スキよりも、キスよりももっと 序
作者: トーラ   URL: http://sky.geocities.jp/dabunaikoukai/   2007年09月26日(水) 00時45分47秒公開   ID:wCGuvHJxTyk
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序―一



 夜の街の雰囲気が好きだ。太陽に照らされるのではなく、街灯や家から漏れる灯りに淡く照らされるのが好きだ。なんとなく、柔らかく感じるから。
 夜の雰囲気とか空気が好きで、私は真夜中に街中を歩く。小一時間くらい、ゆっくりと歩く。普段見落としているありふれた物を見直してみたり、遠くから聞こえる車の音や踏み切りの音に耳を澄ましてみたり、楽しめる物は幾らでも見つけられた。
 季節は、どちらかといえば春に当たるであろう五月。昼間は蒸し暑い日もあるけれど、涼しい日の方が多い。夜はいつも涼しかった。
 腕時計に視線を落とした。十一時半を過ぎていた。いい加減家に帰ろうかと思い、来た道を戻る。
 道路の敷かれた長さ十メートルくらいの短い橋を渡る。端の下からは水の流れる音が聞こえた。せせらぎが、まるで川の話し声みたいに身近に聞こえた。
 橋を渡ってから、車通りの少ない路地に入り込む。道は家に挟まれていて、車も一台しか並んで進めないくらいに狭い。この時間なら車通りを気にすることもないのだけど、この道が家まで一番早く着ける道だ。
 この道を通ると、友達の家の前を通ることになる。友達と会う訳ではない。ただ通り過ぎるだけのことでも、私にとってはささやかな楽しみだった。
 友達の家の前を通る。友達が、恵梨が寝ているだろう二階の部屋の窓に目を向けた。カーテンが閉められていて、中は何も見えない。それでも彼女の寝顔と、明日会う時の事を想像すれば十分に満足出来る。きっと、誰にも私の気持ちは理解できないだろう。
 ――なんだか、ストーカーみたい。
 照れ隠しみたいに笑って虚しさを誤魔化した。足を止めることなく俯いたまま家の前を通りすぎる。これが私の日課だ。
 街灯が照らしている場所を無意識に目印にして蟻が歩くようにゆっくりと歩いた。
 身体が汗でベトついてきた。涼しくても身体を動かせば汗をかくし、身体も熱くなる。
 黒いTシャツが汗を吸い肌に張り付く。濡れたTシャツの感覚が大嫌いだった。
 額に汗が垂れているのに気付いて、手の甲で雫を拭った。
 帰り道の途中に公園がある。住宅街に埋もれそうで埋もれていないような、中途半端な存在感を持った公園だった。
 時間に埋もれかけた公園を電気が淡く照らしていた。時間の堆積を感じさせる風化した鉄棒やペンキの塗装が剥がれた滑り台にジャングルジム。色褪せた木製のベンチ。子供の頃もそれなりに古臭かったけれど、十年以上過ぎて見ると更に古臭く見える。子供の頃の印象がかなり強く残っていた。思い出も、印象と同じくらい強く記憶に刻まれていた。
 私の記憶が正しければ公園に水道があった筈だ。顔を濯ごうと思い寄り道をする。
 公園の中心に水道が見えた。小さな穴が空を見上げていた。
 蛇口を捻ると、勢いよく水が噴出し水柱を作った。水柱を手で遮った。顔を洗っても大丈夫な温度なのを確認して顔を近づけた。
 顔にぶつかる雫を両手で擦り付ける。少し冷たすぎたけれど、すぐに冷たさにも慣れて心地よくなった。
 顔を洗うついでに水を少し飲んだ。
 蛇口を閉めて自分の姿を確認すると、飛び散った雫がシャツを盛大に濡らしているのが分かった。身体の形が分かるくらいに肌に張り付いていた。夜だし人も少ないからたいしたことでもない。少し服が重たくなるくらいのことと、特に気に留めなかった。額や頬にも水に濡れた髪が貼りついていた。
 髪の毛はセミロングくらいの長さで特に拘りもなく伸ばしていたら今の髪形になった。髪の毛をかきあげると水滴が後ろ髪に流れていった。
「こんな夜中に女の子が一人で出歩くなんて危ないね」
 女の子の声が聞こえた。声は私よりも幼い感じがした。辺りを見回して女の子を捜してみたけど真っ暗なので人影を捕らえにくい。
「こっちよ」
 もう一度声をかけられて、やっと女の子の位置が分かった。
