英雄なんかじゃない「6」
作者: トウコ   2008年11月05日(水) 23時59分08秒公開   ID:B3lXHCgMg/Y
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 青い月。藍色の空に浮かぶ、満月がポポを見下ろす。いつのまにか空には雲が漂い、満月は霞む。朧月。今にも夜に消えてしまいそうな不安定さが漂う月。
 ミカは路上から町長宅の二階の窓を見上げた。あれは廊下の窓だ。ここからでは書斎の様子は見えない。グレナーデの嘲笑がミカの脳裏を過った。
 職業決定所で選ばれるのは、あくまで町長候補だ。数名選ばれた候補者の中から投票によって長は決まる。適性を認めたのは、職業決定所だけではなかったのに。
 ミカは左右に首を振った。いや、彼にとっては誰が適性を認めようと同じことだ。誰よりも自分が適性を認めない。ミカは視線を落とすと、既に歩き出しているスズとノアの後を追った。

『手紙が届いた時から、胡散臭いとは思っていた』
 いつから町長を疑っていたのかと、ミカがノアに聞いた時、ノアはそう答えた。無感情の目で、淡々とノアは言う。
『確信になったのは、トルエン=リザーラの仲間に言った小出の言葉だ。――釈放が早過ぎると言っただろう。釈放の権限がある人間はそうそういない』
 なるほど、とミカはノアの言葉に頷いた。頷くと同時に、無理に釈放したとすれば、結局彼の不正が露呈するのは時間の問題だったのだ、とミカは思う。
「地位捨ててまですがりつく金額じゃねぇと思うけどなぁ。面倒だしさ」
 スズが言う。スズは夜空を見上げ、深く息を吐き出した。計算しているのだろう、スズが指折りながら、小さな声で呟いている。
「マージンが三割入るから、支払っているのは五十二万ルッツ。町長が十万。町民が残り四十二万ルッツと仮定して。報酬の四十万ルッツのうち、窃盗団へ一人五千ルッツを払えば二十万差し引き。残りは二十万ルッツ。結果、十万ルッツのプラスが町長の手に入る」
 いや待てよ、続けてスズが言う。
「もっとはねてるかもしれないな。ポポの町民は三千人だろ? 森に住み着く犯罪者の一掃で金を集めているはずだから――他の依頼の報酬は平均よりやや低いぐらいだったし」
 言いながら、スズがテープレコーダーを軽く放った。重力に従い、テープレコーダーはスズの手元に落ちる。グレナーデの言葉が記録されたレコーダー、ギルドに提出する証拠品だ。
 トルエン=リザーラに宛てた手紙、あれは即興で作った偽物だ。実物は、念のためトルエンの記憶を消したいと言って――後でノアに、どうせ仲間の記憶は消していないんだから無駄だ、と止められもしたが――トルエンに近付いたミカが発見した。しかし、血に濡れて読めたもんじゃなかったのだ。
 ところどころニュアンスをひろいあげ、似せてはいるが、中身は違っている可能性が強い。だからこそ注視される前に、ノアは懐にしまった。グレナーデが嘘に気付かなかったのは、ノア=トリエンナーレの名と、ノアの堂々とした態度のおかげだろう。ミカやスズに突き付けられたなら、彼は偽物だと気付いたはずだ。
 証言さえあれば、あとはギルド仲間のスズがなんとかしてくれるだろう。それにスズが言うには、ポポのギルドもトルエン=リザーラ達の行動を訝しんでいたらしい。ならば、この犯罪を証明する証拠は喜ばれてもいいくらいだ。
 そう考えて、ふとミカは思考を止めた。そしてスズの言葉を反芻する。あれ? あたしの報酬分はどこいった。
「ちょっと待ってよ。あたしの報酬分はどうなるのよ」
「小出の分なんかねぇよ。――殺すつもりだったんじゃねぇの、お前のこと」
 事も無げに言い切ったスズに、ミカは言葉を詰まらせた。飄々と言ってくれる。でも確かにそれが一番しっくりくるのも事実だ。
「じゃあ、ノアは? なんで刈り出されたのよ」
「証拠隠滅だろ。これをネタに揺すってくることはわかってるからな。全員地の底に埋めるのが一番楽だと思ったんだろ」
「じゃ、窃盗団に払う予定だった二十万ルッツは――」
「結局、町長の元に」
「ふざけてる! 紳士気取りのちょび髭め」
 奮然として言ったミカに、スズは苦笑した。ミカはスズを横目で見遣る。自分のことは棚に上げて、とでも思っているのだろう。しかしミカは思う。それでもあたしは、人の命を取ることはしない。
