意味の成さない願いだとしても
作者: いちじく   2007年08月31日(金) 18時36分39秒公開   ID:Tq.BTFSF0tA

 神なんて、信じてはいなかった。
いくら祈りを捧げても、いくら願ったとしても、神はそれを叶えてはくれない。
それは何故か?――答えは簡単だ。

『神なんてモノ此の世に存在しないから』

それは私にとって物心付いた時からずっと変わらない真実だった。
いや、そう思っていたかっただけなのかも知れない。
そう信じたいだけなのかも知れない。
だってもし神が本当にいるとしたら。
私はきっとその無慈悲さを許す事が、出来ないから。

でも、でも――
今のこの瞬間だけは。
私は神に願いを捧げていた。
お願いします神様。

どうか、どうか――……




“意味の成さない願いだとしても“




 胸いっぱいに空気を吸って、空を仰ぐ。
空は淡白な程に蒼く、そして広い。所々に薄い雲が細く伸びていた。
ビルの屋上から見る景色は、いつもとなんら変わりなかった。
何の特徴もなく普遍性しかないその風景。
けれどその風景とそれが見えるこのビルは、私にとって特別な場所だった。
そしてその景色は柵の内側から見るだけで、いつもよりもさらに特別なものに見えた。
ここには、『風景』がある。色の付いた景色がある。
全てを白に塗りつぶされたような、味気無い――虚空を見つめるに等しい景色とは違う。
親もいず、特に親しい友達もいなかった私の真っ白な人生に、色彩を与えてくれる景色。
だがそれも――今日で見納めだ。

 きぃぃ、と背後で老朽化し、錆付いたドアの開く音がした。
振り向けばそこには知った顔があった。
「……野上」
ほとんど意識せずに私は呟いた。
「そんなところにいると落ちるぞ、井上」
私は少しだけ笑って。
「一体どういう風の吹き回し?この場所教えたのずいぶん前だったよね?」
「――あぁ。それで一度もこの場所には来たこと無かった」
答える野上の呼吸は、心なしか息があがっていた。
私はくるりと背を向けて、空を見上げる。
「ねぇ野上。あんたは神様って信じる?」
私は私自身が一番嫌うその話題を口にした。
幼い頃から変わらない考えを口にした。
「私は神様なんていないと思う。あんたはうちの近所だから知ってるよね?」
「……親父さんとお袋さんのことか?」
数秒置いて、野上がそう答えた。
「うん。――ひどいよね。私の親は何にも悪い事してないのにさ。
もし神様なんかいたら、そんなことしないよ。
事故なんて起こさないか、どうせ起こすなら私も連れて行ってくれたらよかったのに」
そうして私は地上へと眼を移す。
「俺は」
そう、一度区切って野上ははっきりと言葉を続けた。
「俺は、神様はいると思う。……今までいろんな人に巡り合えたのも、神様のおかげだと思う」
「……ずいぶんロマンチストなんだね、野上?新発見だよ」
私は振り返って、茶化すように言う。
「沙紀」
力強く、けれど大事なものを扱うかのように――私の名前を呼んだ。
「沙紀に、会えたのも」
その顔は真剣そのもので、いつもはおちゃらけている野上の、今までに見たこともないような表情だった。
そして。
野上に名前で呼ばれたのは、初めてだった。
思えばこいつは、私の意味を見出せない日々の生活に少しだけ……ほんの少しだけ
色を添えてくれた奴だったのかもしれない。
けれど。
「ありがとう野上……けど、それ以上は言わないで」
私は微笑んで、手を伸ばした。
私が何をしようとしているのか察したようで、野上は走り出した。
ありがとう。その言葉のカタチに私はもう一度口を動かして。
虚空に体重を預けると、私の体はゆっくりと地上へ傾いでいった。
野上が何かを叫ぶ声がしたような気がした。
空が、蒼い。


『死』とはどういうものかをよく考えていた。

天国や地獄はあるのか。

自殺をすれば地獄に行って、寿命を全うすれば天国に行く?

死ねば、親に会えるのだろうか?

神を信じない私がそんな事を考えるなんて、滑稽な話だ。


 ――身に感じた衝撃は、それほど大きいものではなかった。
全身は痛んだが、それも耐え切れないというほどのものではない。l
不思議に思ってゆっくりを瞼を開く。
暗闇に光が戻った瞬間、私は自分が死に損なったらしいことを認識した。
それにしても、どうして?
ビルは高くは無かったが、決して低い訳でもなかったと言うのに――。
その瞬間、私は気づいた。
私が――野上に抱きかかえられるようにして地面に倒れていることを。
「なんッ……で……?」
野上のおかげだ。
私が飛び降りたとき、野上は自分も飛び降りて私をかばうように、落ちた。
私を、守るためにだ。
野上は動かない。所々に傷が出来て、出血していた。
……神はいつだって無慈悲だ。
もし神がいて、野上が言うように神が私たちを引き合わせたというのなら。
何故、野上に私をかばわせるの――?
何故、私ではなく野上が死ななければならないの――?
堰を切ったようにぼろぼろと涙が溢れ出した。
「やだ……」
嗚咽交じりのかすれた声しかでなかったけれど。
それでも私は叫んだ。
「死なないでよぉっ……!」
神様。私は、私は――
止まらない嗚咽と涙を隠すように、私は顔を覆った。
と。
「……勝手に、殺すなよ」
聞きなれた――聞き間違えようの無い声が耳に届く。
その声は苦しそうだったけれど、確かに、そう確かに――。
「泣くなよ……俺が泣かせたみたいじゃねぇか」
私は野上の手を握って、一生懸命笑みのカタチをつくった。

神様――。
いてもいなくても、どちらでもいい。
でも、もしいるなら私の願いを聞いてください。
どうか、どうか。
あとほんの少しだけ。
できれば永く、永く。
この幸せな時を私に下さい――。

例え意味の成さない願いだとしても、
その瞬間だけは、私は紛れも無く……幸せだった。


■作者からのメッセージ
初作品です。
一応恋愛モノ……だったはず。
展開に無理があったり早かったりするかな、とは思ってはいたのですが
結局上手く直せませんでした。反省です。

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