雷牙(第一話/上編)
作者: 牧陽介(穂村屋)   2007年04月01日(日) 09時42分01秒公開   ID:W/HHiDG3aTo
【PAGE 1/5】 [1] [2] [3] [4] [5]


第一話/上編『蘇る虎』


 目を開く――最初に視界を埋めたのは、コンクリートが剥き出しの天井と、そこに備え付けられた淡い光を放つライトだった。ついでに目の端にもう一つ、大きなスタンド型のライトがある。
 それらのライトは一般家庭にあるようなものではなく、天井のものは病院の手術室に備え付けられているような巨大なものであり、スタンドの方も手術中に手元を照らし出せるように角度や位置が調整できるもの――ここはどこなのだろう。

(そうだ。ここは、どこだ?)

 この状況自体に奇妙な感覚を覚えつつも、頭は妙に冴えていた。自分でも驚くほど冷静で、少しでも周囲の状況を把握しようとしているのか、様々なところに視線を走らせる。
 横を向くと、映画館のスクリーンのような壁に設置された巨大なスクリーンがあった。いや、スクリーンというより液晶ディスプレイの親玉というべきか――とにかく大きなそれが壁の上半分を被いつくしている。
 下半分には、座り心地の良さそうな黒革の高級椅子、それとキーボード――と言っていいのだろうか。市販のキーボードに似ているが、決定的に違うのはボタンの数が五倍くらいあるところだ。そのためキーボートというよりも、何かを制御するコントロールパネルのようにも見える。設置されている場所から考えても、その画面に何かを映すためのパネルなのだろう。

(何に使うんだ?)

 次に反対側の壁を見たが、そこにあるのは巨大なディスプレイやコンピュータよりも、更に驚かされる異様な物だった。
 鋭く尖ったドリル、凶悪な刃を鈍く輝かせる円形鋸、尖端に焦げ跡を残しす電熱メス――他にも色々あり、それらは壁に掛けられるように収納されている二本のロボットアームに装着されている。

(何でこんなものがある?)

 そのロボット・アーム自体も、車などの製造に使用される工業用の物ではなく、ミクロン以下の単位で作業できる、つまり精密作業に用いるものだ――テレビで見た覚えがある。たしかマニュピュレーターとかいう機械だ。
 その壁の右側――寝かされているので自分から見ると頭上になるが、そちらにはロッカーのような巨大なコンピュータが置かれていて壁が見えない。

(何かの研究室――?)

 部屋の雰囲気からそう考えるも、一体何の研究をしているのかは見当もつかない。勿論、自分が何故ここにいるかも相変わらず見当もつかない。
 とりあえず、起きあがってみる。身体は別に拘束も何もされていなかったが、何故かシャツとトランクスしか身につけていなかった。

(こんな格好で、何をしていたんだ?)

 寝ていた手術台のようなベットから足を降ろして立つ。裸足のため、足の裏が直接コンクリートの床に触れて冷たい。
 まだ気が動転しているせいもあるだろうが、自分がどういう状況に置かれているのか、まだよく理解できていない。
 窓もない部屋――雰囲気からして地下室のような気がする。唯一の出入口は鉄製の自動扉だが、前に立っても、触れても、開く気配は全くない。

(俺は、ここに一人で――?)

 ふとそこで、黒革の椅子の横――スチール製だろう四角いテーブルに置かれているものに気づいた。

(コーヒーカップ?)

 飾り気のない白い陶器のコーヒーカップが忘れられたように置かれていた。
 日常生活で見たことのないものばかりがある中、唯一見たことのあるものがあって少しだけほっとする。そのテーブルに歩み寄り、カップを手に取って匂いを嗅ぐ。

(この匂い、コーヒーだ)

 長い時間ここに置かれていたのか、適温を通り越してすっかり冷めてしまっている。
 残った量から察して誰かが飲み残しただろうこれは、ここに自分以外の誰かがいたことを教えてくれた。

(ん? このカップの淵――口紅?)