「みんな、色々考えるのね。関心するわ」
「お前が言うか」
 呆れ顔でスズがミカを見る。そして彼は小さく肩を竦めた。
「計画を立てるのは簡単だよ。難しいのは計画を遂行することだ」
 なるほど、ミカは頷く。事実、彼らは計画を遂げることができなかった。
 ミカはノアを見た。ノアは真っすぐ前を見たまま、黙々と歩みを進めている。見ているようでなにも見ていない彼の目。ミカは小さく息をついた。
「ノア、随分浮かない顔してるじゃない」
 ミカが言う。しかしノアから返ってきたのは無言だった。聞こえないふりをしているのか、聞こえないほど考え込んでいるのか。何にせよノアの態度は、ミカの癇に障った。物思いにふけるふりをして、自分に浸る人間は嫌いだ。
「暗い。暗すぎる。ありえない。あんた、英雄なんでしょ? もうちょっと胸張って堂々と歩いたら?」
「小出はもうちょっと謙虚に歩け」
「スズは黙ってて」
「ど底辺勇者のくせして偉そうだよな、小出は」
「ど暗い魔術師より増しよ」
 口を挟むスズに、ミカは堂々と胸を張る。スズがため息をついたが、そんなことは気にしない。ミカは心からそう思っているのだ。
 一方、二人の言い合いに、さすがに無視しきれなくなったのか、耳に入ってきたのか、ノアはミカとスズを一瞥した。あくまで冷静な視線にミカは肩を竦める。本当に子供らしくない。
「グレナーデは」
「は?」
「彼は、本当は何になりたかったんだろうか」
 今にも夜に溶けそうな、震える声でノアが言う。
「得にもならない、面倒でしかない、あんな罪を犯して、そこまでして今の型から外れたかったのか」
 ノアの問いに、ミカは瞠目した。そんなこと、本人にしかわからないことだ。それに知ったところでどうしようもない。そんなことを聞いてどうするのだと問おうとして、ミカは口を開く。しかしその前に、スズの言葉がミカを遮った。
「今の就職制度を作ったことを、後悔してるんですか」
 スズの言葉にミカが瞬く。そのうえノアが否定の言葉を口にしなかったことに、重ねてミカは驚いた。否定をしないのは、スズの言葉が的を得ているからだ。
「なにそれ」
「何って、今のこの国の制度を作ったのは統一戦争の勝者だよ。ま、ノア=トリエンナーレだけじゃないけど」
「……ばかにしてんの? いくらなんでもそれぐらいわかるわよ」
 ミカはスズを睨んだ。スズはミカを横目で見ると、「そりゃ失礼」と肩をすくめた。どう見たって馬鹿にした態度だ。ミカはむっと口をかたく結ぶと、イーッと口を歪めた。
「小出は、本当になりたい職はなかったのか」
 ノアが問う。それを聞いてどうするんだと問い返したくなったが、ノアの目があまりに真剣なもので、ミカは結局「ない」と簡潔な一言を口にした。ミカに続いて、スズも「オレもありませんね」と言い、ミカとノアを交互に見る。
「そういうあんたはどうなの? 魔術師になったこと、後悔してるの?」
「与えられたものになることに、疑いを持ったことがなかった。それだけだ」
 だから。続けてノアは言う。
「今の就職制度に、何の疑問も抱かなかった」
 淡々としたノアの声が、夜の闇に溶けていく。夜風にノアの闇色の髪が揺れた。この世のものと思えないほど、綺麗に整った彼の顔立ちに苦痛の色が浮かんだ。
 ――何の疑問も抱かない。それはそれで、問題だけど。
 ミカは脳裏にグレナーデの顔を思い浮かべた。続けてトルエンの顔を浮かべて、ミカは眉を潜める。南が悪い、制度が悪い、なんで自分が。そう叫んだ彼らの汚い顔。博愛をふりかざすつもりは毛頭ないが、あれほど自己しか見えない人間は嫌いだ、とミカは思う。
「なりたい職があるなら、なれるよう努力すればいいのよ。転職だってお金貯めればできるんだから。それもしないで制度が悪い、国が悪い、周りが悪い――ああいうやつはどうなったって言い訳を見つけるわ。自分の問題よ。周りが変わったって無意味だわ」
 ノアは真っすぐにミカを見ている。不安定な子供の目。なんて目だ、とミカは思う。
「あたしなら、国を潰してでもなんとかする」
 ミカは大股でノアに歩み寄ると、ノアの腕を引いた。ミカを見上げるノアのこめかみを両手で覆う。ノアの黒髪の隙間から覗く、リングの宝石が輝いた。
「あんたね、ちょっと自分の力を買いかぶり過ぎよ。国なんてどれだけの数の人間で成り立ってると思ってんの? 国の未来を、自分一人が背負ってるような顔はやめてよ」
