどこにでも居るような、ごく普通の男の子である。背丈170センチ、中肉中背。スポーツマンらしい短髪が爽やかではあるが、小さめで一重の目と、そこそこ低い鼻というあっさり日本人顔は、正直なところ及第点である。
 彼の成績は下の中、スポーツに関しては―― まぁテニスはずっと続けているし、かつ名門校に通うだけあり、なかなかの腕前ではあるが、それでもカリスマ的存在かと言われれば、零コンマ一秒でノーと答えることができるだろう。基本的にそこそこの男なのである。
 しかし、それでもアイにとっては素敵な王子様なんだから、恋は盲目これまさしく。
 なにはともあれ、今日もアイの楽しいサトくんライフの始まりである。大好きな覚のお隣なのだ、アイがにやけないわけがない。
 始終頬の緩みっぱなしのアイのお隣で、覚は小さく首を傾げる。おそらくアイが幸せそうに微笑む理由がわからないのだ。基本的にこのサトくん、頭に超がつくほどの鈍感なのである。
「あ、そっか。アイちゃん、今日……」
 そこでふと覚は思い当たる。そういえば今日はアイの誕生日だと、その事実に気がついたのである。誕生日といえばとてもめでたい。そうか、アイちゃんはだから幸せそうなんだ。覚はとても見当違いな方へ考えを巡らせた。
 一方、アイはサトくんもおめでとうって言ってくれるのかしらと首を傾げた。そう思うと同時に、アイはその言葉は聞きたくないと思ってしまう。更に年が離れて遠くなるのに、私はこんなにもそれを寂しく思うのに、それなのに当のサトくんから「おめでとう」なんて微笑まれたら立ち直れない!――恋する乙女、前田アイ。乙女の思考とはとても複雑なものである。
「そう! 今日も帰りに迎えにいくからね、サトくん!」
 無茶がある。無茶がある、が、アイの精いっぱいの話題変換である。アイはにこにこと笑顔でごまかしにかかった。覚はそんなアイを不思議に思いながらもまっいいか、と息をつく。それから覚は「うん」と頷いた。
「でさ、アイちゃん」
「なぁに? サトくん」
「ずっと思ってたんだけど」
 少し困ったような表情で覚はちらり、アイを見る。
「アイちゃん、何で俺の腕、ずっと握りしめてんの?」
 ここで更に一つ補足をしよう。アイと覚は決してつきあっているわけではない。アイの一方通行である。そこがこの二人の奇怪なところ。
 アイは一般的に見ても、ダントツ美人の枠に入るのだ。黒めがちの目にキメ細やかな肌、均整のとれた唇に通った鼻筋、黒のストレートがよく似合うアイに憧れる男は少なくない。そんなアイが、とりわけカッコイイわけでもない覚に片想いをしているのだ。実に奇怪。
 そんなわけで、一方通行側のアイとしては、大好きなサトくんに引っ付いていたいわけだが、覚としては少し複雑だ。腕をつかむ、というかむしろ抱きしめているレベルでひっついてくるアイに、覚はどうしていいのかわからないのある。
 覚の言葉にアイは小首を傾げて見上げる。中学間で覚の背が伸び、アイよりも若干背が高いのが幸いだった。
「ダメ?」
「いや、ダメじゃないけど」
「じゃあいいよね!」
 アイに愛らしくにこりと微笑まれ、何も言えなくなる覚。嬉しそうに微笑むアイに、覚は苦笑いを返すしかなかった。
 ――――歩きづらい。
 密かに覚はため息を吐き出しながら。
 覚がそう思うのも無理はない。なんせアイは本当にべったり引っ付いているのだから。朝からうなだれる覚、そして朝から幸せそうなアイ。二人の朝はこうして始まる。頑張れ、サトくん。


