スキよりも、キスよりももっと 4
作者: トーラ   URL: http://sky.geocities.jp/dabunaikoukai/   2007年11月27日(火) 15時57分56秒公開   ID:KvBgjdlPPKE
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 4―1

 目覚めは最悪だった。昨日の夜のことはよく覚えていない。今、自分の部屋で天井を眺めているから、家には帰れたのは分かった。
 どうやって帰ったかは分からない。私の本能が足を動かしたのかも知れない。
 上半身を起こし目を擦る。制服のまま眠っていた。ブラウスとスカートが別の種類の服かと思えるくらいに皴だらけになっていた。
 無意識に唇に手を当てる。昨日の唇の感触を思い出した。優しい歩の感触と、すべてを踏み躙るようなエリの感触が合わさって、気持ちが悪い。
 思い出されたものは感触だけでなかった。私の中に蝋燭の火のような小さな炎が灯っている。炎の大きさは違うが、間違いなくエリに与えられた感覚だった。
 私に灯された火が身体を熱らせる。心が僅かに昂ぶっているのを感じる。
「……どうしたんだろう」
 身体の変化に違和感を覚える。エリが何か関係しているのか。単純に調子が悪いだけだ、と思うには心当たりがありすぎた。
 布団の近くに脱ぎ捨てられたコートが見える。ポケットを調べると、携帯が見つかった。
 時間を携帯で確認すると午前六時前だった。起きるには早すぎる時間だ。目覚ましは七時に設定してある。
 机の上に投げ出してある体温計を見つけ出し、熱を測ってみると三七度と微熱があった。
 身体のだるさというか熱りは、微熱が原因だといいのだけど。
 ――大丈夫……だよね……?
 腫瘍のような小さな不安が生まれるが、自分に言い聞かせて誤魔化した。
 気分を変えようと別のことを考える。昨日は風呂に入っていない筈だ。このまま二度寝する気にもなれないので、シャワーを浴びることにした。



 気だるさに満ちた身体は上手く動かない。恵梨と並んで歩くくらいのことは出来たが、楽ではなかった。
 恵梨と会ってから、症状が悪化したような、蝋燭の火が強まったような気がする。感覚が強まってくるにつれて、身に覚えのある後ろめたい感情が思い出された。恵梨を思い浮かべて、自分を慰める時のそれと似ている。
「調子悪いの? 大丈夫? 昨日ので風邪引いたんじゃない?」
 恵梨が私の顔を覗き込んで、大袈裟に心配した。声よりも、声を発する時に動く柔らかな唇が気になって仕方がなかった。
 ――恵梨としたら、どんな気分なのかな……。
「ねぇ。本当に大丈夫?」
 もう一度恵梨の声が聞こえて意識を呼び戻す。くだらない考えを頭の中から掃きだした。
「う、うん。大丈夫。ごめんね。ぼーっとしてた」
 下手糞な笑みを恵梨に見せて会話を再開する。掃ききれなかった思考はパンが膨らむように大きくなっていき、欲情にも似た感情に変わっていく。
「無理しないでね」
「うん。分かってる。ありがと」
「……うん」釈然としない口調で恵梨が言った。
「大丈夫だから心配しないで」
 もう一度笑ってみせた。さっきよりは上手く笑えただろうか。大丈夫ではないと思いながら逆の事を口にするのは、想像以上に難しい。
 恵梨の態度が普段と同じにはならなかったが、少し和らいだようにも見えた。騙せたのではなく、騙されてくれたに違いない。これ以上恵梨の顔色を窺わないことにした。
 歩く学生の数が増えてくる。そろそろ校門が見える頃だ。自動車三台が並んでも楽に入れるような広い正門には、硬い文字で学校の名前が刻まれている。
「おっはよーう」
 学生の疎らな波を強引に進み、こちらに近づいてくる女の子がいた。歩だった。
 恵梨は歩に負けないくらいに気さくに挨拶を返した。私は、歩とどう接したらいいのかが分からなくて、凄く中途半端な挨拶しか返せなかった。
 歩のさばさばとした態度は、昨日の出来事を感じさせない。私も、歩のように振舞えればいいな、と思った。正直羨ましかった。
「今日は早いねー」
「気紛れで早く起きたりしちゃうのさ」
 歩はが家が学校の近所なので、余裕を持って家を出る習慣はないらしい。時間ぎりぎりで家を出るのが殆どなので、たまに朝のホームルームに遅刻したりもする。
 私たちはホームルームの始まる五分前には学校に着くようにしているので、歩と登校時に出会うのは、かなり珍しいことと言える。
 昨日のことが原因で早く目が覚めたのだろうか、と邪推している自分がいた。
 くだらないことを考えるな。そう心に言い聞かせる。
「毎日早く起きれればいいのに」
「無茶なこと言わないでよー」
「でも、私たちはそれが普通だもんね」
 答えたのは恵梨だった。
 できるだけ自然に振舞わないといけないと感じ、無理やりに歩に話しかけたのだけど、意外と普段のような調子になっていた。
 差障りのない会話を続けながら門を通り過ぎる。
 二人に、自転車を停めてくると告げ校舎に向かう二人と別れた。
 駐輪場に向かう学生は、真っ直ぐ校舎に向かう学生よりは少ない。校舎に近づいていく賑やかさをほんの少しだけ遠くに感じながら、自転車を停める場所を探す。停めようと思えば幾らでも場所はあるのだけど、一番校舎に近い場所は人気が高く停め難い。
 私が選んだ場所は、最も校舎から遠い駐輪場で、自転車を覆う屋根もくたびれて錆だらけになっているようなところだ。予想どおり、自転車は殆ど止まっていない。停めやすさでこの場所を選んだのではない。人の少なさを優先した結果だった。
 恵梨と歩の存在が遠ざかった今、汗が引くように冷静さが戻っていく。気分が楽になるのは喜ばしいのだけど、結果、恵梨や、歩に対して興奮していた可能性が生まれて、複雑な気分だった。
 自転車の鍵を引き抜いて、人目を気にせず特大のため息を吐き出す。
 一日は、始まったばかりだ。



