「風鬼の唄 0.2」の感想 |
No.5 投稿者:カロカロ 評価:0点 投稿日:2007-12-23 00:31 ID:H/wjZ/WVp3A |
なるほど、一人称だとキャラの場面場面での心情が付けたしできると言う事ですね。 一瞬一瞬の攻防の中にそれ以上の価値を付け足す……勉強になりました。 まだまだ先は長いですし、ゆっくりとではありますがしっかりと一人称でいこうと思います。 最悪、今年の応募に間に合わなかったとしてもそのために費やした時間と身につけた知識は後々の役に立つともおもいますし。 牧陽介さん、教えていただきありがとうございました! |
No.4 投稿者:牧陽介 評価:0点 投稿日:2007-12-22 23:59 ID:BpZP0dsH/jA |
質問してというか、こういう意見を求めるのは良いこととは思いますから、別に「何様だ?」なんて思いませんよ。遠慮なくどうぞ。 さて、戦闘シーン(躍動感)は一人称と三人称のどちらが良いかという質問ですが、根っこの部分で考えるのならば大差は無いと思います……そういう結論ではいい加減に聞こえてしまうでしょうから、私自身が一人称を使っているということもありますし、一人称の方が良いと思いますよ。 あくまでも私の結論なので、参考程度に聞いてもらいたいのですが…私は格闘技の実況中継が三人称の一種の形だと思っています。あれはあれで迫力がありますし、一瞬の攻防を逃すまいと真剣に見て、思わず息を飲むこともあります。しかし、これを文章に表現すると意外と単調です。具体的に言えば、一ページ(40×40)書ければ良い方でしょう。これは情報量が少ないと言い換えることができます。 一方、一人称だと単純に情報量が違います。格闘技を実際にやった経験があれば分かりやすいのですが、ほんの一瞬の攻防でもかなりの情報が手に入ります。それを文章に書き起こすと、体験しなくては得られない情報、三人称+αの情報が手に入り、またそれを利用することができます。 例えて言えば……「主人公にパンチが繰り出された」としましょう。 三人称の場合、これにどれだけの情報量が乗せられるでしょう。 「剃刀のように鋭いパンチ」「ハンマーのような拳から繰り出されるパンチ」形容詞を利用してイメージを伝達…程度の差はあれ、三人称ならばこのくらいの描写が限界となってくるでしょう。無論、主人公のアクションもその域を出ることはありません。 一人称ならば、ここに主人公の感情・思考をプラスすることができます。すなわち、そのパンチに対してどう思ったか。無論、三人称でもそれを匂わせることはできますが、主人公ではないので断定することはできませんし、それはあくまでも「安全な位置」から見ている感想にすぎません。むろん、それだけでも迫力があるのは確かです。 ここで自分の身に置き換えてみましょう。格闘家がスパーリング選手相手にパンチの練習をしている。突然、道具を渡されてパンチを受けろと言われる。格闘家の前に立つ、単純に怖いですよね? 迫力が違いますよね? その「恐怖」と「迫力」を一人称ならば書けます。 つまり、一人称は「三人称+α(感情等)」でしかありません。冒頭で「根っこの部分を考えるのなら大差は無い」としたのは、これが理由です。 「恐怖=迫力」と直結するわけではありませんが「迫力のある光景」を前にすると少なからず感情が揺さぶられるものです。無論、感情の描写ばかりだとウザい文章になってしまうので注意は必要になります。 ですが、この感情が書けるというだけでも、戦闘の流れを途切れること無く書けるので、私にとっては一人称で書いた方が楽です。 こんなところで、お答えになっていればよいのですが如何でしょう? |
No.3 投稿者:カロカロ 評価:0点 投稿日:2007-12-22 18:29 ID:H/wjZ/WVp3A |
牧陽介さん、意見ありがとうございます。 確かに始まり一人称、あとは三人称だと不快に感じる場合がありますよね。 ここでの表現方法の転換……今まで書いた約10ページほどがゴミとなりますが、もとゴミ程度の小説なのでそれは置いておきまして、質問一つよろしいでしょうか? アドバイスを受けておいて何様だ……と思うかもしれませんが、戦闘シーンや躍動感を出すのには一人称と三人称、どちらが適していると思いますか? 自分、何分一人称に少しずつ手は出しているものの一人称での戦闘を書いた事は皆無ともいえるので、いささかの不安があるので。 無論、本来ならば鍛錬にて身につければ分かる事なのかもしれませんし、そのような事人に聞いてよい事ではないとも思いますが、牧陽介さんとしての見解を聞きたいです。 失礼だとは思いますが、可能でしたらお願い致します |
