クロス 2
作者: トーラ   2008年01月09日(水) 22時04分56秒公開   ID:KvBgjdlPPKE
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 2―1

 私は椅子に座っていて、何処にいるのか辺りを見回してみると、そこは学校の図書館だった。長方形の机が均等に並べられていて、一番奥には個人用の学習机が見える。横には背の高い本棚が迷路を作っている。
 誰もいない。図書館の管理者も、利用者も、誰もいない。本さえも死んでいるような空気だ。読まれることを考えていない無意味な紙の束が、本棚に詰め込まれているだけの、無意味な空間。私はこの場所に必要とされていない。
 だけど、私はここにいる。今回は「この場所」なのだ。「この場所」が選ばれたのだ。無作為に。
 私の意志でここにいるのではない。私が不必要なものだとしても、私は気にしない。
 背後から、軽く鉄の擦れる音が聞こえた。図書館の扉を開かれたのだろう。扉を開いたのが誰なのか確認はしなかった。足音が聞こえる。少しずつ大きくなっていく。足音は図書館全体に広がって、空気に混ざって消えていく。
「また会ったね」
 足音は私の隣で止み、代わりに声が聞こえた。私以外の人間は、一人しかいない。
「そうだね」
 私の隣の席に繭乃が座る。頬杖をついて、私の顔を見つめてくる。正面から見つめ返すのが恥ずかしくて、横目で彼女を見た。
 彼女の笑顔は何処となく幼く、蜂蜜のように甘い。何度か彼女と顔を合わせるようになって、彼女の印象は変わってきた。彼女の表情自体が変わったのかも知れないけれど。
 穏やかさは変わらない。穏やかさの中に、もっと人間らしい感情が混ざっているのは分かった。それらがどんなものなのか全部は分からない。見つけようと思って見つけられるものでもない。足元に転がる小銭を探すくらいに意識しないでいると、笑顔の奥の方にある何かが見つけられるのだと思う。
「ここ、好き?」
「好きでも嫌いでもないよ。何処もおんなじだもの」
「それは確かにそうだね。私はあんまり好きじゃないけど」
「どうして?」
「私の好きな図書館の雰囲気じゃないから」
「好きな雰囲気は?」
「もっと埃臭くてさ、本は私が読みたくなるように誘ってくれないといけないの。ここは何だか皆やる気がない感じかな」
「そんな風に考えれるんだね。面白いな」
「そうかな」
 彼女の質問は、あっさりと終わる。話すのが嫌いのようには見えないけれど、会話はいつもすぐ途切れる。
「マユさんは私のこと、知りたいって思う? 私のこと分かんないのは知ってる。だけど、知りたいかどうかは別だと思うの」
 私の質問に、繭乃は笑顔のまま表情を陰らせた。頬杖をつくのをやめて、俯く。
「私は……」
 次の言葉が続かなかった。質問した事を少し後悔した。こんなにも彼女を悩ませるとは思っていなかった。
 彼女を知りたいと思う欲求が、彼女を困らせている。
「気にしないで。ごめんね」
「……うん」
 二度目の沈黙。繭乃の表情を陰らす雲が通り過ぎるのを待つ。私の言葉には、雲を呼ぶ力はあっても払う力はない。
 机の上に放り出していた私の手に何かが触れる。繭乃の指先が私の指先に触れ合っていた。
「ねぇ、手……握ってもいい?」
 くすぐるように指を絡ませてくる。彼女の指は氷が滑るくらいの軽やかさと、日溜りのような暖かさを持っていた。
「いいよ」
 私の返事を待って、繭乃の手が私の手に重なる。掌の熱が共有される。二人の掌の間に、新しい熱が生まれる。私たちはその熱を閉じ込めた。
「ありがと」
 繭乃の指の力だけだととても頼りなげで、私が彼女と同じくらいの力を込めて、やっと安心できる繋がりが出来上がる。
 一度繋がった手を、引き離すのは気が引ける。繭乃が手を離すまで、私は手を離さない。
 二人で生み出した熱が、永遠に私の間に生き続けるような、そんな安心感に包まれていた。
 私の手に彼女の手が重なっているのを感じながら、私は目を閉じた。



