漂う僕等 |
作者:
インカム
2010年04月11日(日) 23時05分12秒公開
ID:yEpU1vL7rcc
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中学三年の冬だった。 僕で私であたしは、やけに透明で冷たく澄んでいる、ガラスみたいに肌に突き刺さる空気を受けながら走っていた。 あたりはもう薄暗い。冷たい空気をたっぷりと吸い込んだせいか、呼吸が驚くほど辛い。というよち寧ろ痛かった。肺腑の奥まで冷え切っていた。 途中足がもつれて転びそうになるのを何とかこらえて、動けよこのポンコツが、と自らの身体を罵倒しながら走り続ける。 居酒屋の跡地であるボロ屋を曲がる直前に、ちらりと後方を確認した。こちらに向かうような影は無かった。少なくとも今は、まだ。 僕で私であたしこと篠田アキラは、一人称が未だ定まってないことを除けばごくごく普通の中学三年生だった。 とりあえず脳内での一人称の大部分は今のところ「僕」だ。特に意味はないけれど、自分のなかではそれが一番しっくり来る気がする。 僕が住んでいる町は都会でも田舎でもない、すごく中途半端な町だ。観光に来ても何の見所もない。 都会のような物騒な事件もなくて、学校には不良もいなかった。 まるで既製品みたいに有り触れ過ぎていて閉鎖的な町で、僕は毒に触れることもなく、汚物を見ることもなく、なんとなく十五年間生きてきた。 けれどそんな僕にも「なんとなく」では過ごせない時期がやってくる。つまりはそう、高校受験だ。 「将来の夢なんてわかんないよねー」 一日一回はそんなことを友達と話していた気がする。(いつも最終的には服やらゲーセンやら雑誌やらテレビ番組の話になったけれど) 高校受験はいままでなんとなく生きていた僕にとってはとてつもなく面倒くさい壁だった。受験勉強以前に、志望校を決めることすらうんざりした。 でも中卒じゃあその方があとあと面倒なんだろうな、ニートもフリーターも嫌だなぁ、となんとか面倒くさがる自分に鞭を打って、地元の普通レベルの高校を志望先に決めた。 そこからは塾、塾、塾。毎日毎日塾通いの日々だった。一週間前の日々を一日ずつ思い返してみても、塾に行った記憶しか残って無かった。 大人数で授業を聞いて、テキストを解いて、たまにテストをして、たまに個別指導の日とかがあったりして。思い返すだけでつまらない日々だ。 ……そんな日々でさえ、僕の中で日常となることは許されなかったんだけれど。 つまらない日常を送るのは皆同じだった。けれどそこには確実に、共感することの出来ない温度差温度差がある。 そしてそれは僕たちの友人関係とかそういうものに、少しづつ「きしみ」を与えていた。 だから、なのだろうか。そんなクラスのなかであの「おまじない」が爆発的に伝染して言ったのは。 「わきゃっ!」 裏路地に入ろうと角を曲がった僕を迎えたのは、どん、という衝撃と間の抜けた声だった。眼前にあった黒い影が消える。 「ごめん! 大丈夫?」 僕は慌てて消えた影――目の前に尻もちをついている人影に手を伸ばした。 暗がりで顔はよく見えなかったけれど、相手が伸ばしてきた手の冷たさと細さ、それとクリアでハイトーンな声でそれが女の子だと分かった。 「……だぁれ?」 と、呟いたかと思うと、その子はずい、と僕に顔を近づけてきた。距離が縮まったことで、その女の子の顔がなんとなく見えた。 長い髪と、ぱっちりとした瞳。顔立ちはそこらの女子よりずっと端整。薄暗い中でもわかるくらいの白い肌が特徴的だった。 レベル高ぇなぁ、なんてちょっと感心していると、 「んんんー?」 と、更にその子が顔を近づけてくる。鼻と鼻が触れそうなくらいの近さだ。 僕の顔やら身体やらをじろじろ見る姿は少し下品というか、その子の愛らしさにはミスマッチだった。 眉間にしわを寄せてこちらを凝視しているせいで、せっかくの顔立ちがだいぶ崩れている。 ……そんなに顔を近づけたら逆に見えないんじゃないの。 「やぁあっぱりわかんないようー。キミダレだっけ?」 「いや、ダレって言われても初対面だし」 僕の至極真っ当な返答に女の子はぷぅ、と頬を膨らませて、 「……どっかで会ったよ! 絶対!」 「えー……」 そんなことを言われても困っちゃうよ。 念のためその子の姿をじっくり見てみたけれど、やっぱり記憶にはない顔だった。 少なくとも僕の学校の生徒ではないことは確かだ。 というかこんな美少女だったら忘れるはずがないんだけど……。 「じゃああれじゃないかなぁ。町で見かけたとか、学校交流のときに顔見たとか」 ううー、と女の子は俯いて唸っていたけど、どうやら一応納得はしたみたいだった。そしてがば、と顔をあげて、 「ねぇねぇ、名前は?」 「僕? 僕は篠田、篠田アキラ」 「アキラ? 変な名前!」 「男の子みたいって言いたいんでしょ。キミは?」 「あたしはーショウー」 「……人の事言えないじゃん!」 ぷっ、と噴き出して爆笑した。見るとショウもですよねー、と同じく爆笑していた。 きゃはははは、という女子二人の笑い声が冬空に響く。 「アキラは何してるの? なんでこんな地味ぃ〜な路地裏にいるの?」 ……言われてはっとした。 そうだ。僕は逃亡者で逃走者で、つまりは逃げていたんだった。あまりの非日常的な事態に、感覚が麻痺してるみたいだ。 いや、違うか。僕はまだ此処を現実だと思い知るのが嫌なんだ。夢であって欲しいと思っているんだ。 「色々あって逃げてた。色々の重大具合はレベル185くらい。ちなみにMAXは100で」 「上限超えてるよぉおおおおっ」 そう言ってショウはまた笑いだした。けど今度は僕は笑えない。自分の立場を自覚してしまった。 「そんなわけで僕は逃走に戻るよ。ちょっとの間だけど楽しかったかも。じゃあね」 走り出そうとショウに背を向けた。さようなら、短い間の顔見知り。 アスファルトを蹴って駆け出そうとしたとき――がしり、と右手首を掴まれた。先刻体感した、冷たさと細さだった。 顔だけ振り向くと、ショウが僕の手首を掴んで、にかり、と笑っていた。 「奇遇だねアキラ。実は僕も逃亡の途中だったんだ」 「一緒に逃げよ?」 子供のように純粋無垢な瞳をきらめかせて、ショウはそう言ってのけた。 |
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