スキよりも、キスよりももっと3
作者: トーラ   2007年11月23日(金) 23時38分30秒公開   ID:KvBgjdlPPKE
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 3―1

 夏休み最後の日。昨日と変わらず、朝から蒸し暑い。朝からエアコンを付けたら負けだと思い、扇風機の前で風を感じていた。まだ朝の九時なのに、太陽は元気だ。
 窓の外では、蝉が世界を呪うかの如く鳴き続けている。断末魔の叫び声みたいで、気持ちが悪い。
 背中に滲んだ汗をタンクトップが吸い込み、背中にぴたりと貼りついている。服装はパジャマのままで、朝から着替えていない。上はタンクトップ。下は学校指定の体育着のハーフパンツ姿で、人に見せられた格好ではない。髪は適当にヘアバンドで束ねている。そうしないとうなじが暑くて堪らなかった。
 私の部屋にベッドはなく、布団を押入れから取り出し、毎晩敷いて眠る。現在布団は押入れに収納されている。いつか干さないといけないな、と思いつつも部屋の外に布団を運ぶのが億劫で行動に移せないでいた。
 部屋の真ん中に置いた小さなローテーブルに上半身を預け、握り締めた携帯のモニターを見つめた。モニターに映っているのは歩の携帯番号とメールアドレス。このまま携帯を操作すれば彼女と連絡が取れる。
 花火大会の後で歩と会ったのは二回、たったの二日。恵梨の提案で、夏課題消化の会を設立し、歩宅に押しかけた時だけだった。押しかけたのは一週間前だ。
 未だに歩の告白の返事を返せていない。一週間前も歩と二人になれるタイミングがなく、言いそびれた。いや、答える勇気がなかっただけか。どちらにしても未だに返事は保留のままなのだ。
 三十分くらい前に歩にメールを送ったのだけど、まだ返事が返ってこない。内容は、二人で会いたい、とだけ書いて送った。夏休み中にはちゃんと返事をしよう、と決意したものの、結局最後の日にならないと行動は起こせなかった。
 三十分程度返事が来ないだけで、眠気も吹き飛ぶくらいに不安な気持ちになる。
 ――だったら、私は歩をどれだけ待たせちゃったんだろ……。やっぱり、不安になるのかな……。
 歩のことを思うと、自分は磔にされてもおかしくない悪人のように思えた。答えも、彼女を喜ばせるものではないのだから。
 携帯が揺れた。私の頬に振動が伝わる。メールボックスを確認し、振動を止めた。
 緊張しつつ、モニターを見た。
 ごめん、寝てた。今日は暇してるから大丈夫だよ。うち来る?
 すぐさま行くと返信した。それから何度かメールのやり取りをし、十一時に歩の家に行くことになった。
 とりあえず、風呂に入ることにした。



 歩はアパートを借りていて独り暮らしをしている。親は離婚したらしく父子家庭だと言っていた。お父さんは単身赴任が多く一つの町に留まって仕事をすることがなく、歩も父の仕事の都合でよく転校していたらしい。高校に入学する時は引っ越すのが面倒になり、必死に頼み込み、アパートを借りてもらった。というのが歩の説明だ。バイト代を生活費の足しにしているとも言っていた。
 一人暮らしとか、全然想像がつかない。
 間取りは1DKの小さな部屋で、独りで暮らすのなら調度良い広さだった。玄関に入ると台所と浴室、その奥に洋室があって、そこが歩の城だ。
「ま、あがりなよ。奥はクーラー効かしてるからさ」
 薄手のチェック柄のシャツの袖を二の腕まで織り上げ、にジーパンというラフな格好で歩が出迎えてくれた。
 私はサンダルを脱いで歩と一緒に奥に進み、部屋に入る。
 部屋の中は、歩の言葉通り空調がよく効いていた。太陽に熱せられた直後の身体には心地よいかも知れないが、数十分もしたら寒くなりそうだ。
 部屋には、私の部屋にもあるようなローテーブルと、ベッド、テレビと生活用品は大体が揃っていた。部屋に隅に本棚が置いてある。その中に教科書が詰められていた。ベランダに続くガラス戸の向こうには歩の洗濯物が見えた。
 エアコンの風が、私の黒い膝丈のスカートを揺らす。歩宅に着くまでに流した汗が白いブラウスを湿らせていた。
「下着透けてるよ」
「え、ホントに」
「水色、可愛い」
 咄嗟に腕で胸を隠したが、歩に色を当てられた。女同士でも恥ずかしい。暑さとは別の汗が流れた。
「そんなに隠さない。減るもんじゃないんだから」
「おじさんみたいなこと言うね」
「前世はエロ親父なの」
 真面目な顔をして答えたりするから、我慢できずに笑ってしまった。家を出るまでの緊張すら忘れそうになり、同時に覚悟すら揺らぎそうになる。このまま笑いあって談笑していたいと思う。
 ――本当は笑えるような立場じゃないのに。謝らないと……いけないんだ……。
 出来るだけ笑みを薄くした。微笑とも言えない引きつった笑顔で歩と接した。



