クロス 1
作者: トーラ   2007年12月30日(日) 10時20分37秒公開   ID:KvBgjdlPPKE
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 バスの中は静かだ。乗客は学生が殆どで、隣通し雑談する訳でもなく、黙って目的のバス停に止まるまで待っている。私も口を閉じ、周りの雰囲気に合わせる。そもそも、私には雑談するようなお隣さんはいないのだ。
 バスに揺られながら、今朝みた夢を思い出す。バス停で見た夢の続きかと思えるくらい良く似た夢だった。夢というには曖昧さが足りなかったけれど。
 夢の中で私は人を探していた。日の傾かない静かな町の中を独りで歩いていた。蹴り壊したドアは見えなかったけれど、とにかく私は歩いていたのだ。車は走らないのに律儀に歩道を。
 夢は、いい加減諦めたくなって、寂しくなって、我慢出来なくなったところで終わり、私は目覚めた。
 その夢に刻まれた孤独が、今も頭に残っている。なるべくなら見たくない夢だ。



 私は十八歳で、一応高校生の年なのだけども高校生ではない。私の通う学校は工業高等専門学校。所謂高専だ。つまり高校生ではなく専門学校生なのである。
 高専は少々特殊なところで、普通科高校の常識は通用しない。例えば私服登校などは普通科高校生には馴染みが薄いだろうと思う。
 後は、男女比率だろうか。工業系の学校だから仕方がないことなのだけど、女子が少ない。ちなみに、私の所属する学科の三年のクラスには、私を含めて二人しかいない。去年までは私独りだったが今年は女の子が一人留年したので、二人になったのだ。
 高専で二年も生活していると環境にも適応してくるもので、女子の少なさも特に問題ではなくなった。大学受験がないのも有難いし、校則も緩いので環境が悪いことはない。むしろ良い。
「おっす。今日の数学の課題やってる?」
 朝のホームルームの時間は課題なりレポートなりをする時間になっていた。私に声をかけてきたのはクラスメイトの松野哲(マツノサトル)だ。私は彼をテツと呼ぶ。何故か分からないけれどこいつとは仲が良かったりもする。長めの茶髪にジャケットとジーンズ。毎日同じ格好でいられる服装だなと思った。哲との付き合いも今年で三年目だ。
「やってるけどお前に見せたくないなぁ」
「そう言わずに頼むぜぇ田村さん」
「田村様じゃないの?」
「田村様頼んます」
 両手を合わせて本当に様付けで私を呼んだ。優越感も何もないけれど。
 こいつには自尊心というものがないのだろうか、と呆れながらも哲とじゃれあうのを楽しむ。
「仕方がないねぇ。答え間違ってても知らないよ」
 鞄の中から数学の提出用のノートを取り出し渡す。私も哲からノートを見せてもらうことはあるので断ったりはしない。
「あんがと。恩にきるわー」
 おざなりに礼を告げ、哲が自分の席に戻る。さっそく書き写す作業を始めている。
 今日の私は哲と違って提出物に追われることもない。久しぶりにのんびりと朝を過ごせる。
 クラスの男子とは仲が悪い訳ではないのだけど、男女の壁はやはり厚く、誰とでも友達のようには付き合えていない。ホームルームのようなちょっとした時間に話の出来る友人はあまりいない。哲は数少ない友人の一人だが、彼は今忙しそうなので声をかけるのは遠慮した。
 視界の中に、女性の背中が入り込んでいた。今年私たちのクラスメイトになった篠村繭乃(シノムラマユノ)だ。セミロングくらいの長さの黒髪をハーフアップでまとめ、白いロングブラウスにストライプ柄のネクタイを締め、黒いイレギュラースカートと非常に女の子らしいファッションセンスの持ち主である。ちなみに新学年が始まって二ヶ月が経とうとしているけれど、未だにちゃんと話したことがなかったりする。
 体育の授業の時は、女子が二人しかいないので二人で行動することになる。なので、体育の時くらいしか彼女と話せていない。
 彼女と話してみたいと思いながらも、なかなか声をかけられずにいる。何かきっかけがあればいいのだけど。
 時間を持て余しているこの時も、彼女に声にかけにいくことはなかった。