 ぱちん。目の前のシャボン玉が弾けるような音がする。ノアの顔色が代わり、不安に揺れていた灰色の目に、目に見えて輝きが戻った。それを確認し、ミカは満足そうに笑った。
「どう? ちょっとは前向きな気持ちになったでしょう?」
 驚いたようにノアは目を見張る。
「そうか。お前の力はこういうものも消せるのか」
 そう言って、ノアはミカに微笑みを向けた。今までにない、吹っ切れたような笑顔。当然だ。ミカが彼の心から不安を消したのだから。
 そういうこと――そう言おうとして、ミカは唐突に膝をついた。足に力が入らない。体がひどく重たい。
「ダメだ。力を使い過ぎだせいで、体が重い」
「……どこまで使いこなせてねぇんだよ」
「スズ、うるさい」
「まぁ、オレはとりあえずこれ持ってギルドに言ってくるから。後は任せるよ」
 スズが言う。そしてスズはノアとミカを交互に見て、ノアの耳元でなにかを囁いた。なにか余計なことを言ってないか。ミカはスズを睨んだが、スズはミカの睨みなど気にならない様子で笑った。
「んじゃな、小出。この一件でちょっとは懲りろよ」
 スズはミカに手を挙げると、背を向けて歩き出す。しばらくスズの後ろ姿を見送った後、ミカはノアを見上げた。
「ねーノア、しんどくて動けない。ノアの家に泊めてよ」
「断る」
「ちょっと! 誰のせいでこんなしんどいと思ってるの! せめて一緒に南まで帰ってよ」
「断る」
「じゃあもうちょっとだけ一緒にいて」
「しつこい。なんでそこまでーー」
 そう言ってノアは言葉を切った。何か思いついたらしい、ノアの端正な眉が寄る。
「お前、隙あらば、オレの記憶を消そうと思ってるんじゃないだろうな」
 ――ちゃんと覚えていたか。
 今更、ミカが相方の記憶を消して、報酬金を独り占めしようと目論んでいたことなど、忘れてるんじゃないかと思っていたが、どうやら希望的観測だったようだ。
 ノアの言うことは正しい。ミカは心の中で舌打ちをした。そしてミカは浅く唇を噛む。
「そんなわけないでしょ。他意はないわよ」
 本当は四十万ルッツを未だ狙っているけれど。
 そもそもこの事件が明るみになったら、四十万ルッツが台無しになる可能性もあるが、そこはスズが頑張るとして。ミカとしては、なんとかノアに二十万ルッツ分、権利を放棄してもらいたいところだ。
「だからもうちょっとだけ一緒にいてよ」
 もうちょっとだけ一緒にいて、さりげなく権利を放棄するよう説得するのだ。ミカは微笑みながら、ノアに手を伸ばした。小さく息をついて、ノアがミカの手を取る。
「小出」
「何?」
「お前は嘘をつくとき、唇を浅く噛むくせがあるらしいぞ」
「へ?」
 ノアが言う。そして同時に離される手。支えを失ったミカは再び地面に座り込んだ。反射的にミカは唇を触れた。唇、浅く噛む? 自分はいつ唇を噛んだ?
「四十万ルッツはギルドに寄付だ」
 ノアが背を向けると同時に、ミカは瞠目した。ギルドに寄付なんて、冗談じゃない。
「ちょっと待ってよ! こら!」
 ミカの呼びかけにノアは足を止めた。ノアがゆっくりと振り返る。どうせ馬鹿にした目をするのだろうと、ミカがノアを睨みつけた瞬間だった。ノアは真っすぐにミカを見てーー笑った。
 皮肉げな笑みでもない、苦笑でもない。正真正銘の笑みだ。目を見開き、ミカは思わず言葉を止めた。伸ばした手が中途半端に止まる。ミカは思わず息を呑んだ。
 なんて、綺麗な。
 僅かな月光に透ける細い髪。人形のような、繊細で美しい顔立ちだとは思っていたが、まさかここまでとは。
 思わず見とれてしまったミカは、歩き出すノアの後ろ姿を呆然と見つめた。真っ白な頭のまま、口を半開きにした、お世辞にも美しいとは言いがたい表情で。女性としては賞賛しがたい表情から、解放されたのはノアが角を曲がり、ミカの視界からノアの姿が消えた瞬間だった。
 ――視界から消える?
「ちょっと! え? 本当に動けないんだってば! ねぇノア! ノアってば! ど暗魔術師! 帰ってこーい!」
 我に返ったミカの叫びが、ポポの閑静な町並みに響き渡った。ちなみに騒音によるポポ町民の安眠妨害を懸念して、ノアがミカのもとに戻ったのは、それから十分後のことだ。

⇒To Be Continued...

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