 背の高さが一四〇センチくらいだろうか、小柄な女の子が木製のベンチに腰を下ろしてこちらを向いていた。女の子の格好は日本人らしくなく、暗くてよく分からないけどきっと肌の色も日本人離れしているのだろう。暗闇の中でも彼女の肌の白さは浮き上がって見える。肌の白さに注意が向けられるのは彼女の服装にも原因があった。ガラスケースに閉じ込められた人形が着ているようなボリュームのある高級そうな黒いドレス。花のように膨らんだスカートからは黒いニーソックスを履いた足が伸び、先にはブーツが見えた。
 すごく、可愛い子だなと思った。
「こんばんは」
 ベンチに座ったままニコリと笑って女の子が言った。
 深夜に女の子に挨拶されたことが一度もなくて、私は戸惑う。どうすればいいかを考えて、とりあえず挨拶を返すべきだと結論を出す。
「あ、こ、こんばんは」
 こんな小さな子に何を緊張しているのだろうか。そもそも、何で真夜中に少女が公園にいるのだろうか。
「君は、その……何でこんなとこにいるの?」
「私はエリ。君じゃないわ。貴方の名前は何て言うの?」
「……恭子だよ」
 エリと名乗った少女に警戒しつつも、私も名を名乗った。
 エリの目的は多分、私との会話だ。
「お父さんとか、お母さんとか心配しないの?」
 小学生くらいにしか見えない小さな女の子が真夜中に独りでいるのには抵抗がある。子供は寝る時間だ。
「大丈夫よ」
 無邪気にエリが答えた。エリの声音は柔らかく何処か温かく感じる。根拠も何もない言葉だけど、自信に溢れていて説得力があった。
「でも、危ないよ。お家まで送るよ」
「大丈夫。ちゃんと一人で帰れるわ」
 念を押すように言って、
「恭子は優しいのね」
 と、続けた。
 初めて名前を呼ばれて、耳に息を吹きかけられたようなくすぐったさを感じた。
「いつも、同じ家の窓を覗いてるよね。どうして? 家に住んでる人が好きなの?」
「ちょ、な、何で知ってるの?」
「内緒」
 無邪気にエリが言った。無邪気すぎて残酷なくらいだ。心地よかったくすぐったさはいっきに気まずさに変わって、嫌な汗を流させた。
「教えてくれないの?」
「言いたくない」
 この子に素直に答えてやる義理はない。そもそも、質問が殆ど答えを射ているのだから、答える必要もないし。初対面の人間に答えることでもない。
「どうしても?」
「どうしても」
「そっか。残念」
 拗ねたように顔を膨らまして言葉どおりに残念がる。偶像でしか見られないような仕草を現実に見て、少しどきりとした。
「私はそろそろ帰るね。お話はこれで終わり。それじゃあね。さようなら。恭子も早く帰らないといけないよ。恭子だってきっと心配かけてるもの」
 耳の痛い言葉を告げて、エリが立ち上がる。ベンチから腰を上げただけなのに、踊っているように見えた。
「恭子。目、瞑って」
 上目使いで甘えるようにエリが言った。さっきの仕草と引けを取らない可愛らしい仕草で私にねだる。私はエリの言いなりになるしかなかった。
「わかった。でもどうして?」
 素直に瞼を閉じてエリの声を待つ。目の前にエリが立っているのはなんとなく分かる。声は返ってこない。
「ねぇ」
 もう一度目の前にいるだろうエリに声をかける。
「バイバイ」
 やっと返ってきた声に続けて、私の唇に何かが触れる感触があった。
「な、なに?」
 突然のことにエリの頼みも忘れて目を開いた。
 目を開いて映した風景は当たり前に暗くて当たり前に公園が見えた。だけどエリの姿が見えなかった。水道の蛇口は閉めていなかったようで水が虚しく夜空に噴出し、水が地面を水浸しにして私の靴を軽く湿らせていた。
 ――なんだったんだろう。さっきの。
 唇に指を当ててみた。数秒前の感触がまだ唇に残っていて。頭の中では少女の姿が踊っている。
 突然姿を消した少女を不気味に思いながら、とりあえず蛇口を閉める。
 少女が始めからいなかったような静けさが真夜中を強調していた。
 夢でも見ていたのか、それとも幻覚か、幽霊かも知れない。幽霊だとしたら、なんて幻想的だろう。自分には似合わなすぎる。霊感だって私にはない。それに、あんなにも可愛らしい幽霊なんて聞いたことがない。
 何にしても、このまま悶々とさっきの少女の正体を考えていても答えはでそうにない。釈然としない気持ちを抑えながら、真っ直ぐに自宅に向かった。