No.2 投稿者:牧陽介 評価:0点 投稿日:2007-12-21 20:50 ID:BpZP0dsH/jA |
プロローグが一人称で、中身が三人称になっていますね…統一した方がいいでしょう。そもそも三人称の割には客観性に欠けているような感じがします。 どうも文章の印象としては一人称のそれが強いんですよ。 これを本文を用いて説明すると… >本文抜粋 >すると、不自然に硬く尖った物に手が触れた。一緒に、触りなれた質感も伝わる。 ・この「不自然」とか「慣れた」というのは、あくまでも彼の感覚です。五感が想像できるようにこのように表現する場合もありますが、それを誘発しているようには思えません。 つまりこの文章は、彼の主観によるもの。こういうものが三人称に混ざると非常に読みにくいです。 どうも構成している文章の言葉遣いが三人称の文章向けじゃないんですよね…適正云々を言うつもりはありませんが、今までの傾向からすると一人称で書いた方が良いと思いますよ。 プロローグにしても、運命がどうのこうのというくだりはそれだけで嫌う人もいますからね。これがキャラクターの主観なら別なのですが、最初の数行ではその判断もしかねます。しかし、最初に「私」など一人称独特の文章を用いて書けばイメージが変わります。 この手の世界観なら一人称の方が表現しやすいでしょうし、これが三人称の文章と言われると首を傾げてしまいます。 |
No.1 投稿者:牧陽介 評価:5点 投稿日:2007-12-18 19:48 ID:WJB.ISfHBvs |
細かいチェックをしていくとキリがなくなりそうなので止めました…基本的には前と比べて「良くなっていなくもない」というところですね。直した分だけマシかな?と思いつつ、今までと変わってもなく…正直なところ、判断に悩みます。 小説大賞への応募の件がありますので、その観点から言うと…これは紙面で見るタイプの小説ではありませんね。画面上で読むのなら、この手のジャンルが好きな人は読むかな?というところです。 これについては単純に構成の話になりますし、そうなると最後まで見ないと言えない部分もあるんですが…展開が早過ぎます。まずはキャラクターと世界観をしっかり書いて、背景や設定については匂わせる程度にしておくのが得策でしょう。これが第一章の0.1にすぎないのなら、この小説ならではの設定が出てくるのは0.8以降…そのくらいになると思います。(HPの小説でも基本構成は変わらないので、やはり早急であるような気がしますが) あと、独り言多すぎです。昔は良かったんですが、今は流行らない傾向にあるみたいですよ。 以下、本文抜粋して説明させていただきます。 >本文抜粋 >静かな朝、殺伐とした部屋に(省略) ・「殺伐」は通常、部屋の描写には使わない言葉です。通常ではない部屋ということは分かりますけど「じゃあ、どういう部屋よ?」という読者の疑問には答えていません。 >本文抜粋 >布団の中を少しゴソゴソと動き(中略)引き釣りこんだ。 ・「引き釣る」ではなく「引き摺る」です。「づ」ではなく「ず」の音。地面「こする」と考えた方が分かりやすいですかね。この手の間違いは、時に致命傷にもなりえます。特に気をつけましょう。 >本文抜粋 >嫌な音が部屋に木霊し、目覚まし時計の音が止まる。 ・以前から気にはなっていたんですが、表現が大袈裟というか大きいんですよね。たかが目覚まし時計ですし、部屋の規模からしても「木霊」ができるほど大きな音ではないでしょう。場の雰囲気と表現が一致していないわけです。この辺りの推考を改めた方が雰囲気が出ると思いますよ。 >本文抜粋 >そう叫ぶと、真志の行動はスピーディーだった。 ・この「スピーディー」は止めた方がいいですね。いわゆる「ルー語」ですし、基本的に小説の文章としてはふさわしくありません。他にこの手の表現はありませんし、そうなるとこの部分が浮いて見えてきます。 いずれも本文抜粋させていただいた部分だけ、というではなく全体的に見られる傾向です。特に「ふさわしくない表現(殺伐)」「大袈裟な表現(木霊)」は多いです。これについて具体的に指摘させていただいたのは今回が初めてだったような気もしますが、今までの文章もそうでした。「雰囲気が合っていない」とは何度か指摘したような気がしますが、そういうことです。 書きたいことは読み取れるようになったので、進歩しているとは思いますけど…持っている小説でかまわないので「第一章で何が書かれているか?」箇条書きでも結構ですので、書き出して生きましょう。 言葉遣いもそうですが、構成について勉強が今後の課題になるでしょう。 |
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