スキよりも、キスよりももっと 1後 | |
作者:
トーラ
2007年10月27日(土) 21時08分23秒公開
ID:wCGuvHJxTyk
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1―4 一週間が経った。その間恵梨に謝罪もせず、顔も合わせず、ひたすらエリを避けて生活していた。恵梨の方からも、私に声をかけることもなかった。完全に私たちの間には壁が出来上がっていた。 テスト明けで間もない学校は、平和に平凡に時が流れている。私と恵梨が不仲になったことなんて、他のクラスメイトには何も関係がないことだ。 恵梨と仲直りがしたい、と切に思っている私が、クラスの中で一層孤立しているように感じる。私だけが取り残され、独りになっているような、妙な孤独感だ。 私が変わっても世界は何も変わらない。私が立ち止まっていても世界は待ってはくれないのだ。 昼休みだけが例外な筈もなく、今日も独りで昼食を取っていた。恵梨も教室の中で、独りで弁当を食べている。私が独りで昼食を食べることには何も抵抗はないけれど、恵梨が独りでいるのを見ると、何故か罪悪感を覚える。 何処となく、寂しそうに見える。でもそれは私に願望によるところが大きい。恵梨は強い人間だし、私がいなくても何も変わらない。変わることと言えば昼休みに独りになるくらいのことだ。私は、恵梨が私がいなくなって寂しいと感じてくれていると思いたいだけなのだろう。 「隣いい?」 クラスメイトの女の子が私に歩み寄ってきた。確か名前は佐々木歩、アユミさんだったと思う。 今時珍しく眼鏡をかけていて、小柄な人だ。ショートヘアーで髪を淡く茶色に染めていた。 眼鏡もとてもお洒落なフレームで、アクセサリーのように見える。 「えっ……。うん、いいよ」 慣れないことに戸惑い、内心怖がりながら笑ってみせた。歩さんとは、むしろクラスメイトとは殆ど話した記憶がないし、仲がよかったのも恵梨くらいのものだった。 ――なんで私に……? 「ありがと」 食べかけの弁当箱を持って、私の隣の机から椅子を借りてそれに座る。何を話せばいいか分からないし、何を言われるか想像もつかなかった 「佐々木さん、だよね。今日はどうしたの?」 緊張しながら歩さんに言った。今まで声をかけられたこともなかったのだから、意味もなく声をかけたなんてことはないだろう。 「私の名前覚えててくれてたんだ。ちょっと意外」 「ごめん」 何だが、私を咎めるように聞こえて、いつもの癖で謝っていた。 「謝らなくていいよ、恭子さん。別にさん付けじゃなくていいよ。さん付けで呼ぶんだったら私も恭子さんって呼ぶけど」 「あ、うん……。でも殆ど初対面だし、呼び捨てにするのって悪いし……。じゃあ……歩さんって呼んでもいいかな?」 私の事を下の名前で呼んでくれるのなら、私だって下の名前で呼ぶのが礼儀だと思い、少しだけ冒険して、下の名前で呼んでみた。 「律儀だね。別に好きなように読んでくれたらいいんだけど」 明るく笑いながら、弁当箱の中の卵焼きを一口で食べる。私はぎこちなく笑うだけで、何も言えない。 彼女は好意的に話しかけてくれているが、その行動に疑問ばかり浮かんで、今も怯え続けている。 「恭子さんってさ、いつも恵梨さんと一緒にいるよね」 卵焼きを飲み込んでから、歩さんが言った。 「う、うん。そうだね。それがどうかしたの?」 恵梨との付き合い方に何か言いたいことがあるのだろうか、と内心冷や汗を掻きながら笑みを絶やさぬように、愛想よく受け答えられるように努める。 「いや、何かあったのかなぁって。最近距離とってるみたいだし。凄く仲よさそうだったじゃん」 「何かっていうか。ちょっと色々あって……」 まさか、恵梨との事で親しくもないクラスメイトから訊かれるとは思わなかった。誰も興味のないことだと思っていたけど、意外と誰かが見ているものだ。 「あ、言いたくなかったかな。ごめんね」 目の前で手を合わせ、申し訳なさそうに歩さんが言った。 謝られて、自分が今どんな表情をしているかを想像した。歩さんが謝った原因は私の表情にあるに違いない。 謝らせるつもりは欠片もないのに、私の意志とは関係なく、周りに気を遣わせていた。 「謝らないで。気にしないで。