 いつから。そう問われればきっとアイは首を傾げるのだろう。いつから覚のことが好きなのか、アイにはよくわからない。彼が好きだという想いは物心ついた時からごく自然に、ぴたり、アイの一部として当てはまっていたから。覚の存在そのものと同じように、傍にあるのが当たり前のもの。それがアイの覚への恋心なのだ。
 及第点の井田覚と高偏差値の前田アイ。それでもアイにとっては素敵な王子様の覚。恋は盲目これぞまさしく。
 ――しかし実際、幼き頃からこんな調子で天然を貫くアイを、微力ながら守ってきたのは他ならぬ彼、井田覚だった。
 アイが野犬に襲われれば、すぐさま駆けつけ追い払い、アイが道に迷えば必ず見つける。極めつけは、ぼーっとしすぎで赤信号に気付かず、トラックに向かっていったアイを、このサトくんが身を挺して助けてくれたことだ。
 これらの功業を思えば、盲目になることもわからなくはない。本当のところ野犬はチワワ、アイが迷っていたのは自宅から百メートル以内のところ、というオチもついているけれど。トラックは――何のオチもなく車のあれで、こればっかりは井田覚、男を見せているわけで。
 いつからか、それはわからない。それでも確かにアイは覚に恋をしたのだ。
 そして誕生日が好きでなくなったのは多分、それと同じ時期からなんだろう。四つ差は言葉以上の大きさがある。アイと覚の世界は、年齢差故に噛み合ない部分が多すぎた。唯一かみあった学校生活は小学校ぐらいのものなのだ。それにしたってアイの通った小学校では、なぜか一年生と六年生、二年生と五年生、三年生と四年生が組むの常識となっていた。アイが五年生の時に覚は一年生、六年生の時に二年生、と二人は一切かみ合うことがなかったのだ。不運、としか言い様がない。
 せめてアイが後に生まれたのであれば、覚の行く学校を追いかけることができる。けれど逆のおかげで覚の後を追うことができず、かみ合うかどうかは全て運任せ。せめて受験期がかぶっていたのなら、名東の高等部――名東学院は覚の通う私立校の名だ――を受けたのに。悔やんでも悔やみきれない現実である。
 テニスだって。アイは続けて思う。テニスだって、サトくんが本格的に始めたのが中学一年じゃなかったら。もっとテニスについて勉強した。テニス部にだって入部した。ただ彼が中学一年の時にはアイは高校二年生。テニスを全くやったことがないアイが、入部するには遅過ぎたのだ。
 こうして今、アイが講義を受け、友達と昼食をとったりしている間も、覚は覚の世界を楽しんでいる。決して噛み合ない高校生活を楽しんでいる。
 アイは歯がゆかった。覚の高校での話はアイの知らないことばかり。覚の友達も、周りで流行っているものさえも。大学と高校じゃあ噛み合ない。

 なんて、切ない。

 全ての世界を噛み合わせることは不可能でも、できるだけ多くの世界を共有したい。そう思うのは我侭だろうか。それこそ不可能なのだろうか。そう問いかけ始めるとアイは酷く泣きたくなる。必死に一人かぶりを振って、アイは泣きたい気持ちを振払った。
 好きだけじゃどうにもならないことがある。それがわからないほどアイは子供じゃない。けれどその事実に打ちのめされないほど大人でもなかった。