 次の瞬間、背後からシュッという物音が聞こえて反射的に振り返る。
 それはあの自動扉が開いた音――入っていたのは、黒髪をショートボブにした女性だった。冬物のコートを纏い、両手にブランドのロゴが入った袋を持っており、まるで買い物から家に帰ってきた様子だった。ここの気温と外の気温との差が大きいのか、眼鏡が曇っている。
 彼女はこちらを見て一瞬その顔に驚きの表情を浮かべるが、すぐに平静を取り戻す。

「もう目が覚めたのね。気分はどう?」

 見た感じでは自分より年上で、外見の印象から理系が得意なタイプで、それでいて美人――その顔にはどこか見覚えがあった。しかし、いくら思い出してもこんな美人と知り合った記憶は無い。

「だ、誰――ですか?」
「私は江間。その様子じゃ、やっぱり記憶が怪しいようね」

 江間と名乗った女性は、そう言いながら両手に持っていた袋をこちらに押しつけてきた。

「とりあえず服を買ってきてあげたから。着なさい」
「は、はあ」

 言われるがまま受け取った袋を台に置き、中から取り出した服を着る。
 袋の中身は全て男物の衣類だった。状況から察して自分のために買ってきてくれたようだが、何故彼女がそういうことをしてくれるのか――当然、身に覚えが無い。

(違う。身に覚えがないんじゃなくて、俺は何も――)

「何も覚えてないようだから、最初から話すわね」

 彼女に頭の中を読まれた。彼女の言う通り、何も覚えていない。何一つ思い出せない。最初は気が動転しているだけだと思ったが――違う。その驚きよりも不快感、不快感よりも好奇心が先走り、黙って彼女の言葉に耳を傾ける。

「さて、と――」

 コートを白衣に着替えて黒革の椅子に腰を下ろした彼女は、キーボードを操作して例の巨大なディスプレイに映像を出した。

「まず、君の名前は藤村虎二郎。職業は普通の大学生ね」

 ディスプレイに名前と写真が浮かぶ。「フジムラ コジロウ」というのが自分の名前らしいが、聞き覚えがあっても自分の名前という認識が全く無い。それでいて写真に写っているのは、確かに自分だ。

「君は三年前、地下鉄で起きたテロによる爆発事件で死んでいるわ。世間一般の記録の上ではね」

 その爆発事件で死んだという言葉よりも「世間一般」という含みを持たせた言い方がひっかかる。

「世間一般って、どういう意味ですか?」
「これを見て」

 画面に地下鉄の車内の様子が映る。何気ない日常の風景だったが、そんな日常の風景がが何の前触れもなく炎と煙に包まれる。先刻の話から察するに、これがテロによる爆発事件とやらの映像なのだろう。

(車内の防犯カメラの映像か?)

 間もなくしてカメラも爆発に巻き込まれたのか、映像が切れて無くなった。
 すぐにニュースに切り替わるが、白人が外国語で話しているので何を言っているのか分からない。それでも画面に書いてある『JAPAN』と『explosion』の意味が『日本』と『爆発』だということは知っている。

「爆破の直後、テロ組織による犯行声明が流れたわ。だからこの事件については、誰も何の疑問も持たなかった」

 画面の隅に日付が書いてある。この日付――確か、この年に何度かテロによる爆破事件があった。同じような事件が起こったのなら、同じ事件と考えるのが普通だろう。

(――そんなことは覚えていても、自分のことは何も覚えていない)

 英単語の認識と意味、日付から思い出せる記憶――すなわち「聞いたことがある」「知っている」というものなら思い出せるが、自分の過去や素性は思い出せない。
 ただ記憶を失った人間は「思い出せない」だけで「知らない」わけではない。例えば母親についての記憶を失った人間がいるとする――記憶を失った人間は「自分の母親」について思い出せなくとも「母親」が一般的にどういう存在であるかは知っている――それが「思い出せない」と「知らない」の違いだ。
 ちなみに、こういうことについても本か何かで知ったものだ。

(頭が痛くなってきた)

 その頭痛を更に追い込もうとでもしているのか、彼女の説明は続く。

「でも、この事故は見せかけ。本当は地下鉄に乗っていた君を含めた乗客は、全員ある組織に誘拐されたの」
「組織?」
「世界のテロ組織はおろか、各国の政府を裏から操れる組織――ヒドラよ」
「ヒドラ?」