喧嘩っていうか……全部私が悪いんだけど、それで気まずくて」 「そっか。大変だねぇ」 山羊がしつこく租借するみたいに、歩さんが深く頷く。他人事のような素振りだけれども、適度な距離を取った上手な聞き方だなと思った。 「その気持ち分かるよー」 世間話でもするように歩さんが言う。友達同士が不仲になることなんて、何処にでも転がっている話で、世間話で出来るくらいのありふれたことで他愛のないことなのだろう。 「うん、大変」 ――ちゃんと、笑えてるかな…… 笑っているつもりでいながら、不安を抱え、歩さんの言葉に当たり障りなく受け答える。 「どうすれば早く仲直りできるのかな……」 純粋な私の気持ちだった。いつでも頭の中心に居座っている大きな感情だ。 「そうねぇ。何だかんだ言ってもきっかけが大切なんだよねー……」 何か考えるような仕草で言葉を区切り、おかずのミートボールを口の中に放り込んだ。 「そうだ」ミートボールを噛み砕きながら歩さんが言った。 「恵梨さーん。一緒にご飯食べよー」 その一言で心臓が大きく跳ねる。歩さんの行動は予想外過ぎた。これでもし、恵梨が歩さんの誘いを受けたら、私はどうすればいいのだろう。気が動転して、心臓がピンポン玉のように跳ね回る。 ――どうしよう……。 「ごめんね。もう食べちゃった。これから用事あるんだ。ごめんねー」 私の焦りを知らない恵梨は、いつもと変わらない人懐っこい声と笑顔で歩さんの誘いを断った。恵梨の瞳に、多分私は映っていない。 いや、笑顔が違う。私といた時よりも明るいような、無理をしているような表情だった。 「そっか。ざんねーん。また今度ね。いってらっしゃーい」 「うん。また今度ね。それじゃ」 笑顔を崩さず、恵梨が教室から出て行った。 ――私のこと、避けてるのかな。 可能性は否定できない。むしろその可能性の方が高い。 「びっくりした。歩さんって恵梨と仲良かったの?」 「何回か話したことあるだけだよ。驚かせちゃったかぁ。ごめんごめん」 「本当に、驚いたよ……」 死ぬかと思った。大げさかも知れないけれど、さっきの気持ちを表すのなら一番ぴったりの言葉だと思う。 「あっ。やりすぎたかな。ごめんなさい」 安堵感に満ちた私に表情を見て、もう一度歩さんが謝ってくれた。 「うん……。怖かった」 「怖い?」 「私の事怒ってると思うし、嫌いになってたらって考えたらさ、怖くて話なんてできないよ」 素直に自分の気持ちを告げていることに驚く。それ程までに、私の心は弱っていたのか。弱音を、自分の中だけに閉まっておくことができなくなってきている。 「その気持ちも分かるけどさ、それじゃあ解決するのって難しいよね」 「そう、だね」 恵梨と仲直りしようと努力をしない自分を咎めているように聞こえた。 「凄くしんどい思いを一瞬感じるか、微妙にしんどい思いを長く感じるかってことかな」 「うん……」 言いたい事は分かる。一週間前にも似たようなことをエリに言われたのだから。理屈は分かっても行動にはまだ移せていない。 「ありがとう。頑張ってみる」 私がするべきことはもう決まっていて、私が行動できないでいるだけのこと。 一週間悩み続けるのが頑張ることではなかった。 「て、何言ってるんだろね。私って」 髪を掻き動揺を隠すように笑った。髪を掻いた手が次は眼鏡のフレームを弄った。 「気にしないで。凄く気が楽になれた」 一番自然に笑顔を浮かべられた気がする。単純に、歩さんの優しさが嬉しくて浮かんだ笑みだと思う。 「良かった。仲直り出来たら三人でご飯食べようね。楽しみにしてる」 弁当箱を片付けながら歩さんが言った。歩さんは、用事があるからと、軽く手を振って教室から出て行った。 歩さんの後姿を確認しながら、友達になれたらいいな、と思った。 ――らしくないかな……。 昼休みは、まだ二十分もあった。 今日はバイトの日だ。恵梨と喧嘩してから一回目のバイトの日。 一言で表すのなら、今日のバイトは散々だった。皿を割り、料理を運ぶテーブルを間違え、オーダーを聞き間違い、失敗という失敗はすべてやらかしたと思う。 正社員さんにも、客にも怒鳴られ、バイトの先輩にも呆れられ、泣きたい気持ちでいっぱいになった。 やはり接客業は向いていないのか、と自分を慰めている事に気が付く。