 序―二

 私はいつも八時には家を出る。私は高校生だから、学校にはちゃんと通わなくてはいけない。教室には八時三〇分までに着いていれば遅刻にはならない。学校までの足は自転車で十分もあれば学校につく。徒歩で学校に向かっても充分時間に余裕があるが、歩くよりは自転車を漕いだ方が楽なので私は自転車通学を選んだ。
 余裕を持って家を出るのには訳があって、学校に行く途中寄る場所があるから。
 ゆっくりとペダルを漕いで自転車を走らすと、昨日の夜に窓を覗き込んだ家が見えてくる。自転車は全自動で恵梨の家に向かう。
 自転車を止め、恵梨の家の前に立ち呼び鈴を鳴らす。これが毎朝の儀式みたいなものだ。
 チャイムを押してから数十秒、待ち人が家から出てくるのを待つ。この時、いつも私の心臓の動きが早くなる。緊張の理由が分かっているけど、理由が分かったところで心臓の動きを操るのは無理な気がした。
 ドアノブが動き、ドアがゆっくりと動く。
「おはよう。恭子」
 腰のない、間の抜けた声が聞こえた。声の主は私の待ち人、福岡恵梨のものだ。
 私と恵梨が通う学校指定の紺のブレザーをきっちりと着こなし、短すぎず長すぎない、太腿がちらりと見えるくらいにスカートを履いている。恵梨の肌は、包装紙の中の新品の上質紙のように白くて綺麗だ。私とは比べようがない。
「おはよう。眠たそうだね」
 目を軽く擦りながら恵梨が私に歩み寄ってきた。一歩動く毎にスカートと、うなじくらいまで垂れているポニーテールが踊る。恵梨が寝坊することなんてまずないが、朝が眠たいのは私と同じようだ。
 恵梨の姿を確認して挨拶を交わしてから、緊張が解けているのに気がつく。
「少しだけ。でも大丈夫、歩けば目も覚めるから。今日も良い天気だからすぐに目も覚めるよ」
 目を擦るのを止めて掌を太陽にかざし、手が作った影から空を見上げた。恵梨が天気を指摘するまで私は、空に雲のない綺麗な青空が広がっていることに気がつかなかった。それだけ私は、俯いて歩く癖が身体に染み付いている。
「ホントだ。今日は空が広いね。でも一ヶ月もしたら梅雨の季節だね」
「梅雨なんてこないでずっとこの天気だったらいいのに」
 今は四月下旬。梅雨の話をするのは少し気が早い気もするけど、思いついた話題は梅雨の話だった。
 恵梨は雨が嫌いみたいだけど、私は雨が好きだし、梅雨も少しだけ楽しみにしていたりもする。
「そんなこと言って、空梅雨だったりしたら雨が恋しくなるんじゃないの」
「かなぁ。いやいや、晴れに越したことはないって」
 自分で自分に突っ込みを入れながら私に言った。そんな恵梨が可笑しくて、愛しくて笑ってしまう。
 恵梨と合流してからは、二人で歩いて学校に向かう。恵梨と雑談しながら歩くのが私の楽しみの一つだ。
 少し歩くと目的地が同じな学生を何人も確認することができる。これから授業が始まるのだなと思うと、楽しい気分も軽く削がれる。
「ねぇ恭子」
 テレビの話や、学校の話など話題も尽きてきたが、恵梨がまた新しい話題を作ってくれた。
「何?」
「やっぱり毎日夜出歩いてるの?」
「うん。夜は涼しいから」
 私の答えに恵梨の表情が少しだけ、悲しげな顔を見せた気がした。
 勘違いだといいのだけど、このまま小さな疑問を抱えたまま学校まで歩くのは気持ちが悪い。
 疑問を恵梨にやんわりと投げつける。
「どうかした?」
「夜だし、ちょっと心配」
「大丈夫だよ。今までそんな人に会ったこともないし」
「でも一応女の子だよ。もしものことがあったらさ」
 恵梨の心配の言葉が、昨日のエリとの会話を思い出させる。誰かが心配してる、と彼女は言った。その誰かは、身近な友達だった。
恵梨に心配をかけていたことにも気がつかなかった自分が、間抜けに見えて仕方がない。
「そうだね。一応女の子、だもんね。気をつける。ごめん」
 申し訳ないと感じながらも、嬉しい気持ちも半分ある。気持ちの半分を占める申し訳なさを表に出さないように気をつける。
「心配してくれてありがと」
 心配かけてごめんなさいと、心の中で呟く。
「ううん。変なこと言ってごめんね。でも気をつけてね。今度私もついていっちゃおうかなー」
 気紛れな調子で恵梨が言った。恵梨の申し出は嬉しいけど、私の趣味に付き合わせるのは気が引ける。
「本当? でもつまらないかもよ」
「歩いてみないと分からないじゃない」

⇒To Be Continued...

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