スキよりも、キスよりももっと 5 | |
作者:
トーラ
URL: http://sky.geocities.jp/dabunaikoukai/
2007年11月27日(火) 16時05分01秒公開
ID:KvBgjdlPPKE
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5―1 懐かしい空気が肌に触れる。公園を照らす明かりは街灯のものしかない。錆付いた遊具を晒すように明かりに照らされている。時間に置いていかれた匂いはいつ来ても変わらない。時間に置いていかれた古ぼけたベンチは、今でも人を支えることが出来る。私や、エリを何度も支えていた。 ベンチは薄明るく光っていて、光の中には黒いドレスを着た少女が見えた。 私が公園に訪れるのを知っていたかのように、彼女はベンチに座っていた。 「こんばんは」 月光のように柔らかな声でエリが言った。私は「こんばんは」と返し、エリの傍に歩みよる。何度も繰り返してきた儀式のようなものだ。エリの声を確認してから、近づく。ベンチに座ったエリは私を見上げ、私はエリを見下ろす。今回も違和感なく出来た。 エリに対して怒りや、恐怖、疑いの気持ちは殆どなかった。バイトの愚痴をエリに聞かせるために公園に足を運ぶ時みたいに気兼ねも何もなく、私はエリに会いに来た。 「恵梨とは仲良くできてる?」 「うん」 「そう、よかった」 不敵な、自信溢れる笑みを見せてエリが言った。 会話が止まる。エリの顔には笑みが張り付いたままだ。 「エリは、どうして私と話したいと思ったの?」 私の日々に波を立てたのはエリだった。その波を大きくしたのもエリだった。エリと出会ってから、私は変わり始めた。恵梨に気持ちをぶちまけてから、私はスイッチが切り替わるように何処かが変わっていた。世界に一色だけ色が足されたように。 落ち着いて見たエリの笑顔も、初めと比べてかなり違って見えた。今までのエリの優しく幼い笑顔が不自然に思える程、今の不敵で妖しく、何かを秘めたような笑顔が自然に見えた。 エリも私と同じく変わっていた。でもやはり、違和感がない。 「じゃあ、恭子は何で私にいつも会いに来てくれたの?」 からかうようにエリが訊く。質問をあしらわれたのは分かった。 エリに返された質問の答えが思いつかなかった。 「分からない。会いたいって思ったから、会いにきてた」 「じゃあ私もそう。話したいって思ったから話したの」 「ちゃんと答えて」 エリは楽しそうに笑うけど、私は笑顔になれなかった。 「ただの気紛れよ。偶然女の子のことを好きになっちゃった子を見つけたの。悩んでるところがすごく可愛かったから声をかけてみただけ」 「それが、私?」 「そう。暇つぶしにね、ちょっかいを出してみたんだけど」 エリの声が弾んできた。最初から話す気だったのだろうか。エリは、私との会話を楽しんでいる。 「まさか、また会いに来るとは思ってなかった。だから、面白くなってずっと相手をしてたの。恭子が会いに来てくれている間は退屈しなかったわ」 「エリにとって、私は何?」 友達だとか、大切な人だとかと答えてほしくて訊いたのではない。単純に、純粋に、エリの気持ちを聞きたかった。だから、人間離れしたエリの行動を見た後でも、エリに自分を狂わされたとしても、ちゃんとエリに会って話がしたかった。どんな答えが返ってきても、悲しくもないし、傷つくこともない。数学の問題の答えが間違っていた時くらいの感動しかないし、感動はほしくて会いにきたのでもない。 「そうねぇ。何て言えばいいのかしら。難しい質問ね。じゃあ貴方にとって私は何?」 また、質問をそのまま返された。私もまた、律儀にエリの質問に頭を悩ませた。 「……私は、エリの事を怖いって思ったりもしたけど、エリがいてくれてよかったって思ったこともいっぱいあったし、エリと話するのも楽しかったし、エリのお陰で恵梨に自分の気持ち伝えれたんだと思うし……。だから、私にとってエリは大切な人だよ」 「ありがとう。私は恭子のことを大切だなんて思っていないけれど。玩具、かしら。私にとっては。壊れても残念なくらいにしか思わないし。壊してしまうのも面白そうとも思うし。でも、お気に入りといえばお気に入りなのかも知れないわ」 大切と言った私の想いにピンとこない調子でエリが答えてくれた。