なみだ |
作者:
比梨麻モナ
2008年04月23日(水) 17時22分03秒公開
ID:jQb4Flcc4PY
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誰よりも、 泣き虫なんだよ。 なみだ 扉をくぐって外へと流れていく部員達を変わらない笑顔で見送り、一人になったことを確認してから、歪めていた頬の筋肉を落とした。 よもや軽やかとも言えない歩調で、電気のスイッチの前まで歩み寄って消灯させてみる。一瞬で薄暗い空間へとなり、窓ガラスを潜り抜けて差し込む光が丸刀でくりぬいたみたいな曲線を描いている。 そこを悠々と過ぎていく入道雲の上に足を乗せ、フルートを口に添えた。そして奏でる。 この時間がなによりも心地よくて。 「ハルヒ先輩」 「?」 唐突に個室に響いた声だが、それほど驚いたわけでもなく、誰かを確かめるために振り返る。 「あ、しーちゃん!」 入り口の扉から覗き込む様にして立っていたのは、しーちゃんこと時雨であった。すぐさまフルートから唇を離すと、丁寧にケースへとしまった。 そして、先刻とは全く異なる笑みを浮かべて言を発する。 「んで、どうしたん?…あ!させは超キュートなハルヒちゃんに会いたく「うるさい」 ベシッ 「酷い!パパにだって殴られたこと無かったのにー!」 「………」 呆れたようにしーちゃんはイスに腰を下ろした。つられて私も、イスに座る。 向かい合っているものの、お互いに視線を合わせる様子もなく、フラフラと目を泳がしては遠くを眺め、退屈で欠伸をし終わった辺りからようやく彼が口を開いた。 「俺って、何で笑えないんスかねー…」 「……は?」 何の突拍子も無く、突然発せられた言葉の意味の分からなさに対しての応答としては極々普通の応答であった。しーちゃんのことだから予想はしていたのだろう、面倒くさそうに説明体制に入った。 ――なあ時雨、お前ってあんまり笑わねェよなー。 掃除時間中に耳に届く音。ほうきと床の接触する音や、雑巾を持って駆ける音に比べてそれはいやに鮮明に聞こえた。 『なんだよ急に』 『だって俺、お前が笑っているとこ数えるぐらいしか知らねーし』 『…ふーん』 さもどうでもいいように振舞って、中断していた床を掃く作業を再開させる。 『おい…、他に言うことねェーのかよ!』 笑わない。 そんなこと、知ってた。 知ってたからこそ、 『…っち、つまんねーやつ』 言われるのが嫌だった―― 「なるほどねぇー…」 机に倒れこみながら、感想とも言えない言葉をだるそうに吐いた。 今、彼はどんな顔をしているのだろうか。そんなことが気になって、窓越しに映える青を眺める横顔を少しだけ覗いてみても、なんせ薄暗いところだ。それは閉ざされてしまった。 そっか、と呟いてもみる。それからちょっとだけため息をつき、難儀そうに体勢を立て直した。 そして、相変わらずどこかをながめるしーちゃんに向かって、 「おーい、そこの少年!」 叫ぶ。 「ちょ…!なんて声で呼ぶんスかぁ!」 「いいじゃん♪ってまぁ、落ち着いてくだされよ少年」 ぺしぺしと頭を軽く叩くと、ほんの微かに表情に変化が見られた。 けれども、ほんとに微かだったから、それを嫌がっているのかどうかも分からない。だから、くしゃりと彼の髪の毛を鷲づかみにしてようやく満面に嫌悪の表情を浮かべ後に鋭利な目で擬しされた。 「きゃ!そんなに見つめないでよ」 「うわ、何スかそれ。キモイッス」 「酷い!パパにだって「それ毎回言うつもり?」 ちぇ。そんなことを呟いてからせっかく整えた姿勢をまた元に戻し、机に頬を乗せる。わりと冷たいな。そんなことをぼんやりと思想しながら少しだけ瞼を下ろし、 おーい、少年。 発しても反応をしてはくれなかった。 聞こえるかい?少年。 もう一度発しても反応をしてはくれなかった。 私の頬に日が当たる。 ねぇ、しーちゃん。 いつの間にかに、弱々しくなった声に対して彼は、 「何?」 窓越しの青を眺めながら、私の声よりも少し低いトーンで返事をする。 それで、落ち込んでいるということが容易に理解できた。 「何って…別になんでもないけどさぁ……ただ、あんまり落ち込まないでよ」 「落ち込んでなんかないッス」 「嘘やろ」 お互いに間を空けることなく即答し合い、当たり前に次の即答がくると思って、どんなことを言い返してやろうかと考えようとしたところで気付く。