少女の探し物
作者: 異議あ麟太郎   2007年07月26日(木) 22時08分39秒公開   ID:3A7wsrPCevs
―悩める私に……― 
 
 店を出て十分ほど歩いたところで何気なしに空を仰いだ。夜空にはいつもと少し違う赤みがかった異様な色彩をした月が出ていて、その不気味な月は見るものに得体の知れない畏怖を抱かせるかのように俺には思われた。
 大学時代の友人と久しぶりに飲み、歩いて帰途についている。どうやらまだ、酒の抜けきらないようで、朦朧とした頭で、人通りの少ない路地を歩く。
 最近、この道で思い出したくもないトラブルに遭遇したので、出来れば迂回して他の道を行こうと思ったのだが、足もとが覚束ない千鳥足の状態で、わざわざ遠回りをするのが億劫だったから、結局この道を通ることにした。
 酒で火照った頬を十一月の冷風が優しくなでて心地いい。ぐるりを見回すとあたりは静寂に包まれていて、どこかもの寂しく、ゴーストタウンのように感じられる。
 どうしても先ほど見た月が気になり歩みを止めて、再び空を仰ぐ。爛々と不気味な月光を放つ月に思わず恍惚としていると、視界の端に一人の少女の姿を認めた。
 ボンヤリと一人立ちすくむ少女、枝毛一本ないであろうその髪は街灯に照らされ、美しくも妖しく、またおぼろげでもあった。
「こんな時間に一人で何をしているの?」
 立ちすくみ微動だにしない少女に呂律が回らない口調で尋ねる。 
「探し物をしているの……」
 今にも消え入りそうな声で少女が答える。
 長い髪で顔が半分隠れてよく見えないが、かなり整った顔立ちであることだけはわかる、年齢は中学生のようにも見えるし、あるいはもう少し上なのかもしれない。
「探し物?」
 あまりにも意外な少女の答えに声が裏返ってしまう。こんな時間に一人でいるものだからてっきり家出だと思ったのだ。
「ねぇ、お兄さん。人は死んだらどうなると思う?」
 少女が顔にかかっていた髪を耳にかけ、整った色白の顔を向けて、真っ直ぐと俺を見据える。ふと、この少女を以前見かけたような既視感に襲われる。
「死んだらどこに行くか?」
 既視感を無理やり頭から消し去ると、少女の突飛な質問を反芻する。その質問の内容からよもや少女が自殺でも考えているのでは? と不安になってくる。
「どうなると思う?」
 少女は先ほどから俺の顔を見つめ続けている。返答に窮して、思わず彼女から顔をそらす。
 ――何か答えなくてはいけない――と思うのだが酔った頭のせいで思考がなかなか追いついてくれない。困って目を泳がせていると、カーブミラーが視界に入った。そこには一人街灯の下に立ち尽くしている俺の姿が映っていた。
「次に会うまでに考えておいて……」
 少女はそう言い残すと、走り去ってしまう。
「あ、ちょっと!」
 急いで少女を追いかけるが、少女の足は速く曲がり角で見失ってしまった。
 不思議な少女との出会いに呆然としていると、暗がりの中に何かが落ちているのを水晶体が捕らえた。拾ってみるとそれは生徒手帳であった。学校名と少女の名前そして、住所が記入されている。
「明日は仕事がないし、届ければいいか……」
 落し物の手帳を掌で弄びながら、独り言ちた。

        *        *        *

 翌日、手帳に書かれていた住所を頼りに少女の家へと向かった。住所によると案外遠くない所だったので、車は使わず、歩いていくことにした。最近、車に乗る気にならないのだ。
 人に尋ねながら、右往左往し、ようやっと少女の家を見つけた。
 和風の瓦葺屋根の一軒屋で庭先には何もいない犬小屋が放置されている。庭に足を踏み入れ、覗いてみると、雑草が伸びたい放題で、とても人が住んでいる感じではない。
「ごめんください」
 引き戸を軽く叩きながら声を上げる。不便なことにインターホンがついていないのだ。
 しばらく反応を窺うが家の中からは何も聞こず、人の気配も感じられない。留守なのかと訝しんでいると、後方から声がした。
「おい、あんた。その鋭の人はもうすんでいないよ」
 振り返ると、六十過ぎで白髪交じりの初老の男性が犬を連れて立っていた。
「もう住んでいない?」
 そんな馬鹿なことがあるものか――事実、昨日会った少女の生徒手帳にこの家の住所が記されている。
「そうだ。二ヶ月ほど前、かわいそうにこの家の娘さんが轢き逃げにあって亡くなられてな。ショックを受けたご両親が早々に引っ越してしまったんだよ」
 初老の男性の話を聞いているうちに、嫌な汗が背を伝わるのを感じた。ある非現実的な予感が脳裏をよぎる。
「あの、その亡くなられた娘さんのお名前はご存知ですか?」
 その予感が外れて欲しいと切に願いながら恐る恐る訊く。
「確か……坂野百合だったかな」
 初老の男性の言った名前を何度も呟きながらあの少女が落とした生徒手帳を見る。昨日会った少女の端整な顔立ちが映った写真が貼られている。そして、その横に書かれた名前は――坂野百合だった。
「そんな馬鹿な……」
 やっとの思いでそれだけ口にしていた。
 
