タイムリミット
作者: トーラ   2008年03月26日(水) 16時28分41秒公開   ID:KvBgjdlPPKE
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 彼と並んで歩く学校帰り。車はライトを付けて忙しなく列を作って走っている。私と彼は歩道をのんびりと時間をかけて歩く。
 帰り道が一日の間で彼と一緒にいられる最後の時間。
 二人きりで話が出来る幸せな時間。
 彼は私の気持ちを知らない。完全に私の片想い。
 他愛のない話題で話を続け、気づけば彼と別れる交差点にさしかかる。
 交差点の押ボタン式信号機が最後の砦、赤から青に変わるまで彼と一緒にいられる。
 ボタンを押して表示を変えた。
 信号の色が変わるまでたっぷり九十秒。至福の余韻を味わって、今日の終わりを寂しがる気持ちをかき消すように、明日に想いを馳せる。
 だけど、もうそれだけじゃあ満足できないのだ。
 私に残された時間は九十秒。その間に、彼に気持ちを伝えたい。
「ねぇ」
「何?」
「えーと、ね、その……」
 もごもごと口を動かすけれど、肝心の言葉が出てこない。
 信号が点滅し始める。

「あのね! 私……!」

 今日一番大きな声を出した。



 独り、部屋の中で腕に巻いた時計を睨み付ける。秒針が優雅に円運動を続ける。どんな妨げも跳ね除けるように。
 一回転半したのを確認して、目を離した。
 心の中で「好きです。付き合ってください」と告げるのに十秒もかからない。告白の言葉以外にも今日のご飯は何を食べたかとか、学校で何があったかとか、どうでもいいことを思い出したりも出来る。
 九十秒もあれば、告白するくらい余裕の筈なのに。
 だけどそれは慰め。好きだと口にするだけと、告げることではまったく意味が違うのだから、想定どおりできないのは当たり前なのだ。
「今日も言えなかったぁ」
 ベッドに飛び込み呟いた。
「何でもない、訳ないのに……」
 あの時急に怖くなって、結局何も言えず「ううん、何でもない」笑って誤魔化した。後悔ばかり笑い事ではない筈なのに。
 昨日の予行練習は完璧だった。覚悟を決めるまでの時間を計算しても余裕だった。なのに、今日も言えなかった。
 本番の九十秒の短いことこの上なし。
 信号待ちで告白するのがそもそもの間違いなのだろうか。だけど、学校で二人きりで会うのは恥ずかしいし、休日に二人きりで会おうだなんて誘えたら苦労はない。帰り道で歩きながら告白するのは、雰囲気が違うような気がして嫌だった。そもそも、言おう言おうと思っていても、最後の信号待ちになるまで言えない訳で。
 もはやこれは意地なのだ。私のくだらない拘り。
 信号待ちの時間に告白が出来れば、上手くいきそうな気がするから。
「脈はあるはずなんだ……」
 ほぼ毎日一緒に帰ってくれるのだから、ただの友達としか認識されていないことはない筈なのだ。一応私は女の子で異性なのだから、異性と二人きりで帰っているのに私を意識しない訳がない。
 彼だって私の気持ちに気付いてくれてもいいのに。
「こっちから一緒に帰ろうって誘ってるのに、私の気持ちに気がつかないとか……、鈍感! 馬鹿!」
 彼の笑顔が憎たらしい。その笑顔で私がこんなにも悩んで悶えていることを奴は知らない。
 鈍感は罪深い。
 時計を見た、秒針が二回転はしていた。短いことこの上なし。
 針が十二に辿りつくまで待って、
「……好きだよ」
 呟いてから針を見た。五秒経っていた。
 意中の彼を想像して、恥ずかしくなってベッドの上を転げ回った。
「何やってんだ私は」
 落ち着こうと息を整える。少しだけ、身体が熱い。
「明日こそは言ってやるんだから」
 この言葉も、今日で七回目だった。