 授業中というのは大体眠たいものなのだ。それはある種の真理なのではないかとも思う。うちの学校は九十分の四限制で、今は二限目。一限目に耐えた睡魔の猛攻が、二限も続いている。
 粒子程の良心が居眠りを拒んでいるが、正直ノートなんてクラスメイトにコピーさせてもらえばいい訳で、結局授業の内容を理解するのは試験前の復習の時なので、真面目に授業を受けたところでメリットは少ない。
 机に突っ伏して寝るのは申し訳ないので、頬杖をついて眠ることにした。
 完全に眠るよりも、瞼が閉じかかる瞬間の方が心地良い。
 教室を改めて見てみると、私同様に居眠りに精を出す学生が多いことに気付く。授業なんてこんなものだ。担当教員が注意をしないのなら、それは私たちにとっては居眠り可な授業という認識になる。漫画も注意がなければ漫画持込可、となる。もちろん、この授業を漫画を読んで過ごす人も多い。
 そういえば、一度私が持ってきた少女漫画が男子の間で評判が良かった。最新刊が出たら持ってきてあげよう。
 完全に授業を聞く気を失った私は授業以外のどうでもよいことを考え始めた。
 教室の窓には緑色の葉を揺らす銀杏が見える。この教室は二階にあるのに、銀杏の木の頂点は窓からは確認出来なかった。真っ直ぐと、鉄柱が聳え立つように銀杏が凛々しく立っている。鉄柱から触手が伸びるみたいに枝が何本も生えているのが見える。
 緑色の葉が秋になれば狐色に染まる様を想像すると心が躍る。
 視線を窓から黒板に移す。戦意喪失し、うつ伏せになる学生たちを意に介さず黒板を白く染め上げる教師。石灰の軌跡は汚い。というか、字が汚い。ノートなんて取れるのか、という疑問が生まれるがそもそもノートを取っていない。
 黒板を見ると確実に留年生の繭乃が目に入る。彼女の姿勢は良い。窓から覗き見られる銀杏の木みたいに。黒板の文字を真剣に写しているように見えた。
 真面目な人だ。何故留年したのか不思議に思えてならない。人生色々あるのだろうか。
 次は彼女の後ろ姿を標的にした。何かと見つめる機会の多い背中だ。うなじの白さといったら晴れた日の雲のようだ。そんな白い肌には白い洋服が良く似合っている。彼女だから着こなせるのだろうなぁとうとうとしながら眺める。
 彼女の後姿は見ていて気持ちが良い。テトリスで四段綺麗に消すような、きっちり隙間のない感じがある。
 私は、彼女の後姿が好きだ。
 意識がなくなるまで、彼女の背を見つめた。どうせ、私が見つめていることなんて彼女は知らないのだから。



 瞼を上げた。眠気が箒で吐き出されるようになくなっていく。見慣れない、見たことのある光景。
 私は教室の中椅子に座っている。隣には誰もいない。哲もいない。窓の外の銀杏の緑がくすんで見えた。
 顔を上げた。一瞬、息が止まった。
 篠村繭乃が、いた。背中しか見えないけれど、確かにあの後姿は繭乃の物だ。
 教室は私と、繭乃と二人きりの空間になっていた。黒板は一度も傷つけられたことのないような、凹凸のない可愛げのない真緑の顔をしている。
 机も、天井も、蛍光灯の明かりも、何もかもが物足りない色使いなのに、繭乃だけは温かく、別の場所から迷い込んだみたいに見えた。
 今朝の夢で、私が探し回っていた物は、私と何かを共有し、共感出来そうな何かだったのかも知れない。それが目の前の繭乃なのかは分からないけれど、得体の知れない予感があった。
 立ち上がることも忘れて、奇妙な世界の中でヒトを見つけられたことに感動し、背中を見続けた。
 彼女が立ち上がる。椅子の足が擦れる音が、無音だった教室の中を踊る。
 彼女が振り返る。スカートの裾が命を吹き込まれたみたいに揺れる。私の視線が固定される。
 彼女と目が合った。
 微かに驚いたような表情を見せて、虚ろな眼で私に微笑みかけた。
 そのまま微笑を貼り付けて、彼女は教室を出て行く。足音と共に、教室から消える。足音は彼女の存在を私に知らせるかのように、廊下からも響いてきた。
 彼女がいなくなってから、暫くして、独りになったのだと気付いた。教室という狭い世界から彼女は出て行った。狭い世界に私しかいない。
 私は立ち上がった。勢いのついた椅子が倒れ、無音が破られる。彼女を追って教室を出る。
 焦りはないが、追わなくてはいけないような気がして、彼女を探した。元々の探し物が繭乃だったかどうかはもう関係なくなっていた。
 私は興奮していた。期待もしていなかった出会いに、きっかけに、息を密かに荒くし、血の巡りが早くなった。
 彼女と話がしたい。静かすぎる空間を、私以外の声で引き裂かれる様を見てみたい。
 私を動かす動機は何だろうかと考えながら校舎を出た。もう彼女の足音も聞こえないし、存在の残り香も感じられない。彼女を追う手がかりもない。
「何処……行ったんだろ」
 目ぼしい場所を思い浮かべる。売店、体育館、図書館、中庭……。
 何処を探すか決めかねていると、耳元をくすぐる声が聞こえた。その声は私の名を呼んでいる。
 私を呼ぶ声に意識を向ける。