 日の落ちかかった夕暮れ時、今日も名東学園の正門前に立ちながらアイは空を見上げた。遠い、遠い空。まるでサトくんの世界のよう、とアイは思う。アイがどんなに懸命に手を伸ばしても届かない。
 サトくんは私のことをどう思っているんだろう。
 アイはそう考えると頭を抱え込みたくなる。今でこそ何も言わないけれど、アイが覚の出迎えを始めた当初、覚はアイが学校へ来ることを嫌がった。引っつくことも、朝に家の前で待ち伏せすることも、もっと抵抗していた気がする。
 アイちゃん、おはよっ! アイちゃん、お待たせっ!
 今でこそ彼はそう笑ってくれるけれど、本当は迷惑なのだろうか。いつもアイは明るく笑っているけれど、本当はそれが不安で不安で仕方なかった。ねぇ、サトくん。私はあなたの邪魔になっていないかしら。
「アイちゃん!」
 アイは、ふと聞こえてきた聞き慣れた声に顔を上げた。そこにはアイに向かって大きく手を振る覚の姿。アイもその姿を見て口元を緩ませる。
 ――けれど、やはり今日はどうも気分が落ち込んでしまう。アイは小さく手を振り返すと、地面に視線を落としてしまった。足下は薄汚れた灰色のコンクリート。伸びに伸びたアイの陰。
「なんか、今日元気ないよなぁ。アイちゃん、何かあった?」
「何にもないよ」
 アイはすぐさま首を左右に振る。何にもない、ただ今日が誕生日だってだけ。
「ふーん、ならいいけど」
 明らかに納得していない様子ながら覚はアイの言葉に頷いた。そして、ゆっくりと歩き出す二人。アイはずっと笑っている。不自然なくらい笑っている。さすがに覚もアイの異変に気付いていて、変なアイちゃん、と不自然さに首を傾げた。
「アイちゃんはさ」
「んー?」
「今日、たん――」
「きゃー!」
 誕生日、その言葉に過敏に反応し、奇声を発するアイ。アイの奇声に覚はビクッと体を振るわせた。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ、サトくん」
 ぱちぱちと目を瞬かせる覚にアイは気のない笑い。笑ってごまかす気満々である。
 今の奇声は何だったのか、覚は眉を寄せる。が、アイが変わった子であることは既知のこと。覚自身、よく知っている。まぁ気を取り直してもう一回。
「えっと、今日ってアイちゃんのたん……」
「ぎゃー!」
「ハッピーバー……」
「わぁー!」
「……塩タン」
「いやー!」
 これは重傷である。どこまでもアイは誕生日やらハッピーバースデイやらの台詞を聞きたくないらしい。
 ここまでくればさすがに鈍い覚にもわかる。アイが今日、元気がないのは誕生日のせいなんだと。それに気付くと同時に覚は更に眉を寄せた。まさかアイちゃんがここまで誕生日を嫌がるなんて思わなかった、年をとることに無頓着そうだと思ってたのに――どこまでも鈍い男である。
「アイちゃん」
「はいはい、はははい!」
 覚の声に肩を強く竦めるアイ。覚はそんなアイにため息をつくと回りを見渡した。往来だけど人もいないみたいだし、と覚はそれを確認するとぴたりと足を止めた。そしてアイに向き直り、自分の右手でアイの左手首を掴む、少し強めの力を込めて。力に訴えるのはとても卑怯なことかもしれないけれど、今のアイちゃんは放っとけないから――覚は自分にそう言い訳をして。
 アイは突然の覚の行動に、怖がるというよりは驚いた様子だった。真ん丸に目を見開いて、覚の顔をアイはじっと見つめている。そんなアイの肩を覚は触れる程度に掴んで、まっすぐ、まっすぐ、アイの目を見る。アイを逃がさないように。
「アイちゃんは誕生日が嫌いなの?」
 遮られないよう早口に覚は言い切る。すると、アイはぐっと言葉に詰まった様子で、何も言い返しはしなかった。
 決して嫌いなわけじゃない。アイは思う、嫌いなんじゃなくって。
 でも言葉にならないアイ。しばらく経ってもまだ何も言えないアイに、覚はもう一度だけ息をつく。そして、アイから手を離した。
 その行動がアイには落胆と拒絶にしか見えなかった。呆れた末に見限られた? そんな問いが素早くアイの脳裏によぎる。何か言わなくちゃ、アイは半歩前に踏み出し、弁解をしようと口を開いた。そして、その時。
 アイの目の前から覚の顔が消えて、かわりに目の前に現れたのはビニール地の布地。首を傾げつつもよく見れば、それはテニスラケットのカバーである。
「俺からの誕生日プレゼント」
 はい、と渡されるままにアイはそれを受け取る。両手に重みがのっかって、それは空ではないことは明白だった。しかし、受け取ったもののアイは納得できない。前述の通りアイはまともにテニスをしたことがないのだ。

⇒To Be Continued...

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