 確かどこかの神話に出てくる、猛毒と多数の頭を持った蛇のような化け物――それが『ヒドラ』だ。

「組織の名よ。とても大きな組織――だからこの事件も一時は騒がれたけど、組織が政府を通じて情報操作をしたことで、あっというまに忘れられた」

 頭痛の種が増える。この苦痛から逃れるには、まずは目の前の分かりそうな問題――このテロ事件についての問題を解いた方が良さそうだ。

「その組織の――ヒドラの目的は、何だったんですか?」
「この頃のヒドラは、とある実験のため大量の人間が必要だった。世界中で行方不明の人間を作るなんて簡単だけど、この時ばかりは組織も急いだようね。だからこんな派手な方法で誘拐したわけ」
「大量に人間を誘拐するとして、そのために地下鉄を爆発するってのは無理があると思いますよ。大体、事故現場から遺体が出ないと変でしょう?」
「遺体は出たわよ。でもそれは脂肪とその他諸々の塊、人の形にして焼けば見分けはつかないわ」

 ニュースには死体を入れた袋にすがり泣く遺族の姿が映る。こういった光景を撮影して放送すること自体がどうかとも思うが、それ以上に彼女の口から出た言葉に寒気を感じた。

「そんな面倒なことまでして、何のために誘拐なんか?」
「その理由は、これよ」

 画面が切り替わって、今度は手術室のような場所で実際に何かの手術をしている連中の姿が映った。手術着を血に塗らす生々しい光景――こういうのは苦手で、とてもではないが手術台の上に視点を合わせることができない。

「こ、これは?」
「誘拐された人間は洗脳された後、色々な検査を経て、そこから選ばれた者が改造されたのよ」
「改造?」
「ええ。常人とはかけ離れた戦闘能力を持ち、組織の命令に忠実に従うように改造する。危機も改造されたから、元の身体は数パーセントも残っていないわ」
「そ、そんな――そんなこと! できるわけがない!」

 馬鹿馬鹿しい話だ。妙な組織のことだけでも冗談のような話なのに、自分の身体が改造されたなど信じられるわけがない。

「できるわ。その技術が表に出ないだけでね」
「大体、そんなものを作ったところで何になるんですか!」
「そうね――理想的な戦略兵器といったところかしら」
「戦略兵器?」
「現代の最大の兵器は核だけど、使ったところで被爆して汚染された土壌には何の価値も
無いわ。生物・化学兵器も同じ――侵略できたところで、完全に浄化する方法が見つからない限り意味が無い」

 彼女の言うことは間違っていない。もっとも自分も新聞等で得た程度の知識しかないが――現在の社会で侵略目的の戦争が起きにくいのは、核が抑止力となっているからである。現在の核兵器の破壊力は、過去に日本が広島・長崎に落とされたものの比ではない。当然、放射能による汚染も酷く、侵略したところでその土地は死の土地と化している。
 一方で枯葉剤や細菌のような生物・科学兵器の製造もされているが、侵略が目的である点において、結局は土壌を汚すことに変わりない。毒を作ることは簡単だが、散布した後でそれを除去する能力がなければ、兵器としての意味がないということだ。

「それと人間を改造するのと、どういう関係が?」
「現在の戦争に望まれる戦力は、大量破壊と汚染を目的とした兵器じゃない。それをふまえた上で、軍需産業で利益を得るためには、どうしたらいいと思う?」
「――現在の装備よりも良い物を作る」

 パソコンのOSを入れ替えるような感覚だが、単純に考えると装備品の性能を向上させれば売れる――と、思う。映画なんかでもミサイルの何とかシステムや、新型の戦闘機の設計図をめぐって各国のスパイが活躍する等も見た覚えがある。
 勿論映画は架空の話だが、そういう形で新しいシステムを更新すれば旧式のミサイルでも理論的には新型ミサイルに匹敵する性能を持たせることは可能だという話を聞いたことがある。

「いい考え方ね。でも、具体的に何を作る?」
「戦争だから、戦車とか戦闘機です」
「目の付け所はいいわね。でも違う」
「ならミサイルとか機関銃だ」
「普通に考えたらね。でも、それも儲けは少ない」
「じゃあ、なんですか?」
「ヒドラが行ったのは、兵士を売ることよ」
「兵士を売る? 傭兵を派遣するとか?」
「いいえ、もっと直接的な意味よ。兵士を作って商品として売るの」

 そう言いながら彼女の指がキーボードを叩く。
 画面に映し出される何かの設計図のような複雑な図面――それが何なのか、正直に言ってよく分からない。だが、その設計図は人の形をしていた。話の流れから推察するのなら、これが先刻言っていた人間を改造するための設計図なのだろう。

⇒To Be Continued...

■一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集