仕事に向いていないから失敗してもいいでは、都合が良すぎる。そんなのはただの言い訳だ。 単純に私の不注意で起こった失敗。いつもどおりの仕事が出来れば、こんなことにはならない筈だ。自惚れかも知れないが、今日程の失敗をした事は今までなかった。 だけど、だからこそ駄目なのだ。今まで出来ていたことを出来なくなるなんて、弁解の余地もない。 気持ちを落ち着かせ、涙だけは流さないように気を引き締める。仕事をしなくては。 良い出来事は長くは続かない。三角関数のように正と負を行ったり来たりを繰り返すのだろう。今は間違いなく負の数だ。 雨粒が窓を濡らしていた。空さえも私に怒っているのかも知れない。 風船のような脆い感情を抱えて、閉店までの時間を待った。 不安定な気持ちのまま、同じ失敗を繰り返すことなくなんとか閉店まで持ちこたえることが出来た。 いつもどおりの挨拶を終え、帰路に着く。 外に繋がるドアからかなり大きな雨音が聞こえた。 雨は想像以上に強く、雨音は店の中と外ではまったく違って聞こえる。今日は傘もカッパもレインコートもない。天気予報では夜から雨が降ると言っていたのかも知れない。雨に濡れて帰るのは、私が天気予報を確認しなかったのに責任がある。 とりあえず、携帯をビニール袋の中に入れておこう。濡れて壊れたら笑い話にもならない。ビニール袋は店から一枚拝借させてもらった。 一度、親に迎えに来てもらおうかと考えたが、迷惑だろうと思い結局電話はしなかった。バイト先に自転車を置きっぱなしにするのも気が引ける。 覚悟を決めて、雨の中自転車に跨る。雨粒が顔に当たってよく前が見えないが、早く家に帰りたいので危ないと分かっていても自転車からは降りなかった。ちゃんとライトも付けているし車のライトくらいなら分かる。なんとかなるはずだ。 雨が服に浸み込み重さが増す。水に塗れたジーンズの重さといったら半端ではなに。服も下着も塗れて身体に張り付き、気持ちが悪い。撃ちつける雨は身体中を刺す。 本当についてない。 大雨の中、独りで自転車を漕いで家に帰る。視界も悪くて雨音しか聞こえない。私だけが皆がいる場所から切り離されているような感覚。どこまで進んでもずっと独りなのではないか、と根拠のない不安に襲われる。家に帰るまでの数十分間が永遠のように感じられて、家に近づいているかも分からない。 ――早く、帰りたい。 このままだと、堪えていた涙が溢れてしまいそうだ。泣きながら帰るなんて、格好悪い。 くだらないことを考えるのを止めて、ペダルに力を込める。 足が、滑った。それに連動して自転車と自分の身体のバランスが崩れて盛大に転ぶ。 予想もしなかったことで手を出す余裕もなく、受身なんて取れる訳もなく、脇腹から歩道に放り出された。全身に激痛が走り、雨粒が傷口を無慈悲に突く。 自転車が道に放り出されるけたたましい音も、雨音の中にかき消されかけていて、身近に起こった音なのに、ひどく遠くに聞こえた。 痛みに耐えようと歯を食いしばり、ゆっくりと立ち上がる。身体を動かすとまた、別の痛みが私を襲った。 自身を見下ろしてみると情けなくなるほどに服が汚れているのが分かった。黒いTシャツの上に着込んだ白いパーカーが見事に泥色をしていた。下に履いているジーンズも同様に泥色に染められていた。赤くなっている箇所がないのを見ると、擦り傷は負っていないらしい。それでも、痛いものは痛い。 「だっさい……。格好悪いな」 痛みに耐え切れなくて、涙が出た。雨のおかげで泣いているかどうかは傍から見れば分からないだろう。 「痛い」 自分で言いながら空しくなる。また、涙が出た。 帰らないと、と自分に喝を入れ自転車を起こす。 痛みが残る足を引きずりながら、ゆっくりと自転車を押した。 ――冷たい……。 震えるほどに寒い。殆ど水の中にいるのと変わらない状況だ。家までの距離が、また遠くなった気がする。 こんな雨の中ずぶ濡れて歩く私は、馬鹿だろうか。多分、笑えるくらいに滑稽な姿に違いない。なのに、私を笑ってくれる人は誰もいない。独りで道化を演じる空しさを感じながら、自然と自嘲気味な笑みが零れる。 ⇒To Be Continued... |
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