 教室に着いた時にはホームルームは始まろうとしていて、恵梨たちと話す間もなく席についた。今は普段どおりに笑いあう余裕がないので、都合がよかった。
 おざなりな担任の話をおざなりな態度で聞きながら、冷静を保とうと努めた。正直、担任の声を意識する余裕なんてない。
 ホームルームが終わると、担任と入れ違いに別の教師が教室に入る。一限は確か数学だった。教科書とノートを机に広げ授業に備える。授業に集中することで自分の感情を忘れたかった。
 いつものように眠れれば楽なのだろうけど、身体に灯る火が寝かせてはくれなかった。
 寝つけない夜を思い出させた。顔が疲れるまで目を瞑って眠気を待つ感覚。一生かかっても眠れないのではないか、という不安。
 ずっとこのままかも知れない、という不安が、私の意識を覚醒させたまま維持させていた。
 授業が始まり、全員が号令に合わせて立ち上がる。
 足に力が上手く入らなかった。両手の力を借りて、何とか皆と遅れながらも立ち上がれた。
 礼をして椅子に座る。意識ははっきりしているのに身体が命令を聞かない。身体の異変を知らせる合図はこれで何度目だろうか。ただの微熱ではない。不安は少しずつ確信に変わっていく。
 黒板に白い線が刻まれていく。教師の指を追い、その近くに書かれた文字をノートに写していく。書かれた文字の意味や、文章の意味、式の意味も考えず、ただ無心に写すだけの作業に没頭した。それでも、悩ましい身体の熱りを忘れることは出来ず、延々と私を焦がし続ける。
 視界に恵梨が入り込んだ。恵梨の姿を見たと同時に、押さえつけていた感情が一瞬だけ暴れたのを感じた。
 文字を書き写す手が止まり、恵梨の後姿に見とれる。この時、私の意識は曖昧ながらも、鮮明に恵梨を捉えていた。
 意識が戻るまで、数秒はかかったかも知れない。気がつけば、黒板の黒い部分が半分以下まで減っていた。手が止まる前は三分の一も使っていなかったのに。
 両手で目を押さえて頭を再起動させた。眼球を頭の中に押し込むように刺激を与える。
 シャーペンを持ち直し、再度書き写す作業に没頭した。