 彼女と繋いだ手の温もりは鮮明に記憶に残っている。隣に座る繭乃と手を繋いで比べてみたい程に。
 今日のお昼ご飯は無難に図書館の一階にあるロビーで食べることになった。二階には彼女と手を繋いだ図書室がある。この学校の図書館は学校から独立した施設で、学生や、教職員以外でも利用していいらしい。一階のロビーは飲食が自由なので、ここで昼食を取る学生も少なくはない。
 今日は日差しが強かったので、屋根があるところで弁当を食べるのが決まり、教室で食べてもよかったのだけど、せっかくなら別の場所で食べようという繭乃の提案で、図書館の一階ロビーになった。
 ここも、結構食べに来たことがある。プールの入り口も何度も行った。敷地の広い学校といっても、毎日別の場所で昼休みを過ごすのは不可能に近かった。次は、電子棟の前の庭だろうか。繭乃と一緒でもあそこは遠慮したいところだ。
 知らない人たちが楽しそうに昼食を食べている。コンビニ弁当だったり、菓子パンだったり、惣菜パンだったり、色んな食べ物で溢れている。私と繭乃は持参の弁当箱。
 箸を持つ繭乃の指先を何気なく見る。指は細くて、爪は健康的なハム色をしていて、艶々としている。この指ならば、一子相伝の暗殺拳を繰り出してもおかしくないように思えた。
「ん、何?」
「や、何でもないです」
 くだらない妄想をやめて米を噛む。冷凍食品の、ササミチーズフライなる物を齧る。食品添加物の味がする。美味しい。
 言葉少なに昼食を済ませ、のんびりとお腹を落ち着かせる。昼休みが終わるまで、多分ずっとここにいるだろう。
「マユさんって指綺麗ですよねー。ピアニストみたい」
「そうかな? ピアノは弾けないけどね」
「本当に弾けたら大爆笑します」
 なんて、いつもと変わらずじゃれあうけれど、もう一人の繭乃の記憶を目の前の彼女に無意識に重ねていたりもして、何気ない仕草に違和感が生まれたり、どきりとする時もある。
 二人の繭乃の言動の不一致さが、私を戸惑わせる。
 本当に境目が曖昧だ。コーヒーを零した水の中みたいに。二人の繭乃が同時に笑っている。私はどちらを見ればいいのだろう。同時に見ると彼女がぶれて見えて駄目だ。
 手を握り合った時を思い出し、大胆なアプローチだったなと振り返る。今まで、落ちも何もない、ただの言葉のやり取りだけの関係だったのに、先日の出来事だけは一線を越えた気がする。だからこそ、喉に刺さった魚の骨みたいに気になっている。
「手、触ってもいい?」
「いいけど、いきなりどうしたの?」
「えーと。すべすべして気持ちよさそうだから」
 夢で感じた温もりを確認したい、とは答えられない。咄嗟に思いついた理由だって、嘘ではない。
「そんないいものでもないけどなぁ」
 繭乃が手の平を天井に向けて私に差し出した。くっきりと手相が現れている。罅割れた粘土みたいに亀裂が走っているように見えた。
「そんなことないですよー。それでは遠慮なく……」
 緊張しながら、繭乃の手の平の上に私の手を乗せた。
 指を絡ませながら、記憶と重ねてみる。鏡に手の平を貼り付けたみたいに、ぴたりと一致する。
 温かさを思い出した心に波紋が走り、全身に温もりを伝わっていく。
 ――変わんないや……。
「どうしたの?」
「や、すべすべですね」
 思い出したように肌触りを確かめる。タイルに指を滑らせたみたいに、邪魔するものがない。
「ありがと」
「ていうか、温かいですね。冬場はホッカイロになりそう」
「手繋いで歩くのは恥ずかしいな」
「私も」
 笑いながら、もう一人の彼女を想像した。確かにこれは恥ずかしい。



 繭乃との交流は当たり前のように続いていた。それとはまた別に、奇妙な交流も続いていた。
 夢で出会う繭乃との交流だ。先日初めて彼女と話をして以来、度々夢に繭乃が現れるようになった。私が繭乃を求めるから現れているのではないと思う。偶々、行き先が同じでばったり鉢合わせるような、いつもそんな出会い方だった。彼女を知りたいと言ったけれど、知ろうとしなくても彼女に会った時には何か新しい発見がある。
 もう一人の繭乃は物静かで、口数は少なかった。電線から水滴が垂れるみたいに、ぽつぽつと少しずつ言葉を話した。意思の疎通は出来ていると思う。夢の中の彼女にはっきりとした意思があるかどうかは分からないけれど、私は彼女の人格を認めていた。
 彼女と話していると、別の方面から繭乃のことを理解しているような気持ちになる。トンネルが繋がるように、現実の繭乃と、夢の中の繭乃の人格が繋がる時は来るのだろうか。
 ずっと、もう一人の繭乃と出会うのは夢の中だと思っていたけど、夢というよりは、こことは別の世界に迷い込んだような気分だった。意識だけが別の場所に飛ばされているような、そんな非現実的なことを想う。
 あり得ないことと想いながらも、そうだったら楽しそうだなと期待する自分がいた。
 もう一人の繭乃との交流は、楽しいことだけではなく、困ったこともある。夢、別の世界での記憶を、現実で起こったことのように記憶することだ。そのせいで、現実と虚構の境目が曖昧になる時がある。それはそれで恐ろしいものもあるけれど、私の周りは至って平和だった。
 私に起こった変化も、日常に彩りを加えるくらいのもので、実害という実害は何もなかった。だから、私は夢については深く考えなかった。ちょっと不思議な事が起こっているだけのこととしか考えていなかった。

