色濃い透明の物語
作者: 柳   2007年12月09日(日) 16時58分56秒公開   ID:WQ.PhBOuFq2
 物語とは、はじめからそこに存在するものだ。それは決して誰かが創るものではない。まず物語というものがあり、それが語られているに過ぎないのだ。小説家がストーリーを紡ぐという行為は、その過程がすでに一つの物語として成立しているのではないか。
 私はこれからある物語の執筆に取り掛かろうとしている。
 物語が小説として文章化される理由はいくつもあるだろう。小説家の主張のためだとか。単純に執筆という作業が好きだとか。
 しかしどうだろう。私は物語というのは語られるべくして語られるのではないかと思う。元から存在する物語から必要な部分をすくい上げ、不要な部分を切り落としていく。
 そもそも物語というのは、それそのものでは何の力も持たない。そこで作者という、物語を垣間見た者がそれを小説、または映画といったように捉えやすいものに仕立てあげる。続いて登場するのは、それを楽しむ者だ。読者や観客と呼ばれる人々が、物語から削りだされた作品を堪能することによって、初めて意味を持つことになる。
 例えばここに本が一冊あるとしよう。この世にただ一冊しか存在しない。作者は不在で、タイトルは無い。装丁はされているが飾りもなく、表面上はただ白い表紙が見えるだけだ。この本の存在は誰にも知られていない。当然、内容を知る者もない。この本に、いったいどんな意味があると言えようか。
 しかし、この無愛想な本がここに存在するということは、誰かの手によって創造されたということも証明している。『誰にも知られていない本』には、明らかな矛盾があるのである。
 ところで、物語が意味を持つ、というのは必須事項なのであろうか。物語が意味を持つ必要がないのであれば、物語には作者も読者も観客も必要ない。物語は物語のためだけに存在する。そう仮定すると、先ほど例にとった本の存在は許されることになり、その存在こそが物語であると言える。逆に、作者が存在するならばそれは物語ではないということになる。
 物語について語るのはこのくらいでいいだろう。
 さて、小説家が小説を書く過程にはいくつかの種類がある。実体験を通して書きたいという熱意にかられて白紙の状態から構築していく場合や、不意に浮かんだイメージがまずあってそこから話を膨らませていく場合などだ。
 私の書こうとしている物語の場合は、最初にタイトルがあった。『色濃い透明の物語』というのがそれだ。ふと思いついたこのタイトルの小説をいつか書いてみたいと思っていた。
 私はついさっきまで書き出しかねていた。ずっと使いたいと思っていながら、ポケットにしまったままにしていたタイトルで小説を書くというのは気恥ずかしいものだからだ。
 それに、執筆という行為への後ろめたさがある。小説の中の世界を構築し、登場人物の設定を決め、矛盾のないように動かしていくわけだが、その過程において作者というのは絶対的な力を持つ。もちろん、言語の上での縛りはあるにせよ、ストーリーのために創った設定さえ場合によっては破ってしまっても構わない。
 自分が創造した世界や人間であるとはいえ、それを自由に操作出来るというのは恐ろしい力である。
 だが、それらの理由はほんの上澄みにしか過ぎない。私はすでに、物語に対する私の見解を述べた。くり返すが私は物語は物語のために存在するのだと思っている。それにも関わらず私が書こうとしている小説のタイトルは『色濃い透明の物語』なのである。
 この小説に私という人間が関わっている限り、それは物語にはなりえない。私が語る話を、どうにかして私から切り離さなければならないのだが、これは誰も知らない本を創りだすことに等しい行為だ。
 粗筋を示せば、ある人物が物語(当然、私が考える意味での)を探求するというものである。もちろん主人公は私と同じ壁にぶち当たるわけである。人に限らず、それ自身意外のいかなるものからも影響されない物語への羨望、そして追及。それがテーマだ。
 どうしても書き出せそうにない私は、とりあえず今あるだけのイメージを文章にすることからはじめた。物語の探求をテーマにするからには、まずは物語とはどのようなものであるか、というところからはじめなければならない。
 つまり、私が思い描く物語を説明するわけだが、これが中々難しい。簡単かつ正確に伝えるためにはどうしたらよいだろうか。

 私はあるものを求めてここへやって来た。物言わぬ静かな本の群れが私を冷ややかに見下ろしているこの場所に。ここには『物語』があるのだと聞いた。私が言う物語とは、作者にも読者にも影響されていないものである。
 どこかに発信源(全く人為的なものではない)があり、そこから吹き出したばかりの、原石とでも言うべき一切加工の施されていない物語。

 少し分かりにくいかもしれない。もっと上手い表現はないものか。胸の中にすっと入り込み、一点のしみを残せるような上手い比喩は。これが出てこなければ先へは進めない。
 人前でこういう愚痴をこぼすと、そのうち良いアイデアが浮かぶって、などと無責任なことを言われる。しかしアイデアというのはそう持続するものではない。
 掌編を書くときでさえ、ぱっと浮かんだひらめきで勝負できるのはせいぜい最初の二、三作で、それ以降は本当に孤独で辛い戦いの末にアイデアを捻り出すことの繰り返しなのだ。
 しかし、考えていないからこそ思いつくということも実際にある。それに、細かいパーツを組み立てておくことで、何かが見えてくるかもしれない。
 理想とする物語を説明する文章を書けたとして進めよう。
 私は『色濃い透明の物語』というタイトルが気に入っている。だからこそ今日まで使わずに大事に持っていたわけだ。少しこれについて触れてみるのも良いかもしれない。

