ネバーランド |
作者:
柳月
2008年03月06日(木) 12時17分12秒公開
ID:e5fz67b9II6
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始まりはどこだったのだろう? 図書館に入り浸るようになった頃からか。それとも、もっと前、私が読書を好むようになってからか。じゃあ、どうして読書が好きなのだろう。 そう考えると、私が『星の王子さま』と出会った時が始まり、ということになる。もちろん、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリだ。 それを読んだのは、確か小学校の低学年の頃だった。ほとんど始めての読書体験だったと言って良い。 しかし、面白かったか、と聞かれれば、決してそうではない。何を言いたいのかはさっぱり分からなかったし、ひどく退屈だった。それでも最後まで読み通せたのは、あの素朴な挿絵のお陰だったのではないかと、今では思っている。 それからしばらくは読書から離れた生活で、読んだのは、皆が読んでいるような流行りの本くらいだった。今となっては信じられない話だけれど。 私の人生に、『星の王子さま』がもう一度現われたのは二年と四ヶ月前。つまり中学一年生の夏休みだった。 ある日、ベッドに寝そべってごろごろしていた時だ。本棚の片隅に、懐かしい背表紙を見つけたのは。退屈さも手伝って思わず手を伸ばした。 それが私の心にどういう作用を与えたのかは分からない。 ただ、表紙を捲った瞬間の、その次の記憶は、なぜか大泣きしている自分だ。 何にどう感動したのか、それとも悲しかったのか。それを思い出すことは、多分もう出来ない。当時私は反抗期で、世界の全てが嫌になっていた。それがこの心の動きと関係があるような気もするけれど、そんなことはどうでも良い。 キツネが王子に「大切なものは、目に見えない」という「秘密」を教えた時、私は確かに救われたのだから。 小説が好きになったのはその頃のことだと思う。 本を読む自分になるために読むのを止めたら、読書が楽しくなった。 そして今、私の目の前には一冊の本がある。この図書館にあった小説で、さっき本棚から見つけてきたばかりだ。少し古い感じがする以外は、何の変哲もない。それでも手に取ってみた理由は、この本の一番最後にある。 そこにあるのは、貸し出しカード。過去にこの本と向き合った人々の名前が書かれている。 初めて「久永紡」という名前を見つけたのは、一年生の冬で、最初は何とも思わなかったけれど、何度も目にするうちに興味を引かれた。 まず、名前だ。「つむぐ」か。それとも「つむぎ」か。これだけでは、性別も分からない。その筆跡も、時には整った綺麗な字だったり、わざとらしい丸文字だったり、とんでもない悪筆だったりする。 名前と一緒に記されている貸出日は、私が見つけた中で、もっとも古いもので十年ほど前、一番新しいのは約三年前だ。 しかも彼(彼女?)の乱読っぷりには呆れる。なんせ、ドストエフスキーの『罪と罰』を借りたと思ったら、次の日にはグリム童話なんかを借りている(この発見は全くの偶然だった)。 久永紡は、二年四組に在籍していることになっている。図書室に置かれている、過去の卒業文集のようなものを何年分か当たってみたけれど、やはりというべきか、そんな生徒は存在しなかった。 筆跡と貸出日の記録から、一人の人間ではないらしいのはわかる。でも、誰が、何のために始めて、どのようにして受け継がれたのか。不気味さと好奇心が、私の中で危ういバランスを保っている。 「よく読むねえ」 私を思考の海から引っ張り上げたのは、隣で数学の問題集を解く美奈の、呆れたような声だった。目は離さず、長い髪をうるさそうにかきあげた。 「本ばっかり読んでるくせに、成績が良いんだもん、羨ましいよ」 「私は家でちゃんとやってるの」 そう言い返してはみたけれど、罪悪感にも似た感情が浮かぶのは止められなかった。私が美奈とぴったり同じ時間の勉強をしても、テストでは私の方が高い点を取るだろう。 素っ気無く言ってしまえば、吸収力や記憶力の差。でも皮肉なことに、私は皆が騒ぐほどに偏差値というものに、価値を感じない。 その貸し出しカードの、「久永紡」から空欄までには、二つの名前が書かれていた。「久永紡」がこの本を借りたのは、五年前の十月。 空白にペンを滑らせ、「北条いつみ」と書き込む。 「それ、借りるの?」 「うん」 美奈が走らせていたシャーペンの芯が折れた。かちかち、と二回ノックしても出てこない。美奈はシャーペンを机に置いた。 「私だったら、こんな分厚いの触る気にもなんないな。開けば字がびっしりでさ、うへーってなる」 「私だってそう。読みたいと思うか、そうじゃないかの違いでしょ」 「そんなもんなのかなあ」 図書室や本屋で感じるのは、いつだって絶望だ。ここにはたくさんの本があって、夢や希望が詰まった物語がある。でも、その全てを読む時間は、私には無い。 それを美奈に言おうとしたけれど、上手く伝わらない気がしてやめた。 本の貸し出しカードは書き終わった。次は個人の分を書かないと。 私は席を立ち、図書室の一角に向う。今は放課後なので、図書委員はいないけれど、三年三組の束から、自分のカードを勝手に取り出して書き込む。 いつの間にか仲良くなった司書の先生から、手続きさえちゃんとすれば、勝手に借りても構わない、という許しを賜っているのだ。 