「また言えなかったかね」
「うっさい」
 お昼ご飯の弁当を突きながら、彼女は言った。彼女の口調は本当に憎たらしい。
「言えなかったんだねぇ。片想いは辛いねぇ。早くしないと他の子に取られちゃうんじゃないのかねぇ」
「黙って飯食え」
「あらあら機嫌の悪いことで」
 言葉が止み、彼女が米を租借する。
「しかしあんた、幼馴染に片想いとかベッタベタな展開だよね」
 彼女はプライベートなことでもネタにして話が出来る数少ない友人だ。私の突き放した返事も、彼女との信頼関係が成り立っているから出来ることだ。
「それを言わないでって。私も気付いた時には阿呆かって思ったわよ。でも仕方がないじゃない」
 不覚にも彼を好きだと気付いた時には、この前のように恥ずかしさに転げまわったものだ。
 彼女の言うとおり彼とは幼馴染のご近所さんで、同じ小学校、中学校合わせて九年間の付き合いで、幼い頃は泣かし、泣かされの仲だった。好きとか嫌いとかじゃなくて、ただの良い友達だった。
 恋人同士になるなんて想像もしていなかったのだ。
 私たちに転機が訪れたのは高校受験の季節だった。
 ある友人の一言が私の価値観を変えた。
 ――あんたら付き合ってるんだから、彼と同じ高校行くんだよね?
 当たり前の事を確認するかのように私に言ったのである。
 ただの友達として接していた彼と、私は恋人同士に見られていた訳だ。その時は実感も沸かず、有り得ないと一言で否定したのだけど、それからどうも彼のことが気になり始めた。
 使い古された言葉で表すならば、友達以上恋人未満な関係に気付いてしまったのだ。
 それからというもの、彼の仕草に小動物のように反応し、彼の表情に一喜一憂する始末。
 不覚の極みである。しかも、その状態が現在、高一の秋まで続いているのだから、友人に弄られても文句は言えない。
「今日で何回目のチャレンジ?」
「……十四回目」
「あんたコクる気あんの?」
「……あるもん」
「信号待ちの間にコクるってのが無謀なんじゃない?」
「その時に言えたら上手くいく気がするの」
「なんと都合の良き考えかな」
「うるさい」
 私は弁当を食べるのを再開する。
 昼からの授業でも、もちろん予行練習は欠かさない。



 放課後、今日は私の方が先に授業が終わったので彼を待つことにした。大体一時間くらいは待ち呆けた。
 彼の授業が終わるまでに、自分も同じ時間に授業が終わったかのように近づく時のイメージトレーニングと、今日こそは絶対に告白するんだと覚悟を決めて、もちろん予行練習も忘れずに彼を待った。
 今日こそは完璧。失敗する訳がない。今日の私はいつもの私じゃない。
 今日は何かがキテいる。そんな気がする。
 終鈴が鳴った。彼の授業が終わった合図だ。彼は部活はしていないから真っ直ぐ家に帰る。昨日もそうだった。
 校舎の入り口付近から、彼が正門に現れるのを待った。
 彼は一人で正門に向かっていた。ガッツポーズで気合入れて、彼に気付かれないように駆け寄った。
「おっす。独りで帰んの?」
「あれ、お前のクラス六時間授業じゃなかったっけ」
「え、あー……」
 イメージが打ち崩され、頭が真っ白になる。
 最悪だ。何故私のクラスの時間割を把握しているのだこの男は。
 ――お前を待ってたなんて言えないし。言い訳を言い訳を……。
 言葉が出てこない。焦る、焦る。
「ん、どした?」
 無神経な声に苛立った。
 ――少し黙ってろ。
「あれよ! 図書館でちょっと課題してたの!」
 焦りのせいか声が大きい気もするけど誤魔化せたことにする。彼が微妙な顔をしているけど気にしない。そうじゃないとやってられない。
「そ、そか。まぁいいや。帰ろっか」
「うん。帰ろ帰ろ」
 何とか昨日と同じ流れに持ち込んだ。後は別れるまでに告白するだけだ。
 タイムリミットが九十秒を切るまでに覚悟を決めるのだ。今日の私なら出来る。
 今日こそ、キメてやるのだ。この決意は、何度目だったかなんて、どうでもよいことなのだ。