「おい、田村。起きろって」
 頭の上の方から声が聞こえた。この声は、多分哲の声。
 瞼を持ち上げる。暗くてよく見えないけど、白い罫線が見えた。ルーズリーフの横線か。私の頭は自分の腕の上に乗っていた。どうやら最終的に突っ伏して眠っていたようだ。
「あぁ、おはよ……」
 覚醒しきらない頭を持ち上げ、声の主を確認する。予想通り哲だった。
 意識を失う寸前まで眺めていた繭乃の背中はいなくなっていた。
「繭乃さんは?」
 夢の中で見た微笑を思い出す。
「授業終わったらすぐにどっか行ったよ。四年のクラスにでも行ったんじゃないの?」
「そっか。まぁいいや。起こしてくれてありがと」
 教室を見渡した。教室の中で昼食を食べているのは数人しかいない。寂しげな場所だが、夢の中の教室程ではない。どれほど現実離れした光景だったかを再認識する。
 哲の予想は外れていると思う。理由なんてないけれど、彼女は別の所にいる。そんな気がする。
 彼女は教室を出て何処に行ったのだろう。私に見せた微笑にはどんな意味があったのだろう。
 彼女が出演した夢は、最近見たものの中で、最も印象強く記憶に残る。
 昔からよく夢は見る方だったように思う。誰もいない町をうろつく夢も、どちらかといえば珍しいものでもない。
 しかし、同じ夢ばかり見ていると、私の深層心理が何かしらコンプレックスや、問題を抱えているのではないかと不安になる。私の心は大丈夫なのか。話したこともない先輩まで夢に見るとは、いよいよ私も変だと自覚するべきか。
 とりあえず、飯だ。



 昼休みが終わる頃には繭乃はちゃんと教室に戻ってきた。彼女が授業をサボる姿を上手く想像出来ない。午前と変わらない姿で、姿勢を正して授業を受けている。流石だなと感心する。私も見習うべきなのか。
 昼からの授業は数学で必修科目。数学の単位を落とすと四年生になれないのである。よって、この授業は比較的真面目に受けることが多い。居眠りをする学生も少ない。
 今日は三限で授業が終わりなので、最後の授業くらいは真面目に受けたりもするのだろう。
 授業が終わるのは二時二十分で、小学生の下校よりも早い。部活をしていない者は、この余った時間をどう使うかについて悩んでいる。カラオケに行ったり、ゲームセンターに行ったりと、暇のつぶし方は様々だ。安易に思いつく方法はどれも金がかかっていけない。そう考えると部活で時間をつぶすのはお財布にも優しくやりがいもありそうで、中々魅力的に思える。
 だが、今更部活動という気にもなれなかった。やりたいことはあるけれど、部活や愛好会に入ってまではしたくない、と考えるのは私だけではない筈だ。
 今日はもちろんのこと用事がないので、真っ直ぐ家に帰る。昨日と大体同じ放課後を過ごすことになる。
 昨日と違って空が青い。雲が青を侵略するように浮かんでいる。空の青さを何かに例えようしたけれど、空以外に青い物が思い浮かばなかった。猫型ロボットの青は空とは違う。
 猫型ロボットのカラーバリエーションが、スカイブルーだと想像するとくだらなすぎて笑えた。
 バス停のベンチに座り文庫本を開く。これも昨日と同じ。後はおかしな夢を見なければ完璧だ。
「隣、いいかな」
 声がして首を動かした。
 白いブラウスに黒いイレギュラースカート。髪をハーフアップで纏めた女性が、私に声をかけていた。
 繭乃である。
「え、あ、はい、どうぞ」
 初めて繭乃に声をかけられて、内心はコーヒーをカーペットにひっくり返したみたいに慌てているけれど、みっともない姿を晒さないように努めた。

⇒To Be Continued...

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