 お昼ご飯を作ると行って歩が台所に向かってから十分と少し過ぎた。私の分も作ってくれている。歩宅に行く前に決まっていたことだ。一度は断ったのだけど、歩がどうしてもご馳走したいと折れなかったので、私が折れることにした。
 歩が付けっぱなしにしたテレビにはワイドショーが映っている。少し寒くなったのでエアコンの温度を少し高くさせてもらった。
 テーブルの前に座ったまま、歩が帰ってくるのを待つ。台所からは何かを炒める音が聞こえてきた。音と一緒に香りも部屋に入り込んでくる。にんにくのものらしき匂いが漂う。食欲をそそる匂いだ。
 火を止めたのか、油が跳ねるような音が聞こえなくなった。次に聞こえたのは食器が擦れあう音だった。どうやら料理が完成したらしい。
「ごめーん。ちょっとドア開けてー」
 ドアの向こうから歩が言った。ドアを開くと、歩が盆にパスタの盛られた皿を二つ乗せていた。
「お待たせ。ちょっと頑張ってペペロンチーノなんて作ってみました」
 皿をテーブルに移しながら言った。パスタから上がる湯気が、さっき嗅いだ匂いをしていた。
「ちゃんとオリーブオイル使ったんだぞー。心して食べるのだ」
「うん、ありがとう。美味しそうだね」
「味見はしてないけど」
 移し終わって、向かい合うようにテーブルの前に座った。
「凄いね。料理出来るんだ」
「いやいや、こんなの茹でてちょっと炒めるだけだよ。材料さえあったら誰でも出来るって」
「でも、格好いいな」
「そう? ありがとう。ていうか食べてよ」
「あ、うん。ごめん。いただきます」
 添えられたフォークを手に取り、四本の歯に麺を巻きつける。スプーンがなかったので上手く巻きつけられなかった。
 麺と格闘しながら、何とか一口分だけ巻き付け、フォークを口に運ぶ。
 少し濃い味だけど、レトルトのソースよりも美味しく感じた。この味をちょっと炒めただけで出せたのなら苦労しないだろう。
「美味しいよ」
「そう? よかった」
 歩は麺を啜った。麺を啜る唇に視線が固定された。生き物のように唇は動いていた。あの唇と私は触れ合ったのを思い出すと、急に恥ずかしくなった。
 後になってやってくる辛味に耐えながら、黙々とパスタを口に運んだ。