 今日は上手く話せなかった。いつもよりぎこちない気がする。会話が続かない。せっかく一緒に歩いているのに黙ったままだ。
「そういえばさ」
 沈黙に危機感を覚えてとりあえず口を開いた。話題はまだ考えていない。
「ん? 何?」
「えーっと……三組の舞さんね、外川君と付き合い始めたらしいよ」
「うえ、マジでぇ」
「マジでマジで」
 だから何だっていう話で、落ちも何もない。もちろんのこと、沈黙が再開される。
 さて、次は何を話そうか。ちょっとした連想ゲーム。カップル。彼氏、彼女。付き合え馬鹿。
「まさか、あんた彼女なんていないよねぇ」
「嫌味な奴だな。いる訳ねぇだろ。そういうお前だっていねぇんだろ」
「いる訳がございませんー」
 いつもの調子が戻ってきた。この流れなら、もしかしたらこのまま告白まで持っていけそうだけれど、一週間以上も九十秒間に拘ってきたのだ。その拘りは簡単に捨てられない。
「欲しい? 彼女とか」
「どうだろー。まぁ、欲しいっちゃ欲しいわな」
 はにかみながら、淡く笑って答えた。そんな些細な仕草一つで私の胸は躍りだす。
 ――だったら私とか、どうかな……?
 喉の奥で発射準備だけされた言葉は、思いのほか簡単に飲み込めた。雰囲気的に言えそうでも度胸がいるのに変わりはない。告白を発射するだけの度胸はまだ作れていなかった。
「誰かに告白されたらどうすんのー。誰でもおっけいしちゃう訳?」
「んなこたあねぇけどさ。お前、今日はどうした」
「べっつにぃ。私も彼氏欲しいのう」
 彼の質問ははぐらかせたことにした。彼に向けたい想いを、ほんのりと紅くなった空を仰いで告げた。
「お前こそ告白すりゃ誰か付き合ってくれんじゃねぇの? 顔は悪くないんだし」
「は? 何言ってんの。そんな物好きいないって」
 顔は悪くない。可愛いと言っているのだろうか。褒められているのだろうか。
 ――洒落にならないって。それ。
 嬉しい気持ちを隠すのに必死だ。
「女の子を褒めれるようになったか。あんたも大人になったねぇ。もう蝉ばっかり集めて回るガキじゃなくなったのね」
「うるせぇ」
 彼が恥ずかしそうに吐き捨てる。そんな仕草が可愛くて、嫌いじゃない。むしろ好き。
「……お互い頑張らないとな」
「あ、うん。そだね」
 妙な間と、妙に真面目な声が引っかかったけれど、長くは気にならなかった。
 タイムリミットが迫る。



 彼と別れる交差点が近づくにつれて、私の口数も減っていった。始めは沈黙に違和感があったけれど、今は会話がないのも自然に感じる。
 緊張が高まっていく。あまり気分の良いものじゃない。
 ――覚悟は出来たか私。度胸を見せろ私。女ならやってやれだ。
 きっと、今口を開くと上手く舌が回らない。黙ったままでないと動揺が隠せない。幸運にも彼は黙り込む私を不審がっていないようだった。
 さりげなく胸をさすってみた。心臓が暴れているのが分かった。
 ――お、落ち着くのよ……。ちょっと好きだって告白するだけ。そう。ちょっと好きだって言うだけ。たった三文字よ。何も緊張することなんてないんだって。だから落ち着け私。
 気がつけば信号機の前まで歩いていた。慌てて、震えそうな指でボタンを押した。
 指を離して、彼の隣に立つ。
 目の前を何台もの車が走り抜けていく。ちゃんと声は届くだろうか。
「あの、さ」
「ん、何?」
 彼の声は車の音に紛れて、すぐ隣で聞いているのに聞き取り辛かった。私の声もきっと聞き取り辛いのだろう。好きだと言えても、聞こえていないかも知れない。
「え、と。その……」
「うん」
 ナメクジが這うみたいにのろのろと、好きだの一言が私の喉を伝っていく。
 ちゃんと好きと言えたら、結果はどうあれ後悔はしない。
 ――後悔、しない?
 頭の中に風船が膨らむように、別の考えが膨らみ出す。

 ――断られたらどうしよう……。

 ――怖い、かも……。

 このままでは言えない。信号が点滅し始めた。
 九十秒が経とうとしている。やっぱり、短い。

 ――今日も言えない……?

 何が、今日なら言える筈、だ。そんなこと毎日思っている事なのに。
 気持ちを言葉に出来ないのが悔しくて、悔しさが顔に表れても大丈夫なように、俯いた。

「だから、何だよ」
「え……?」
 彼の声に弾かれて顔を上げた。信号は青色になっている。なのに、彼は私の隣に立ったままで、私の言葉を待っていてくれていた。
 信号がまた赤に変わる。
「え、てお前。そっちから言い出したんだろ」
「あ、そうだったね。何言おうとしてたか忘れちゃった。ちょっと思い出す」
 タイムリミットを過ぎても彼と話をしている。嬉しいけれどルール違反だ。もう一度信号が青に変わるまでに言えたとしても、それで私は満足だろうか。
「だったら俺もお前も言いたいことあるからさ。先に言っとく」
「な、何よ……」
 予想外な彼の発言が私の心に荒波を立てた。彼の発言がなくても私の心は大荒れで、告白出来なかったことに対して敗北感を味わい、悔しくて、格好悪くて、正直泣きそうだった。
 彼が深く息を吸って吐き出した。彼が真っ直ぐ正面を向いているので、私は彼の横顔しか見られない。
「俺、お前のことが好きだ」

⇒To Be Continued...

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