 昼休みまで長かった。症状は悪化する一方で、平静なふりをするのも難しくなってきた。このままだと恵梨と歩に怪しく思われる。出来れば避けたい。
「調子どう?」
「多分大丈夫」
 余裕のない笑みを作って見せた。私、恵梨、歩の三人で机を囲み弁当を広げている。
「そういえば調子悪そうだったねー。大丈夫?」
「多分」
 最初に言ったのは恵梨で、後のは歩だ。歩にも笑って見せた。
 食欲もあまりないのだけど、二人に心配をかけたくないので弁当を口に運んだ。
 ――そういえば、朝ご飯食べてなかったな。
 どうでもいいことを考えながら、殆ど味のしない冷凍食品を噛み砕く。美味しくない。
「昼から大丈夫?」
「無理はしないよ」
 言ったのは恵梨。幼稚園児を心配する若い母親のように見えた。恵梨にとって私は、手のかかる子供にしか映っていないのだろうか。
「まぁまぁ、恭子だっていい年なんだし。心配し過ぎるのもどうかと思うよー」
 エビフライを咥えた歩が器用に言った。
 動く唇が、昨日のことを連想させた。怖いくらいに艶かしく、目が離せなかった。
「ん? どしたの? エビフライ欲しいのかな」
 半分に噛み切ったエビフライを箸で摘み、私の目の前に運んだ。私は欲しいと口にしたことはないのだけど、歩は私に食べさせる気でいるらしい。
「はい、あーんして」
 促されるままに口を開き、歩がエビフライを口の中に運ぶのを待った。尾の部分だけが口の外に出る位置まで移動させて、箸が止まった。私は海老を噛み切った。
「……ありがとう」
 租借して、はっきりと言葉を発せられるようになってから言った。
「どういたしましてー」楽しそうに歩が言う。
「何だか仲がよろしいようで」
 ずっと黙っていた恵梨が口を開く。恵梨の声が不機嫌そうに聞こえて、どきりとした。
「そ、そうかな?」
「普段とおんなしじゃーん」
 歩が悪びれずに笑う。恵梨も笑っているが、歩の物とはまったく質が違った。
「妬いてる?」
「うるさーい!」
 声を大にして恵梨が反論する。突然の行動に私の身体は反射的に身構えていた。
 怯えたのは最初だけで、恵梨をよく見てみると、拗ねたような表情がとても可愛らしく見えて、強く私を刺激した。
「私のも食べて」
「う、うん……」
 おかずを差し出すにはかなり力強かった。恵梨の箸が掴む卵焼きには異様な圧力がある。
 目の前に浮く卵焼きに齧り付き、口の中で噛み砕く。
「結局それか。ていうか演技派だねぇ」
「恭子ったら怖がっちゃってねー。楽しかった」
「心臓に悪い」
 出来る限りの笑顔を貼り付けた。自然と浮かんできた。浮かべた笑顔は自分でがっかりするくらいに些細な表情の変化で、きっと笑みとも言えない。笑みとも言えない笑みを浮かべるのが精一杯だった。
 こんなにも楽しいのに、頭の奥では別のことを考えていた。自分が自分以外の何かに侵され、心の余裕はなくなっていく。
 いつ、私の異変に気がつくのだろう。いつまで、騙し続けられるのだろう。
 楽しい事を楽しいと感じられない今が、堪らなく苦痛だった。

 4―2

 午後からの授業は午前以上に辛かった。午後からの授業も、何とか耐えて、やっと放課後になった。真っ直ぐ家に帰ろう。一人になれば、少しは気分が楽になるはずだ。
 問題は恵梨と歩を誤魔化せるかだ。表情をコントロールできるような特技がないだけに自信もない。
 普段と変わらない放課後なのに、鼓動が激しく息も荒い。人目見て異常だと感じる態度だった。
 恵梨が私に近づいてくる。暴れる自分の内心を縛りつけ、恵梨に備えた。
「少しは良くなった?」
「うん。でも、今日は真っ直ぐ帰って寝ることにする。試験も近いし」
 引き攣りそうな笑顔で恵梨に答える。笑顔の内側にある必死な私を見破られた時を考え、怯えた。
「それがいいよ。送ろうか?」
「いい。大丈夫。今日も塾あるんでしょ。昨日サボったんだから、今日はちゃんと行かないと」
「でも……、心配だし」
「家に帰るくらいだったら大丈夫」
「本当?」
 相当疑り深く聞き返してくる。ありがたいのだけど、今日だけは大きなお世話だった。これ以上恵梨と一緒にいるときっと私はおかしくなる。
「どしたの? 帰らないの?」
 事情を知らない歩が軽く声をかけてきた。
「今帰るとこ。恭子の調子悪そうだから送ろうかって話をしてたの」
「別に一人でも帰れるから。恵梨だって用事あるんでしょ」
「だからそんなの気にしなくていいって。ちょっと遅れたって問題ないんだから」
 私も恵梨も口調が荒くなっていくのが分かる。こんな言い方、本当はしたくない。
「まぁまぁ、熱くならないの。じゃあ私が恭子を送って帰ればいいんじゃない? どうせ用事もないし」
「そんなの……悪いよ。さっきから一人で帰れるって言ってる」
「恵梨は恭子が一人で帰るのがやなの。そこは折れてあげなよ。それとも、私と一緒に帰りたくない?」
「そんなことないけど」

⇒To Be Continued...

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