いつもの気遣いに溢れた言葉選びを感じることは出来なくて、濁った水の中から見せたい物を手探りで探したみたいな、素直な言葉に聞こえた。 「気を悪くしないでね。仕方のないことなの。私と恭子は違うもの。根本的に、絶対的に、同じように見えるだけで、私たちはまるで違うの。だから、私は貴方みたいな考え方は出来ない」 開き直ったように、諦めきったように、悟ったようにエリが言った。エリの言うとおりだな、と思った。エリが伝えようとしていることは、私が理解したことの倍はあるのだろう。だけど、エリの気持ちが聞けただけで私は十分だし、気を悪くすることだってなかった。 「ついでに言えば、エリって名前も適当につけただけなの。貴方が恵梨って子の事が好きだと分かったから、エリって名乗っただけ」 不意に見た目通りな笑顔を見せた。エリは、どんな表情も操るのだろう。どれが本当の顔なのかなんて、考えるのが馬鹿らしい程に、エリの表情は多彩だ。 「なら、貴方は何者?」 「答える必要はないわ。恭子は私を忘れる。知っても意味がないもの。こうして話すのだって、これが最後。最後のお話で、私のことを知ってほしいだなんて思わない」 「分かった」 私とエリの間に残された時間がなくなってきた。 「最後に教えて」 「何かしら?」 「エリは、こうなることを知ってたの? 歩が私に告白することも、キス……することも、恵梨が迎えに来ることも、全部知ってたの?」 「さぁ。でも、楽しいラブストーリーを見させてもらったわ。ありがとう。質問はこれで最後よね。それじゃあさようなら」 落ち葉が舞うようにエリが立ち上がる。背伸びをして私の唇に唇を重ねた。間近で見たエリは、透けて見える程に白かった。 唇を離し、そのまま黒い人影と踊るように黒に紛れた。消えるエリを目で追おうとは思わなかった。お別れはキスで済んでいるのだから。 「バイバイ。エリ」 これは、私に対しても言葉だ。 5―2 春休みになった。恵梨と抱き合った日から三ヶ月以上が経った。私も、恵梨も、歩も、時の流れには逆らえず、少しずつ変わっていった。環境だったり、考え方だったり、関係だったり、色々。 変わったことと言えば、私と恵梨の関係は大きく変わった。誰もいないところで手を繋いで歩いたり、キスしたりと、恋人同士のようなことも出来るようになった。性欲を発散するためにお互いに求め合うこともあるにはあるけど、頻度は低い。稀に、発作のようにそんな気分になった時だけ、私たちはお互いの身体を絡ませた。その瞬間が、溶けてなくなってしまうくらいに幸せだった。だけど、毎日したいとは思わなかった。 歩は、昔付き合っていた先輩が地元に里帰りしていて、その人とよりを戻すことになったらしい。その先輩は女性で、歩を同性愛に目覚めさせた人物だという。 歩に恋人ができたからと言って、私たちの仲が悪くなることもなく、もっと深くお互いを知り合い、絆は深くなっていった。 私には、バイト先に後輩ができた。一つ下の男の子で、名前は外川孝輔という。同じ高校に通っていて、そちらでも後輩にあたる。背は私と同じくらいで低めなのだけど、男の子ということもあって力は私よりも強い。力仕事を任せるととても心強かった。仕事も真面目にこなし、私と違って社交的で、年下には見えないくらいだった。 部活はやっていないらしく、平日のバイトも私と同じように入ることができ、シフトが重なる日も多い。一緒に仕事をこなしていく中で、孝輔君と仲良くなれた。彼は私を先輩と慕ってくれる。先輩と呼ばれることに慣れなくて最初はむず痒く感じたけれど、今はあだ名だと思って受け入れた。 バイト帰りは、孝輔君に家の近くまで送ってもらうのが日課になっていた。何時から送ってくれるようになったのかは覚えていない。 二人並んで自転車を押す。せっかく二人で帰るのだからと、ゆっくりと会話を楽しむ。 夜にこうして話をしていると、不意にエリのことが思い出されることがあった。だけど、思い出すことも少なくなってきている。エリの言葉通り、私はエリを忘れようとしていた。一緒に歩いていた人が立ち止まり、私だけが先に進んだように、エリは小さく見えた。もうすぐ、振り返ってもエリを見えなくなって、振り向きもしなくなるのだろうか。 寂しいな、と思う。 「どうしたんすか先輩」 「何でもないよ」 声変わりの終わった男の声が聞こえた。