 パスタを食べ終わるまではこれといった会話もできず、本題を話せずにいた。歩の家に来て一時間以上経っている。
 とにかく座ったままではいけない。
 私が立ち上がったと同時に、食器を洗い終えた歩が部屋に戻ってきた。
「何? どうしたの?」
「え、と。この前のこと……話したくて。その、花火大会の時の」
「あぁ、うん。分かった」
 思い出したように頷いて、歩が私の目の前に座った。歩に座るよう促され、私も歩に倣って座った。
「イエスか、ノーかってことだよね」
 とりあえずの笑みが歩の顔に貼られていた。台紙に張られたシールみたいに、簡単に剥がれそうだった。笑顔の下には、花火大会の夜に見せた、怯えたような表情が薄く透けていた。
「その……ごめんなさい。歩とは付き合えない」
 大切な事を話しているのに、相手の顔を見て話せない。顔にかかる重力だけ何倍も強い気がする。
「どうして?」
 間をおいて歩が言った。心の茂みに潜り込んでくるような問いかけだった。本心を語るまで、きっと歩の声は私の心を駆け巡り続ける。歩に探る気も、潜らせる気もなかったとしても、歩の問いかけは猪のように私を荒らし回るだろう。
 歩の声が目的地に辿り着く前に、私は本心を差し出す。
「好きな人がいるから」
「片想い?」
「うん」
「それって、男の人?」
「……ううん」
 歩は私に本心を見せたのだ。だから、私だって本心で、本音で接しないといけない。私も、同性に恋愛感情を抱く人間なのだと、知らせるべきだと思った。
「私は恵梨が好きなの……」
「やっぱり、ね。何となく分かってた」
 納得したように頷き、歩の追及は終わった。一番の核心に触れる直前に止まった。
 必死に搾り出した本音は受け取られることはなく、既に歩が持っていた。
 差し出す筈だった言葉が柔らかく突き返されたみたいで、呆気に取られた。頭の中の時間が一瞬止まった。
「やっぱりって……?」
 思考が再開される。恵梨への気持ちを誤魔化し続けるのはもう無理だけど、内に秘め続けることは出来ると思っていた。なのに、歩は私の気持ちを知っていた。起こってはいけない事態なのだけど、何故か歩の前なら比較的心穏やかなままでいられた。
「いつから知ってたの?」
「恭子と同じクラスになってから。恭子の恵梨を見る目を見てたら、好きなのかなって」
「そんなに変だった?」
「恋する乙女って感じ」
 笑顔の膜が出来上がる。もう歩の笑顔に反応する気もおきない。
「冗談だけどさ。説明するのは難しいな。勘みたいなものだから」
「そっか……。でも、ごめんなさい」
「謝んないでよ。あの時は駄目元だったし、勢い余ってというか……」
「でも」
「じゃあ、私と付き合ってくれるの?」
「それは……」
 言葉が詰まる。いや、その先の言葉は用意されていない。
「無理でしょ。だったら、別に気にしなくていいの。私はね、一回断られたくらいで諦めたりしないの。恭子が恵梨を好きなら、恵梨よりも私のことを好きになってもらうだけ」
 二度目の告白。花火大会の夜とは違った焦りが沸いてくる。今まで私を縛りつける力が少しでも楽になればと期待していたのに、私は今まで以上に縛られ続けることになる。歩の気持ちをどう扱えばいいのか見当もつかず、私に纏わり付き、きつく締め上げる。
 この気持ちは、答えの見つからない焦燥感だろうか。
「そんなこと言われても」
「恭子は何もしなくていいよ。私がただ頑張るだけの話だもの」
 私の声は届きそうになかった。悠々と言う歩を見ていると、これ以上何を言っても無駄に思えた。
「恵梨は恭子の気持ちに気付いてないみたいだけど、遠慮とかするつもりないから」
 これは多分、恵梨に対しての宣戦布告。恵梨と歩の仲に小さいながらも嫉妬していた自分が愚かしく思える。
 歩の、力強く空気を振るわせる声には、恵梨への敵対心がこれでもかという程に込められていた。
 歩の決意を前に私はただ困惑するしか出来なかった。
「そんな訳だから、これからよろしくね」
「う、うん」
 裏も表もないような違和感だらけの笑顔を見せ付けられる。
 勢いに押されて頷いたけれど、その時の状況はよく理解できていなかったと思う。

 3―2

 歩から衝撃的な告白をされてから一ヶ月以上が過ぎた。二学期が始まってから、歩から私に向けてのアプローチ的なものは殆どなかった。恵梨が用事で一緒に帰れない時は歩と二人きりで帰ったりもするけれど、ちょっとした話をするだけだった。
 言ってみれば、歩と知り合ってからの生活と殆ど変わりがない。
 今はもう十月の中旬。試験まで一週間を切った。試験が近づくにつれて高まっていく緊張した雰囲気は好きではなかった。クラスメイトの試験に真面目に取り組む姿勢は尊敬したいが、順位がどうとかいう話題で盛り上がる人たちには馴染めそうになかった。
 試験が近づくと恵梨は勉強やら、塾やらで忙しいようで、放課後を一緒に過ごす時間が少なくなる。寂しいけれど仕方がないことだ。
 恵梨と過ごす時間が少なくなると、自然と歩と過ごす時間が長くなった。出来れば、歩を避けたくないし、歩から歩み寄ってくるのなら、私には断る権利などない。
 今日の放課後は歩の家で勉強会をすることになった。私より歩の方が成績は良いのだけど、一緒にした方が効率が良いということで、私が家に呼ばれた。
 歩が私に言った「好き」という言葉と、キスの感触は頭の中に留まり続けている。頭蓋骨の防壁に囲まれるのを望むみたいに、答えを隠された謎かけのように、記憶として残っている。
 歩を意識せずにはいられなかった。歩の気持ちは完結されず、今も保留のまま。
 完結させなくてはいけないのは、私の方なのだろうか。歩が諦めるのを待っている私は、卑怯者なのだろうか。
 歩と時間を共有すればするほど、負い目は大きくなっていった。

⇒To Be Continued...

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