        *        *        *

 叫びだしそうになりながらも必死に昨日遭遇した出来事について考えを廻らし、起ったであろうその非現実的な事実を否定しようとした。
 しかし、否定しようにも忌々しい手帳のせいで昨日あった出来事を否定することができなかった。
 轢き逃げされて死んだ少女の幽霊――そんな言葉が頭をよぎるたびにそんなことがあるわけがない、と自分に言い聞かせる。だが、この事実は三段論法から導かれていて否定のしようがない。
 まとめると次のようになる。

 大前提=昨日あった少女は手帳から坂野百合本人であるといえる。
 小前提=初老の男性の話によると手帳に載っていた住所の家の娘、坂野百合は二ヶ月前に死んでいる。
 結論=よって、昨日あった少女は二ヶ月前に死んだ坂野百合の幽霊である。

 大前提を疑うことはできないかと考えたが街灯の下で見た顔はこの手帳に貼られている少女の顔だった。この近辺で似た顔の人間がそうそういいるはずがない。
 瞼を閉じて昨日少女に会ったときのことを今一度思い出してみる。酔った帰りに出会った漆黒の髪の少女。美しい色白の顔。突飛な質問の返答に窮して、少女から視線をそらした時にカーブミラーが視界に入って、そこには一人街灯の下に立ち尽くしている俺が映っていた――待てよ? ちょっと待て、『一人』街灯の下に立ち尽くしている俺の姿?
 またもや嫌な汗が背を伝わるのを感じる。そうだ、あのカーブミラーには俺一人の姿しか映っていなかった。よっていたので何気なく見ていたが、本来そこに映っているべき少女の姿がなかった!
 あまりの衝撃に前後不覚に陥りそうになる。ここまできた以上、もはやあの少女が幽霊だったことは認めざるをえないだろう。
 しかし、二つ気になることがあった。あの少女の質問だった。「死んだら人はどこに行くのか?」死んでいる少女がなぜ、あんなことを言ったのか? それからもう一つはあの少女を見た時に感じた既視感、あれは既視感ではなかった。
 今だからこそはっきりいえる。俺はあの少女に確かに一度会っている。一体どこで会ったか? 記憶の扉を手当たり次第に開けていく。遥か昔のものからごく最近の記憶。鎖のように連結した記憶を辿っているときだった。
 ある場面が脳裏に浮かんだ。そして、その瞬間に俺は恐怖のあまり叫びだし、そのまま倒れこんだ。

        *        *        *

 俺は今朝、少女の家に行くのに車を使わなかった。最近乗る気にならないからだ。それには理由がある。今から二ヶ月ほど前に車を運転してとんでもないトラブルにあったからだ。
 その日、ちょっとした出来心で飲酒運転をしてしまったのである。それほど飲んだわけでもなく、意識もしっかりしていたので、大丈夫だとたかをくくったのだ。しかし、悲劇は起った。
 ちょうど昨日、少女と会った場所で人を轢いてしまったのだ。あまりのことに気が動転して、どうしたらいいか正常な判断が下せなくなってしまったのである。
 恐る恐るバックミラー越しから轢いてしまった人物を見た。まだ、その人は生きているようで体を必死に起こそうとしていた。そう、その人物こそが坂野百合だった。俺はその時怖くなって、そのまま逃げるようにその場を後にした。
 今なら坂野百合の質問の意味がわかる気がする。あれは恐らく、自分を殺した俺に「お前は死んだらあたしのところに来るんだ」と言いたかったのだろう。そして、もう一つ彼女が言っていた「探し物」について。「探し物」と はおそらく、飲酒運転で自分を殺した憎い相手――すなわち俺のことだったのだ。

                                                                       ――了
■作者からのメッセージ
どうも、異議あ麟太郎です。新道場になって始めての投稿となりました。
勉強に追われてなかなか小説を書くことが出来ず、また以前書いた「君と青空の下で」(この作品は旧道場のほうにあります。)という小説のせいで書くことが嫌になってしまった時期があり、今まで道場のほうに顔を見せられませんでした。リハビリのつもりで書いた作品なので出来にはあまり自信がないというのが正直な感想です。叩いてくれるとありがたいです。本当に小説を書くコツを失ってしまったようなので。
今作のコンセプトはミステリ的な手法を使ってのホラーもどきというところでしょうか?
一度こういう作品を書きたいと思って書いたものです。長さもさほど長くなく、S・S程度の長さです。
というわけで、また会えることを祈りつつ……。

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