 とにかく、私はそういった物語を探しているわけだ。いや、探し出さなければならない。この薄暗い、本の海の中から。
 タイトルは『色濃い透明の物語』というらしい。色濃い透明、というのは矛盾しているように思えるが、どういう意味があるのだろう。やけに意味深な表現だ。
 もしかしたら、さしたる意味を持つわけではないのかもしれない。物語には理由など必要ないのだから。

 このタイトルは、それこそ思いつきなので、それほど意味はない。それと意識したわけではないのだが、色濃い透明、という矛盾が、すべてから切り離された物語という矛盾の暗示ということになるのかもしれない。
 小説を評価しようとする場合、タイトルというものは思った以上に大きな割合を占める。書店に行ったときに、置かれているすべての小説の粗筋に目を通すほどの時間を持っている人はほとんどいないだろうし、あったとしても実際にそれを試みる人はいないだろう。
 自分に向いている本のタイトルというのは、膨大な数の本に囲まれていても目に付くから不思議だ。しかも、そうして見つけた一冊はたいていかなり楽しめる。
 しかし、タイトルの重要性というのはもう一点あるのではないか。それは読了後の感じだ。私には面白い小説を読むと、無意識に表紙を見てタイトルを眺める癖がある。読後の印象とタイトルの印象とが上手く溶け合っていくと、何とも言えぬ余韻に包まれる。逆にタイトルと中身の印象が異なっていると、おしい、と思うのだ。
 普段なら書き上げたあとでそれに近い雰囲気のタイトルをつけることも出来るが、今回はどうしても『色濃い透明の物語』でいきたい。タイトルから受け取った空気を崩さないように運べば良いだけの話なのだけれど、これが中々難しい。

 見つからない。物語が。『色濃い透明の物語』が。確かにここにあるという話だったのに。どうして見つからないのだろう? こんなに探し回っているというのに!
 どこに、いったいどこに。タイトルだけが判明している幻の一冊。美しい秘密と謎に包まれた完全な物語。
 私は諦めない。私に甘美で泣き出したくなるような恍惚感を与えてくれるはずの物語を、絶対に見つけ出してみせる。

 こんな感じで進められれば良いだろう。主人公は『色濃い透明の物語』を見つけ出せず焦り始める。様々な色の、暗く嘲笑するような背表紙の群れに見下ろされながら。
 もう少し厳しく、喘ぎたくなるような苦しさまで追い詰めていかなければ。今はまだこんな短い描写しかないけれど、書き進める上で必ず必要になる場面だ。
 ここで、主人公はすでに思い違いをしている。物語とは決して面白いものではない。言うなればそれは無駄の塊でもあるのだ。小説や映画は必要ないものを削ぎ落とし、限界まで洗練されている。一切手が加えられていない物語は酷く退屈で、恍惚感などとは程遠い。やがて、主人公はそれに気付き始める。

 まさか。私の物語探しはそんなつまらない終焉を迎えるのか。けれど、物語がそんなくだらない代物だったとしても、探し続けるだろう。私は信じない。実際にそれを手に取って自分の目で確認するまでは。
 焦りと後悔と逡巡とを振り払うように一冊の本に手を伸ばす。その白い表紙には無駄な装丁が一切なく、作者名はおろかタイトルさえ書かれていない。私の求める物語ではない。それには『色濃い透明の物語』というタイトルがあるのだから。
 しかし私は何となくそれが気になって手放せずにいた。これは誰かに読まれるということを全く想定していないではないか。そう思った次の瞬間にはこれを読みたいという強い衝動に駆られた。私にはこんなことをしている暇はない。さっさと物語を探さなければ。
 そんな考えとは裏腹に、私の手はゆっくりとその表紙を捲った。脳意外のすべての部分はそれを読むつもりになっている。
 が、すぐに怒りがこみ上げてきた。何だこれは! 白、白、白。たった一つの文字すら書かれていない。怒りは瞬く間に頂点に達し、強烈な脱力感に襲われた。

 主人公はその本を投げ捨てると、一瞬にして老人のような表情になるが、目だけはぎらぎらと怪しく輝いている。その後も物語を探し続けるが見つからない。時間がたつにつれて顔はやつれていき、別人のようになっていく。
 そう、このくらいまで追い詰めなければ。一つの物語を求めて半狂乱になる主人公。それほどまでに異様な魅力を放つ物語。そして最後に僅かに残った思考力でこんなことを考える。

 駄目だ。もう疲れた。物語など存在しない。理性的に考えれば最初から分かっていたことだ。誰の手にも触れていない物語。どうしてそんなものが存在できるだろう。
 他にも私と同じことをくり返す人間がいるかもしれない。彼(彼女かもしれない)はきっとここにたどり着くだろう。そしてまた、私と同じように絶望するのだ。それはあまりにも残酷だ。
 なら、私がヒントを残していってあげよう。これから先、このような徒労がくり返されることの無いように。
 私はいつか私を激怒させた白い本を手に取る。丁度良い。これにヒントを残そう。
 直接に注意を促しても面白くない。
 こんな状況でそんなことを考えた自分に思わず苦笑する。物語を求めにやってくる者たちへのメッセージだ。ストーリー風に仕上げよう。書き出しはこうだ。
 物語とは、はじめからそこに存在するものだ。それは決して誰かが創るものではない。まず物語というものがあり、それが語られているに過ぎないのだ。小説家がストーリーを紡ぐという行為は、その過程がすでに一つの物語として成立しているのではないか。
 私はこれからある物語の執筆に取り掛かろうとしている。
■作者からのメッセージ
今までとは全く違う方向性の作品になりました。
こういう結末は結構使い古されてますね。
一度使ってみたかったので今回やってみました。
不思議な気分を味わっていただければ幸いです。
『私』が男か女か分からない文章を目指したのですが、その辺りの印象も教えてくださると助かります。

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