人が産まれる時も、死ぬ時も、結婚、離婚をする時も、こうして紙一枚の手続きで終わってしまうんだなと、つまらないことを考える。 振り返ると、美奈は再び問題集に取り組んでいた。 私と彼女は志望校が違う。この先の人生で、道が交差する機会はどんどん減っていく。美奈もそれを感じ取っていたのか、今年の夏は二人で大はしゃぎした。常に笑って自分を騙していないと、安心出来なかった。 本のカードと自分のカードを輪ゴムでまとめて、もとに戻す。 必要な作業を終えて、美奈のところに戻ろうとした時、何かを見たような気がして足を止めた。 なんだろう? その答えを探るために、注意深く辺りを見回す。自分で意識したわけではないけれど、近くの本棚に目が吸い寄せられた。 頭は混乱しているのに、体だけが自然に動く。私だけを捉える重力が働いているような、奇妙な感覚。 違和感の正体はすぐにわかった。今までに何度も前を通り過ぎて、気付かなかったことが不思議だ。一番下の段にあったからかもしれない。 その本の背表紙にはタイトルがなかった。 無理やり押し込んであるのか、きつく納まっている年季の入った本を引っ張り出した。本の上側にほこりがたまっていて、暫く動かされなかったことを物語っている。表紙のタイトルは掠れていて読めない。 ページを開いて、やっとそのタイトルを知った。『砂時計』という単語がくたびれたように居座っていて、私をにらめつけている。 一番最初の段落は、こう始まった。 『砂時計が割れた。中からあふれ出した時間が、伸びも縮みもしない蒼ざめた時間に溶けてゆく』 一旦読むのを中断し、指でぱらぱらとめくると、かび臭さが漂う。途中あるページで何かが引っかかった。そこにあったのは、二つ折りにされた一枚の紙だった。この本ほどではないけれど、この紙も相当に古そうだ。 破れてしまいそうな気がして、丁寧に開くと、現われたものも文章だった。 彼が少年であったとき 彼女は少女だった そして私は 独り空を見上げていた 彼が彼女に恋をしたとき 彼女は彼に恋をした そして私は 世界の淵に腰掛けていた 彼が彼女と別れたとき 彼女は彼を想って泣いていた そして私は 希望の欠片を拾っていた 大人になった少年に 間違いだらけの宝の地図を 夢見がちな少女には ピエロのような現実を 傍観者であるあなたには 私から 権利という名の足かせを 『ネバーランド』と題されたそれは、詩のつもりなのだろうけど、別に上手くも何ともない。なんとなく、作者は男じゃないかな、と思った。ワープロの字をなぞったような、どこまでも几帳面な文字。 私なら、別れた男の子を想って泣くどころか、恨んでしまいそうだ。「ピエロのような現実」というのがちょっとだけ良い。人間が生まれる時に好きな才能を選べたら、と思う。それならば、後悔はしても罪悪感は感じなくても済むのに。 どことなくちぐはぐな印象を受けるのは、きっと最後の三行のせいだ。「私」と「あなた」とは、作者と読者ということなのだろうか。 とりあえず、その汚い紙切れを本に戻した。指で押さえているページが流れていくのに任せると、やがて一番最後――貸し出しカードが現われる。思わず本を取り落としてしまいそうになった。 そこには、五人の人間が名前を刻んだらしい。けれど、そこにはたった一つの名前しか刻まれていなかった。 ばらばらの筆跡で書かれた「久永紡」という誰か。日付の欄は全て空白。「伝統」という言葉を思い浮かべたが、それはすぐに「因習」という言葉に塗りつぶされた。 何かが分かったような気がする。 誰かのたいたずらを、物好きな生徒――そう、例えば私のような――がひっそりと受け継いできた。でも、これは単なるいたずらでは、きっとない。 これをはじめた誰かは、こんなふうに継承されるとは思っていなかったかもしれない。でも、細い糸だけを垂らして「久永紡」を追い駆けるヒントは残した。 好奇心旺盛な誰かの手を通して糸は伸び続け、今は私の手元にある。少なくとも「久永紡」は十年もの間、二年四組の生徒であり続けた。 そんな存在は許されてはいない。望もうとそうでなかろうと、私たちは成長を強いられるのだし、抗う術もない。 初代の「久永紡」は、もうこの存在を忘れているだろうか? 憶えていて欲しいな、と思う。 私は今、興奮している。ただ、それをストレートにそれを表現するには、この図書館という空間は適していない。美奈の所に駆け寄ろうとして、やめた。さっき見つけた詩のようなものが浮かんだから。 傍観者であるあなたには 私から 権利という名の足かせを たぶん、これはそういうことだろう。「久永紡」は、ここだけで存在できる。「久永紡」は、本人にしか知られてはならない。 時間という概念から独立した「久永紡」。成長を拒絶する「久永紡」。ささやかな抵抗を示す「久永紡」。けれど、決して攻撃的ではない「久永紡」。 鉛筆を走らせる。刻む名前は「久永紡」だ。六人目の「久永紡」は、今までのどの筆跡とも違う。当たり前のことだけれど、なんとなくそれが嬉しい。 私はもうすぐ卒業する。高校生になって、そのうち大学生にもなる。それでも「久永紡」は二年四組の生徒だ。 誰もその存在に気付かないかもしれない。それでも良い。誰かが気付いて「久永紡」になってくれたらもっと良い。 そう思った。 |
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