 2―2

 その日の放課後、今日は掃除当番の日で、出席番号で分けられた七人程の班で教室の掃除をする。教室以外の掃除は業者がしてくれている。有難い話である。
 午後四時過ぎ。まだ空は青く明るかった。一日は長い。窓の外を眺めながら気の抜けた態度で箒を動かす。消しカスや飴の包装紙を教室の端に掃く。
「このゴミ捨てた奴誰だよ」
 明らかなポイ捨てを見ると腹が立つ。何故ゴミ箱に捨てないのだ。ゴミをゴミ箱に捨てられない馬鹿と同じクラスだと思うと溜息が出る。
「お前ら。机運べー」
「へいへい」
 律儀に返事をしたのは私に一番近い位置で箒を持つ哲だった。掃除なんて、手際よく動けば十分程で終わる。
 だらだらと男子達が机を運ぶ。私は、新しく出来たスペースのゴミを、端へ箸へと追いやっていく。
「そういやさー。田村って最近篠村さんと仲良いよなー」
「だなぁ。最近篠村さんにべっとりじゃね?」
「ただならぬ雰囲気を醸し出してる気がするわ」
 男子どもが口々に勝手な言葉を並べる。
「雰囲気って何?」
 教室に箒を滑らせながら、男子の相手をしてやる。どうせ、くだらないことなのだろうけど。
「幼稚舎から大学まで一貫教育を受けられるカトリック系私立女子校的な」
「私がお嬢様に見えんのか? お嬢様は溶接なんてしないと思うけど」
 予想どおり、くだらない話だった。漫画や小説の話を現実に持ってくるな。
「現実を見ろよ」
「ひでぇ。お嬢様はそんな汚い話し方はしない。絶対」
 全員で笑いながら机を運ぶ。くだらないけれど、こんな馬鹿なやりとりも嫌いではない。賑やかなのは良いことだ。黙って掃除をするのはつまらない。
「でも篠村さんが落ちてきてからお前変わったよな」
「分かる分かる。篠村さんと一緒の時は女に戻ってる」
「はぁ? 何言ってんだお前ら」
「まるで妹のように……」
「お前は黙ってろよ」
 少し焦った。繭乃と一緒にいると楽しいのは認めるが、クラスの鈍感男子どもに悟られる程顔に出ていたのか。立ち回りを考え直さなくては。不覚である。



 掃除も終わり、最後のゴミ捨ては私と哲が行くことになった。ゴミ捨て場は燃えるゴミと燃えないゴミの場所と二箇所あり、その二つを回らなくてはいけないので面倒なことこの上ない。
「しかしむかつく。まさかこの私が弄られようとは」
「まぁ、なんだかんだで目立つからなぁ。女子少ないし」
 控えめに哲が笑う。私を弄りたおした男子を擁護するような笑い方だった。弄られる私が悪いのだけども。
「お前も楽しそうじゃん。篠村さんと一緒にいると」
「そりゃあそうだけどさー。……そんなに分かりやすくはしゃいでた?」
「俺から見た感じだとそう見えたね。なんか、可愛げが出てきた」
「な、何様だお前!」
 可愛い。そんな甘っちょろい言葉にいちいち反応する私もまだまだ甘い。深い意味は無いのだろうけど、反応した自分が悔しくて堪らない。
「なんつーかさぁ。お前ってクールなイメージあったんだけど、案外普通の女子高生? みたいな」
「そういうこと、恥ずかしげも無くよく言えるね」
 女とか、異性とか、性別的なことはあまり意識してほしくない。男だらけの中で生活するのに、異性というだけで気を遣われるのは居心地が悪い。
 というか、単純に照れるし恥ずかしい。真顔でこんな台詞を吐かれたりすると、特に。
「うるせぇ」

⇒To Be Continued...

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