予想ははずれ、彼は遠くを眺めたまま即答どころか、黙って、これは人形?とも思えるほどぴくりとも動作しなかった。 世話が焼けますねぇ。全くで。 「しゃーない。私がとっても良いお話を聞かせてあげよう!」 返事をしないとは分かっていたことだから、得に気も止めなかった。 聞いてくれればいい。それだけ思って、語り、始めた。 ――昔々、神様は人間界に使者を二人送りました。 名前はそれぞれ、天使と悪魔といいます。 そのころ、本当に何にも無い、善や悪なんかも全く知らない人間達の間では前代未聞でした。しかし、そのころの人間達は特に気味も悪がらずに、二人の使者を歓迎したのです。そのためか、天使と悪魔は人間界にすぐ馴染みました。 しかし、天使も悪魔も人間も、みんながみんな相手を思いやっていたのですが、それは長くは続か無かったのです。 初めは天使の方でした。 天使は、自分を犠牲にしてまでも他人に尽くし、いつも笑顔で笑っていました。 やはりそういう部分には、どうも神の使いの面影が映ります。 次第に人間達は、悪魔なんかそっちのけで天使の周りに集まり始めました。 次は悪魔の方でした。 悪魔は天使とは正反対で、悪戯をしたのです。今まで、人間達の間では無かったことなので、新鮮なのか冗談半分に相手をしていました。 しかし、それは初めだけでした。 毎日毎日悪戯をしまくったせいで、そのうちに周りから嫌悪され、一人孤立していったのです。それでも、悪戯はエスカレートするばかりでした。 そこで初めて、人間は感情を知ったのです。 嬉しい、楽しい、悲しい、腹立たしい。 たくさん知っていきました。 そして、善と悪があることも知りました。 現在と同じように、善を喜び、悪を忌み嫌う。 現在と同じように、悪を差別しました。 次第に人間界は汚れ始め、人間達も汚れていきました。 天使はすべての人に愛され、すべての人を愛しました。 悪魔は… 悪魔は悪の象徴として、すべての人から憎まれ、嫌われて、 ついには、たった一人だけ漆黒の個室に閉じ込められましたとさ―― 「そんなお話」 私は、少しだけ悲しく微笑む。 それを横目にしーちゃんは、何ともいえない表情でそっと口を開けた。 「…何が言いたいんスか?」 その声調は躊躇しているようにも感じられる。 「……しーちゃんは悪魔のことをどう思った?」 そう返答されるや否や、とくに考えたわけでもなく、面倒くさそうに知らないと発した。私には本当に予想通りの答えだった。 目を閉じてみる。 悪魔は涙を流さないんだよ。 そんなことを誰かが言った。 本当に? 本当に、それは正しいの? あなたは悪魔の何を知っているの? 上辺だけで決め付けて、 本当の心のうちもその理由も何も、 あなたは知らないんでしょ? 悪魔はさぁ、 誰よりも寂しがりやで泣き虫なんだよ。 周りから忌み嫌われて、差別されて、本当はすごく泣きたかった。 それでも、弱い自分を見せることが嫌だったんだろうね。 そんなことないのに。 無理して平然とした表情を保ち、涙を流さないようにすることで必死で。 そして、一人になってようやくぽろぽろと涙を落とすの。 だから誰も知らないんだよ。悪魔の本当の心を。 悪戯をしたのだって、ただ寂しかっただけ。 今まで自分の周りにいた人たちが、次々に天使の方へと流れていって、気付いたら自分の周りはこんなにも寒かった。 それで、どにかして気を引きたかったから。 どうにかして、自分の存在を認めてほしかったから。 だから、やり方が少し不器用ってだけでしょ? 神様だって、 別に天使を人間達に愛させ、 悪魔を嫌わせるつもりなんて全然無かったんだよ。 ただ、 世界にはいろんな人がいるということを教えたかっただけ。 ただそれだけ―― 「結論、しーちゃんはそのままでいいってこと」 私は立ち上がり、勢いよく開けた窓から吹き込む風に髪を遊ばれる。 「…そんなもんスかねー」 彼は乱れる髪を手で押さえながら言う。 それが耳に響いて、なんとはなしに一息ついてから、 「そんなもんだよ」 笑って、答えた。 吹き抜ける風は青かった。 眺める空は青かった。 なら、 流れる悪魔の涙は――? ふと、そんなことを思った。 *fin* |
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