見た目以上に孝輔君は男らしい声をしている。 細く剃られた眉毛が凛々しい。髪に整髪料はついていないけれど、きちんと手入れされた綺麗な黒髪がふっくらと伸びていた。 少し童顔気味な顔が、遠慮がちに私を見ていた。 「先輩っていきなり黙り込む時ありますよね」 「だねぇ。いつもぼーっとしてるから」 気を抜いて笑った。年下の人とは意外と話しやすかった。孝輔君が知っている私の表情は、恵梨が知らない物も多い。 「気をつけてくださいよ。夜道とはマジ不安なんだから」 「毎回送ってくれてありがとね。でも心配し過ぎだと思うんだけどな」 「んなことないですって。何があるか分からないです。不審者とか出たらどうするんすか。夜に女の子を独りで家に帰すとか、そんなダサいことできないっすよ」 真面目に答えてくれた孝輔君には悪いけれど、何だか笑ってしまった。 「紳士だね。格好いい。でもさ、不審者とかそれこそ心配し過ぎだよ。私なんか狙わないって」 「いるかも知れないっすよ」 「いないよ。多分」 失礼だとは分かっていても、まだおかしくて笑いが止まらない。くすくすと新聞紙を丸めた時の音みたいに笑った。 「いますって。……例えば俺とか」 小さな声でぼそりと付け足した言葉を、私は聞き漏らせなかった。孝輔君の言葉の意味を考え始め、足が止まった。 「え……」 それは一体どういう意味なのだろう。 ――私は、孝輔君に狙われてるの? あまり良い冗談には思えない。 「……本気?」 まさかとは思うけれど聞いてみる。孝輔君らしくない冗談だ。 「そ、そんな顔しないでくださいって! 例えじゃないっすか!」 「あんまり良い冗談じゃないと思う」 「えー、と、その冗談って訳でもなくて……」 「本気、なの?」 歯切れ悪く否定し、肯定する。私は混乱した。孝輔君は何を言っているのだろう。 「あーもう!」 じれったそうに孝輔君が呻いた。いきなりの大きな声に驚いて、熱いやかんを触ったみたいに身体が跳ねた。 「そのくらい恭子先輩の事が好きってことじゃないっすか!」 声のボリュームを維持したまま孝輔君が言った。孝輔君の勢いに、私は驚くばかりだ。孝輔君の声が聞こえなくなって、ようやく彼の言葉の意味を理解し始めた。 「嘘……」 理解し始めたところで、すぐに私の思考がフリーズする。 「好きって、私のことを?」 孝輔君の顔が赤く見える。顔を手で押さえて悶えていた。 「それってもしかして……付き合ってほしいとか、そういうこと?」 「そ、そゆことなんですけど。いきなりすみません! 今日はこの変で失礼しますね! さよなら!」 「ちょっと待って!」 全力で自転車のペダルを漕ごうとしていた孝輔君を呼び止めた。 「そ、その……こういうの初めてだからどうしたらいいか分かんないけど……返事とかっているよね」 孝輔君の顔を見られなくて、鳩みたいに首を動かして動揺を隠した。指も落ち着きなく動いていた。 「返事、さ。今じゃなくていい? ちゃんと考えたいの」 「全然オッケイっすから! それじゃあ本当にこれで!」 止まっていた時間が動き出したみたいに孝輔君の足がペダルを踏み込む。チェーンが回る音が少しずつ小さくなっていった。音が聞こえなくなる頃には、孝輔の姿は何も見えなくなった。 さっきまでもかなり緊張していて息が苦しかったのに、地震のように遅れて大きな波が来た。 胸が痛い。ドキドキと胸を強く叩きつけている。この気持ちは、動悸が激しくなったとかそんなものじゃなくて、ドキドキ以外の何者でもない。 大変なことになったな、と夜空を見上げてみた。月は見えなかった。 ベッドの上で毛布に包まり、恵梨に抱かれる。これが私と恵梨のデートだ。所謂昼寝のようなものだ。 寄り添いあうのはいつも恵梨の部屋のベッドの中だった。初めのうちは誰かが入ってくるかも知れないと怖がりながら抱き合ったものだけど、今は恵梨の両親も気にせずにベッドの中でお互いを抱きしめ合っている。 恵梨の柔らかな胸に抱き寄せられるのが好きだ。この時だけは、人目も関係なく恵梨に甘えられる。このまま心地よさに包まれて、虚ろな眠気と一緒にずっと恵梨を感じていたい。 ⇒To Be Continued... |
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